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乃木坂散歩道・第195回「『武道館』朝井リョウ」

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 『読書の秋』。今回紹介するのは、小説『武道館』(朝井リョウ 著)。発売から半年以上たっていて、なぜ、いま『武道館』なのか? それは「乃木坂46アンダーライブ@日本武道館公演」が近づいているから、ただそれだけの理由です。アンダーライブ武道館公演が決まって、僕はこの小説を買いました。アイドルが題材となっているという前情報はなんとなく知っていましたが、アンダーライブが武道館で行われなければ、きっと読まなかったんだろうと思います。

 読後感を端的に言い表せば、『武道館』は問題作です。特にアイドルファンにとっては。僕は読んでいて、何度も心が痛くなりました。それゆえ、この小説を読んでいない乃木坂ファンの方がいたら、僕のように『アイドル×武道館』という安易なキーワードで手に取らず、そのまま読まない方が良いのではないかと思ってしまいます。
 一方で、同じ乃木坂ファンならば、この小説を読んで、そして、受け止めて、乗り越えるべきではないか、という想いもあります。

 今、この記事を書いている最中も、皆さんにお勧めすべきか迷いながら書いています。その迷いの原因を表現出来たらと思います。

 今回の記事では、ネタバレが少ないように書きました。それ故、例えが極端かもしれませんが御了承ください。

「舞台裏」

 僕の同級生に、大学病院で働く医師がいます。彼から聞いた事なのですが、患者さんの退院時等に、お礼としてお菓子等の食べ物を頂くことがあるそうです。しかし彼は、それを『ほとんど捨てる』そうです。理由は、「何が入っているかわからない」から。食べるもの、身につけるもの、悪意が存在した時に、被害をこうむると推測できるものは、頂いた上で、後で『捨てる』そうです。

 彼は真面目な人間です。仕事にも熱心に取り組んでいます。きっと良い医師なんだろうと思います。でも、『捨てる』そうです。僕はこの話を聞いて、少し悲しくなりました。これは彼だけが特別なのではなく、職業柄、人の死にも関わるので、『ある程度』仕方がないことだそうです(ボクの友人はやや極端かもしれませんが)。また、頂き物を捨てはしなくても、周りに配ったりして、自分では食べないという事は、多々あるそうです。これは、貰い物が多すぎて、自分では消費しきれないからです。

 『お菓子』は感謝の気持ちです。病気を治してくれてありがとう、命を救ってくれてありがとう、その気持ちを伝えたい。言葉だけではなくて、形あるもので。その一つが『お菓子』なわけです。
 でも、受け取る側は、それが『100%の善意』かどうかは、どうしてもわからない。『100%』は誰にもわからない。だから『捨てる』のです。また、受け取る側は、それが欲しい物とは限りません。捨てるくらいなら、消費しきれないなら、誰かにあげちゃおう、そんな気持ちがあるそうです。そして、そのことにさほど罪悪感を覚えていません。

 僕は思います、『舞台裏』って知らない方が良いんです。知らない方が良い舞台裏って有るんです。

 知らない方が良い舞台裏=小説『武道館』です

「ブショネ」

 『ブショネ』という言葉があります。大雑把に言うと、原因不明の“ワインの不良品”の事です。一般的に『濡れた新聞紙の香り』という不快臭がすると言われていて、20本に1本は存在するという説があります。このブショネは軽いものから酷いものまで、程度の差があるのです。

 この概念を知らないと、ブショネのワインを飲んでも、こういうものなのか、と、気が付かずにそのワインを楽しめると思います。普段濡れた新聞紙を嗅ぐことがあまりないし、想像してもわかりません。ところが、一度その概念を知り、ブショネがどういう香りで、どういう状態かわかってしまうと、軽いブショネでも、そのワインを楽しめなくなってしまいます。ブショネを知らないと、ワインの良さの方に意識が引かれるけれども、ブショネを知っていると、ブショネに意識が引っ張られて、ワインの良さが見えなくなってしまうのです。

 同じような事は『肩こり』でも起こります。よく聞く話ですが、外国では肩こりという概念が無いそうです(否定する説もあります)。なので、実際に肩がこっていても、それに気が付かずに暮らしているそうです。肩こりという概念を知って初めて、肩こりの苦痛が始まるのです。

 知らなくて良い事を知ってしまった時、今まで楽しめていたものが、急に楽しめなくなる。ワインだけじゃありません、乃木活だって同じです。何となくわかってはいても、いざ活字になって、『武道館』という小説になって目の前に現れると、心の中の温度がグッと下がる気がしました。

「ファンって、なに?」

 『武道館』は、アイドルファンの筆者による、アイドル目線で書かれた小説です。だからかもしれません、アイドルのファンとして反省すべき、耳の痛い描写もありました。その一つがこういったもの。

【応援はしているけれど、自分たちよりもいい生活をすることは許さない】という視線。

 具体的に言うと、私服やアクセサリー、バッグなど、アイドルの私物の値段を詮索し、高額なものであれば批判するという行為。こういう発言を見かけること、ありますよね。アイドルにとって、ファンは必要な存在であると同時に、非常に厄介な存在でもあるのです。

 『武道館』を読み終えた後にボクが思ったこと、それは、ファンはアイドルにとってどんな存在なんだろう? ということです。
 映画に例えた時、アイドルは主役、プロダクションが監督とするならば、ファンは何でしょう? 相手役? 脇役? エキストラ? それとも観客? 『武道館』を読んだ後で思うのは、『エキストラ』か『観客』です。いなければ成り立たないが、代わりはいくらでもいる。

 『代わりはいくらでもいる』、打ちのめされます……。

「それでもファンでいる」

 ファンは単なる『不特定多数』です。決して特別な存在にはなれない。代わりはいくらでもいます。それを自覚してもなお、ファンでいるのは何故か? それは得られるものが大きいからです。自分自身で言えば、『文章を書いてみたい』と思うきっかけとなったのは、乃木坂ファンになったからです。ジャーナルで記事を書かせていただいて、乃木坂の事だけじゃなく、世の中の見え方が少し変わりました。そんな自分を、今は気に入っているし、そんな自分にしてくれた乃木坂46には感謝をしています。

 例え、自分の推しメンが『ファンを裏切る行為』(最近では『薬物』が話題になったりしました)をしたとしても、乃木坂に出会って変わった自分を好きでいられるのなら、ファンでい続ける意味がある。


 ここまで深刻になる必要ってありますかね? もっと気楽にファンでいられたらいいと思いませんか? でも、『武道館』を読んでしまうと、知らなくていい舞台裏を知ってしまうと、こんな深刻な事を考えざるを得なくなってしまいます。少なくとも、僕は考えてしまいました。

 小説『武道館』は、やはりアイドルファンにとっては『アンタッチャブル』な一冊なんだと思います。小説とはいえ、おそらく大多数の人にとっては、知らない方が幸せ、そんな『舞台裏』が書かれている作品です。

 それでも、あなたはこの小説を読む勇気がありますか?

朝井 リョウ 文藝春秋 2015-04-24

筆者プロフィール

Okabe
ワインをこよなく愛するワインヲタクです。日本ソムリエ協会シニアワインエキスパートの資格を持ちます。乃木坂との出会いは「ホップステップからのホイップ」でした。ファン目線での記事を書いていきたいと思います。(ツイッター「Okabe⊿ジャーナル」https://twitter.com/aufhebenwriter

COMMENT

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  1. アイドル本人にとって「代わりはいくらでもいる」でしょうが、私たちファンにとっては「唯一無二の存在」な訳で、私はそれでいいと思ってます。
    裏側を知ることは怖いですし、知らなければよかったと後悔することも多いとは思いますが、知らなかった時とは違った目線(例えばルックス重視でなく、一人の人間として好きになれるとか)でアイドルを好きになれそうな気もします。

  2. 自分は、「アイドルはオナラしない」論者です。
    私たちファンは、彼女らがこちらに見せたいと思った面だけを見て、感じて、楽しめばいいと思っています。
    彼女らが隠したいと思っていることについては、考えず、そんな面は存在しないと思えばいいと思っています。
    つまり、オナラは舞台裏ですね。
    そしていざ目にしたら、ちょっとがっかりするでしょうね。

    でも、舞台裏がチラチラ見えそうになっているときは、つい覗いてしまいたくなるのもファンの心理ですよね。
    なぜか、舞台裏でも表舞台の通りでいて欲しいと無茶な願いを抱えつつ。

    結局、自分が好きなだけのめり込んで、何かのきっかけやタイミングでふと飽きてしまったら、それがファンとしての寿命なのだと思います。
    だから私はどんどん舞台裏も覗いてしまいます。
    もしかしたら寿命が来るかもしれませんが。

    それとこの小説、卒業生の伊藤寧々さんも卒業後に読んでTwitterで紹介していましたね。

  3. 自分もこの本を読みたいと思ったけど、ためらってまだ読んでいません。
    いつか読みたいと思ってるけどOkabeさんの記事を読んでさらにためらってしまいました(^^;)
    ファンってなんなんでしょうね?
    一生ファンであり続けることは難しいし、通りすぎる風のようなもので自分の存在なんて相手に伝わるわけでもない。
    それでも彼女たちの頑張ってる姿に対して何かリアクションを起こしたい。
    でなければ彼女たちの頑張りは意味のないものになってしまう。
    あれこれ考えると窮屈になってしまうんで、今もこれからも彼女たちの笑顔が見れればそれで幸せって思って応援していきたいですね。

  4. 『武道館』、発売時に購読しました。よく視聴している「ボクらの時代」に朝井リョウが出演していたり、若月・橋本が朝井と対談していたり、『ダ・ヴィンチ』の「乃木坂活字部」でメンバーがこの本を読書会の課題図書に選んでいたりと、まんまとプロモーションにやられて(笑)買ってしまいました。

    有名人・芸能人の中でも「アイドル」ってやっぱり異質ですよね。
    “夢を売る”、“成長過程を見せる”その性質ゆえに、ファンは恋をする者もいれば、親目線で育てよう、見届けようとする者もいる。

    特に現代のアイドルは、どの場面にもカメラを入れることでそのドキュメンタリー性もビジネスに強く取り入れていたり、またアイドル自身もファン(とそれを装うアンチ)もブログやSNSで情報を発信しやすかったりとリアルで身近なものになっていますし…坂道シリーズの妹分にも加入前のプリクラ画像から活動辞退者が出てしまったり、過去には乃木坂メンバーにもいろいろなスキャンダルが起きました。

    そもそもスキャンダルって何なんですかね?本人は知られたくない、ファンは知りたくないことを何故報道するのでしょう。ファンを裏切る行為を暴く正義感としてのジャーナリズムかもしれませんけど、所詮は騒ぎ立てて面白がってるだけですし…

    浮世に生きる自分たちとは違うものとしてアイドルに夢を見て、一種のファンタジーを信じるべきなのか、
    それとも生身の人間らしさも含めて、その人を愛していくのか…

    つくづくドルヲタは厄介な生き物だと思います。そんなとこも含めてドルヲタとしての生き方が好きだし辞められないんですけどね。

  5. 例えば乃木坂の樋口日奈だって寺田蘭世だって24時間ファンに感謝して生きてるわけではないし握手会が過疎れば他のメンバーに嫉妬もするし憎らしく思うこともあるって思う。あの西野だって自分の握手券はいつでも完売するんだなんてのほほんとしてないだろう。さっきの人に失礼なことしなかったかな、おざなりな対応しなかったかな、きちんと目を見てたかなって後悔ばかりだろうね。おそらくいつでも代えが効くどうでもい存在だなんて客をなめてる人間は乃木坂にはいないって思ってる。あの白石だってジャニーズ絡みで濡れ衣いまだに着せられてるしね、それも乃木坂アンチでもなんでもなくて乃木坂の他のメンバー推しの奴。白石は不登校だった情けないコミュ障だって動画だってかなり前からあったし、今でも若月を叩いてる奴もいる。見たくない文章だったり聞きたくない言葉もさんざん聞いてるだろう。現に直近の井上のブログのコメントにも「言い訳するな」って書いてる奴もいるくらいだ。そんな奴も玉石混交で混じってるファンなんてものに彼女たちがそれほど忠誠をつくす必要はないって思ってる。現状のままで彼女たちは他のグループが絶対やらない「一期一会で人間がやらなけれないけないこと」をできるかぎりやってることに感謝するしかないって思う。
     

  6. 誰が主人公なのか良く解りませんが、ヒロインの1人である「波奈」の名前を見て、これは何かのメッセージじゃないかな?と個人的に疑っております。この名前をひっくり返すと、前のコメントにあるように対談した一人の乃木坂メンバーの名前になるじゃないですか!私はこの小説のメインテーマは、アイドルが「制服を着たマネキン」じゃなくて、「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」といえるような時代になることを一人のアイトルに託したメッセージじゃないのかなと思っています。

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