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乃木坂46は、不安を乗り越える力の源泉~映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」~

2015-nogizaka46-site03乃木坂46初のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』公式サイト 

2015年5月。僕はとても大きなチャンスをもらった。

『私はここまで、運だけで来てしまいました』

生駒里奈はドキュメンタリー映画のある場面で、舞台の観客に対してそうさらけ出す。

この時の生駒の言葉が、僕にはとてもよく分かる。僕も、この大きなチャンスに至るまで、運だけで来てしまったと思っている。とても、自分の実力だなんて思えない。うまくやっていけるわけがない。そんな風に思っていた。
だから、そのチャンスから逃げようと思っていた。

僕は人生で、ずっと逃げ続けてきた。少しでも嫌なことがあれば逃げたし、嫌なことが起こりそうな予感がしただけで逃げていた。逃げることは僕にとって日常的なことだったし、生きる術でもあった。

色んな理由があって、僕はこのチャンスに手を伸ばしてみることにした。不安しかなかったけど、踏み出してみることにした。

この決断をした時はまだ、乃木坂46のことは、よく知らなかった。

2015年7月。『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』を映画館で見た。その時点で僕にとって、乃木坂46は「乃木坂工事中」と前身の「乃木坂って、どこ?」という番組に出ている人たちでしかなかった。顔と名前もイマイチ一致していなかった。AKB48の公式ライバルということさえ、もしかしたら知らなかったかもしれない。それでも僕にとって、乃木坂46というのは、なんとなく気になる存在だった。「乃木坂って、どこ?」という番組でしかその存在を知らない人たちだったが、その番組を通じてなんとなく、彼女たちの抱えているものが透けて見えたのかもしれない。(関連僕が乃木坂46のファンになった日~映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」~

ネガティブで、マイナス思考で、自信のない少女たちが、震えながら人前に立つその姿に、僕はとても勇気をもらった。なんだか頑張れるかもしれない。そんな風にも思えた。

2015年9月。僕は縁のない土地へと引っ越した。その新しいチャンスのスタートとなる地だ。知り合いはほとんどいない。馴染みがあるわけでもない。なんとなく、SNSも止めた。今までの僕の人生とはまるで違う生活が始まった。

不安だ、と、ここに来る前言い続けてきた。不安しかない、と。何を期待されているのかも分からなかったし、その期待に自分が応えられる気もしなかった。たぶんダメだろう。たぶんダメだろう。考え始めると深みにはまるので、あまり考えないように意識してきたけど、やっぱり僕は不安で仕方なかった。

引っ越してしばらくしたある日、通りがかった映画館で『悲しみの忘れ方』が演っていることに気づいた。いいタイミングかもしれない、と思った。一度見た映画をもう一度映画館で見た経験はない。けれど、今、まさに今、僕はこの映画を、もう一度見るべきかもしれない、と思った。映画館で見れるチャンスがあるなら、もう一度観よう、と。

そして僕は二度目の『悲しみの忘れ方』を観た。

僕は、たぶん頑張れる、と思った。

逃げたくなる時は、たぶんまた来るだろう。頻繁に来るかもしれない。でも、その度にこの映画のことを思い出そう。ネガティブで、マイナス思考で、自信がない少女たちが、震えながら頑張っている。弱いところを全部さらけ出して、嫌いだった過去の自分に取り込まれそうになって、そうやって、どっちが前なのかも分からない道を進み続けている彼女たちの姿を、何度も思い出そう。

「陰」こそが僕らを照らす救いの光

僕は、陰のある人が好きだ。嫌になるような過去を持っていたり、無闇に未来を悲観したり、死にたくなったり、わけもなく嫌になったり。そういう人に、どうも惹かれてしまう。

乃木坂46は、グループ全体に陰がある。乃木坂46は、マイナスの部分を「陰」として持っている。芸能人の中には、マイナスな部分を敢えて表に出すことで注目を浴びようとする者もいるだろうけど、乃木坂46はそうではないように思える。ドキュメンタリー映画を観ることで、僕は初めて、彼女たちの「陰」の部分を知ったが、そういう部分は普段は表に出てこない。

しかし、やはり素の部分がマイナスなので、ふとした瞬間にそういう「陰」の部分が露わになることがある。たぶんそういう瞬間を僕は、「乃木坂って、どこ?」という番組の中で感じ取っていたのだろうと思う。

他のアイドルのことは分からないが、そういう、マイナスをマイナスとして持っていて、それが全体の中で否定されない、というのは、とても珍しいことのように思う。『悲しみの忘れ方』の中で主に取り上げられる五人のメンバーはほとんど全員マイナス思考だ。乃木坂46のキャプテンである桜井玲香は映画の中で、乃木坂46のメンバーは全体的にマイナス思考で目立つことが嫌いで自信がない、と発言している。

映画は全体的に、とても暗いトーンで描かれていく。「アイドルらしさ」というものが共通の概念として存在しうるなら、この映画は「アイドルらしさ」からはかけ離れていると思う。アイドルという存在が、現代日本においてどんな存在として捉えられているのか、それはよく知らないけど、「みんなの理想を体現する」という意味で言えば、乃木坂46の映画にそれはない。

この、暗いトーンのドキュメンタリー映画という方向性がいつ決まったのか、それはよく分からない。その方向性が決まった後で、メンバーたちのマイナスな発言が主に切り取られるような編集をされているかもしれない。彼女たちは、本当はもの凄くポジティブな発言もたくさんしているのだが、そういう部分は見せないまま、僅かなネガティブな部分を見させられている可能性もあるだろうとは思う。僕は彼女たちのことは直接には知らないから、それは確かめようがない。でも、たとえそうだとしても、別に僕は構わない。

乃木坂46に受かったことを「ヤバイことになってしまった」と捉える彼女たち。常に自信のなさを透かす彼女たち。自分の過去を切り捨てたいと思っている彼女たち。その姿は、「陽」の力で元気を与えるアイドル像とはかけ離れている。けど、彼女たちが抱える「陰」の部分が、僕の救いになる。

彼女たちは、結果的に強くなった。強くなければ生き残れない世界に、様々な理由で飛び込んでしまったからだ。しかし、初めから強かったわけじゃない。初めは弱かった。弱いまま、恐ろしいところに突然放り込まれた。弱い部分は、今でも残っている。ずっと消えることはないだろう。それでも、強くなっていった。その過程が、僕の心を打つ。僕もいずれ、あんな風に強くなれるかもしれない、という希望を持つことが出来る。何も出来ないけれど、何か出来る自分になれるかもしれないと思うことが出来る。そういう力が、乃木坂46という存在にはある。

生駒という物語、そして西野の強さ

生駒里奈は、物語を持っている。

小学生時代はいじめられ、中学時代仲の良かった友達と高校が別になってしまうという理由で進学に興味がなくなる。乃木坂46のオーディションで最初に名前を呼ばれたのは、生駒だった。ファーストシングルでいきなりセンターになり、それからしばらくセンターをやり続ける。本人は、センター向けの性格ではないと自覚しながらも、与えられた役割を必死にこなそうとする。自分は乃木坂46にいるべきではないと泣き言を言うメンバーと全力でぶつかり合う。初めてセンターから外れた瞬間、後ろに倒れ、その後センターの重圧から解放されたことにはしゃぎまわる。AKB48との兼任を打診され、メンバーやファンの複雑な心境を理解しながらも一人でそれを受諾する決断をする。

生駒里奈は、顔が特別可愛いわけでも、スタイルが良いわけでも、何か特技があるわけでもない。「私は何も出来ない」というのは、生駒の本心だろうと思う。舞台のオーディションで、センターを張っているのに観客から選んでもらえないことを悔やむ場面もある。しかし生駒は、何もないところから全力以上を出しきり、乃木坂46の屋台骨になっていく。その小さな身体で、多くのことを背負いながら、がむしゃらに突き進んでいく。その姿には、打たれるものがある。

生駒は映画の中で、「お芝居とか歌みたいな芸事を仕事にしたくて、乃木坂46のオーディションを受けた」と明かしている。これは、雑誌のインタビューなどでは恥ずかしくて喋ったことがないことのようだ。「もう夢は叶えているんですよね」という呟きは、どういう意味を持つ言葉なのかはっきりはしないものの、印象的な言葉だった。

映画の中で描かれる人物でもう一人気になるのが、西野七瀬だ。

西野は、感情の表出の仕方が面白いと思う。乃木坂46の中でも、恐らくトップクラスに人見知りで、マイナス思考で、自信がないだろう。映画の中でも西野は何度も泣いていたが、恐らくもっともっと泣いているのだろう。

しかし西野は、一方でとても強い。強いというか、感情がはっきりしている。西野は、言葉を多く費やさないが、短い言葉でスパっと自分の感情を切り取る。そこだけ見ると、西野は、迷いのない人間に思える。

『怒りですか?怒ってましたよ、みんな。怒ってなかった人なんていたのかなぁ、あの時』 

メンバーの松村沙友理の不祥事が発覚した時の気持ちを聞かれて、西野はこう答える。

『部屋にいても不安になるだけ。仕事さえ出来ればいい』 友達のいない東京で一人奮闘する娘に、大阪に帰ってくればと母が声を掛けた時の西野の反応だ。

西野は強い。しかしその強さは、自分の弱さをしっかりと理解しているからこその強さだ。弱さを塗りつぶすための強さだ。西野の感情の表出の仕方は、とても好感が持てる。

僕はたぶん元々、乃木坂46というグループの「陰」を、どこかしらかから感じ取っていたはずだ。だからこそ、自分でもよくわからないまま、乃木坂46というグループに興味が湧いたのだろう。そして、ドキュメンタリー映画を観ることで、その僕の感覚に背景がついた。根拠が生まれた。僕はこれからも、彼女たちの笑顔の裏に「陰」を見るだろう。そうやって僕は、また少しずつ、乃木坂46に惹かれていくのだろう。

大きなチャンスに手を伸ばした僕は、乃木坂46の番組が映らない土地にやってきてしまった。しかしどうにかして、彼女たちの姿を、これからも追っていきたいと思う。

(文・黒夜行)

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(※編集注:本稿は、筆者が2015年9月に投稿した記事を再編集したものです)

筆者プロフィール

黒夜行
書店員です。基本的に普段は本を読んでいます。映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」を見て、乃木坂46のファンになりました。良い意味でも悪い意味でも、読んでくれた方をザワザワさせる文章が書けたらいいなと思っています。面白がって読んでくれる方が少しでもいてくれれば幸いです。(個人ブログ「黒夜行」)

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