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乃木坂散歩道・第211回「『サヨナラの意味』を考えてみた」

 『サヨナラの意味』を考えてみました。

 僕はどうしても楽曲が頭に入って来ませんでした。だから、楽曲としての、楽曲の中での「サヨナラの意味」を考える事が、僕には出来ませんでした。僕にとって、『サヨナラの意味』とは、橋本奈々未さんの卒業シングルという意味でしかない。その事実だけが強く突き付けられるのです。

 そんな僕が行きついたのは、『サヨナラの意味』=「僕がいる場所」という考えです。
 以下、「サヨナラの意味」の楽曲とは関係のない話題ですが、お付き合いいただけたら幸いです。

 乃木坂46の活動を追う中で、2016年は『卒業』を強く意識させられた一年でした。ただ、これまで卒業していったメンバーの活躍を見ていると、卒業しても、そのメンバーの活躍を見ることが出来るのだなと思っていました。例えば、伊藤寧々さんや永島聖羅さんは、ツイッターを見ればその活躍を簡単に知ることが出来ます。メンバー同士でわちゃわちゃした姿を見ているのが好きという部分もあるので、卒業は寂しいのだけれど、でも、グループから独立しての活躍を見ることが出来るなら、それはそれで良いのかなと思っていました。卒業に慣れてしまったのかもしれません。

 しかし、橋本奈々未さんの卒業は今までの卒業とは様相が大きく違います。『芸能界からの引退』となると、引退後はおそらくもう二度と橋本さんを拝見することは叶わないでしょう。思い出だけしか残らない、それは死んでいなくなってしまうのと何か変わりはあるでしょうか? 乃木坂ファンにとって、橋本さんの卒業は死別と同じ位の意味を持つと僕は思いました。

 皆さんは人の死、自分の死について考えた事は有りますか? 僕は勿論ありません。自分の父親を若くして看取った経験はありますが、死を現実として考えたことはありません。日本人としては、ごく平均的なところだと思います。橋本さんの『サヨナラ』を人の死と同じ様だと考えるに至り、僕は二冊の本を紐解いてみることにしました。「日本人の死に時」(著:久坂部羊)、「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(著:金子哲雄)の二冊です。

「日本人の死に時」久坂部羊

 この本を以下に思いっきり要約します。

 死とは生きるものにとって、絶対に避けられない事実です。ところが、今の日本人にとって、死はタブーになっています。「縁起でもない」、「不謹慎である」、あるいは、「怖い」、「不安だ」、そんな理由から、死を考えず、意識されずにいた結果、『生かされている』状態に陥ってしまう。日本人は平均で男性約6.1年、女性約7.6年『寝たきり生活』となります。寝たきりの大変さ、悲惨さ、死ねない事の、死なない事の悲惨さを、現役の医師である筆者が語ります。「何事にも頃合いがあって、買い時、勝負時、踏ん張り時、潮時、死ぬのにも死に時というのがあると思います」。

 人の死とは避けられないものです。だから、目を逸らさず、見つめなければいけない。そして、前もって死に備える。死に逝く時、自分の人生を振り返り、十分生き尽した、そう思えたならば、人生の最期、死を前にしても、落ち着いていられるのではないか。筆者はそう教えてくれます。

「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」金子哲雄

 流通ジャーナリストとして活躍していた金子哲雄さんが、41歳の若さで、肺カルチノイドで亡くなる、その闘病から死に至るまでを、自らの筆で書き留めた壮絶なドキュメンタリーが、「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」です。
 死に逝く人が、如何に死を見つめるのか? そして、そこに何が見えてくるのか?
  
 「あとがき」は金子さんの死後に、奥様が書かれています。その内容は本当に乃木坂46が歌う「僕がいる場所」に重なります。

人は永遠じゃない
誰も去る日が来る
だけど愛だけはずっと残る

乃木坂46「僕がいる場所」

 この本に書かれている内容は、壮絶な『死に様』ですが、その事から教えられる事というのは『生き様』です。金子さんの生き様を見て、僕達が如何に生きて行くべきかを教えていただいた気がします。そして、金子さんの温かい想いは明確に残っています。奥様への愛、支えてくれた方々への感謝。死に際にこんなに素晴らしい思いでいられるものなのか? 悲しいけれど、怖いけれど、羨ましい。

「サヨナラの意味」

 橋本さんの卒業シングルは、全ての事に終わりがあるという、痛烈なインパクトを持った僕達へのメッセージです。『いつまでもこのままでいたい』という願いは、絶対に叶うことはありません。いつまでも推しメンを追い掛けてはいられない。いつまでも乃木ヲタではいられない。どこかで必ず『終わり』が来る。残された時間が決まってしまってからあたふたするのではなく、常に終わりを見つめて、終わりが来た時に十分やり尽した、そう思える乃木活であれば、最後を落ち着いて迎えられる。

 そして、こういった経験が、自分の人生においても生かされて、人生最期の瞬間に、十分やり切ったと思える人生になったならば、橋本さんの卒業シングルが「サヨナラの意味」である事に、乃木坂ファンとして大きな意味を持つと思います。
 
 『サヨナラの意味』とは、全てには終わりがあるという意味ではないか? そう考えて、行きついた先は「僕がいる場所」でした。最後の時を、卒業の時を、温かい気持ちで迎えられるだろうか? 僕達の未来には必ず『卒業』が訪れます。その時に温かい想いで推しメンを見送る為には、今、どう過ごしたらいいのだろうか? そんな事を思いながら、あと1カ月半ほど、橋本さんと乃木坂ファンの活動を見守りたいと思います。


 『サヨナラの意味』とは、全てには終わりがあり、その時を如何にして迎えるか?という問い掛けであり、その答えは「僕がいる場所」に描かれた、温かい想いで満たされた世界である。

 
参考文献
「日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか」(著:久坂部羊/幻冬舎新書)
「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(著:金子哲雄/小学館)

筆者プロフィール

Okabe
ワインをこよなく愛するワインヲタクです。日本ソムリエ協会シニアワインエキスパートの資格を持ちます。乃木坂との出会いは「ホップステップからのホイップ」でした。ファン目線での記事を書いていきたいと思います。(ツイッター「Okabe⊿ジャーナル」https://twitter.com/aufhebenwriter

COMMENT

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  1. お久しぶりです。

    橋本奈々未さんの卒業、引退には本当にびっくりしました。卒業は意識していたのですがまさか引退までとは考えていなかったです。
    とくに橋本さんを推していたわけではなかったですが、引退を発表されてからはずっと頭の中で橋本さんを思ってしまっています。乃木坂ファンにとって橋本さんの存在はとてつもなく大きかったんだなぁって改めて感じました。
    正直なところ、ファンは何もする事が出来ません。
    自分が大好きになった乃木坂をここまで引っ張ってくれたことを感謝して、ただただ橋本さんの幸せを願うばかりです。
    橋本さんの背筋がピーンとした姿勢とその内面的からくる品の良さと美しさが好きでした。もしかしたら乃木坂の品の良さは橋本さんから醸し出されたものの影響が大きかったんじゃないかと思うくらいです。

    橋本さんの体調がとにかく心配ですが、引退後の人生もきっと活躍されるだろうと期待しています。

    ちなみに「サヨナラの意味」は橋本さんの卒業とは関係なく本当に良い曲だなぁって思っています。橋本さんも言っていましたが「生まれたままで」とセットで聴くとより一層好きになりますよ。

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