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乃木坂46のクリエイションに潜む“狂気”~「MdN―乃木坂46 歌と魂を視覚化する物語」を読んで~

mdn-vol252-cover「MdN 2015年4月号」(エムディエヌコーポレーション)

乃木坂46を好きになってまだ1年弱。歌や踊りなどの部分よりも、彼女たちの言葉や価値観に関心を持ってきた僕は、乃木坂46関連の制作物全般については疎い。乃木坂46にハマったきっかけになった「悲しみの忘れ方」こそ、ドキュメンタリー映画という制作物だったが、それ以降は雑誌記事・書籍・ネットの記事・公式ブログなどをチェックしながら乃木坂46を追いかけてきたため、CDジャケットや振り付け、衣装などの乃木坂46のクリエイティブの部分はよく知らないままだった。

しかしどうも、乃木坂46というのは、クリエイティブという観点から見た時、驚くべき異端さを有しているようだ。

驚異的な自由度を保つ、乃木坂46のクリエイション

昨年発売された「月刊MdN」2015年4月号の特集「乃木坂46歌と魂を視覚化する物語」では、乃木坂46のグラフィックデザインや、映像作品、衣装、振り付けといった視覚表現面のクリエイションを、初公開の貴重な資料とともに全68ページもの膨大な紙幅を費やして取り上げている。乃木坂46のクリエイションの背後に一体何が潜んでいるのかをクリエイターの立場から掘り下げるという、アイドルの取り上げ方としては一風変わった特集だ。クリエイター側から見た乃木坂46のクリエイションは、他のアイドルグループではありえない狂気に満ちているのだと言う。

『エンターテイメント界のど真ん中にいるコンテンツでありながら、あんなに作家性を出してもOKなのは、いい意味で狂ってると思うんですよ。それなりに予算があって、前向きなキャストがそろっていて、自由なモノが撮れる……クリエイターが育ちやすい環境なんです』(映像ディレクター・柳沢翔)

『普通は稟議を重ねていく内に上で潰されちゃうもんでしょ。でも、ここには秋元(康)さんっていう人がいる。だから、秋元さんの周りのクリエイティブの世界って狂気に満ちてるけど、刺激的なんですよね』(乃木坂46運営委員会委員長・今野義雄)

『結果的にカメラマンの色に染まっていますし、僕はそれでいいと思っているんです』(アートディレクター・川本拓三)

最近テレビで、小室哲哉の特集を見た。その中で小室哲哉は、売れることが期待されている中での曲作りのプレッシャーについて話した流れで、「誰もダメ出ししてくれないんだよ」というような発言をしていた。誰も悪いと言ってくれないのだ、と。それは、小室哲哉というクリエイターへの評価であるのと同時に、小室哲哉というクリエイターに課された責任でもある。ヒットを生み出し続けること、その功罪が、小室哲哉のその発言に集約されている、と感じた。

秋元康も、常にヒットを求められている存在だ。小室哲哉と同様、誰からもダメ出しを受けることはないだろう。しかし秋元康の場合、自身も作詞家というクリエイターではあるが、同時に、全体を統括するプロデューサーでもある。この点で、ダメ出しをされないという性質がプラスに転じる。秋元康が、クリエイターに任せる、という決断をすれば、それがそのまま通るのだろう。「君のやりたいようにやってくれ」という指示は、これまでヒットを立て続けに作り上げ、誰からもNoと言われない秋元康だからこそ出せる。その決断が、乃木坂46というグループの方向性を決定づけ、現在に至る人気を獲得する背景になっていることは間違いないだろう。

『今野:やっぱり今、クリエイティブの現場がシステマチックになっている。以前は、テレビ、映画、音楽、出版、いろんな世界に良くも悪くも狂気に満ちた情熱とこだわりを持った異常な制作マンがいっぱいいたんです。時代の流れもあってだんだん、チームで合議制でとなるとサラリーマン化されてくる。制作担当者のやってる主な仕事が、制作ではなく制作進行になってしまうことが多くなってる。そうじゃないだろと。やっぱり制作マンは制作の中心にいないとものは絶対作れないはずなんです』

本書の記述と、秋元康という人へのイメージからだけで書くが、秋元康は常に、アンチテーゼの提示という挑戦をする者なのだろうと思う。AKB48が世の中に登場して初めて、「会いにいけるアイドル」というコンセプトが世の中に登場した(はずだ)。それまで遠くで見守るしかなかったアイドル。秋元康は、AKB48を生み出すことで、ファンとアイドルの間にある壁を打ち壊した。それまでのアイドル像に対するアンチテーゼがAKB48だったのだろう。

そういう観点から見ると、乃木坂46というのは、「クリエイションの自由」というアンチテーゼの提示への挑戦なのかもしれない。秋元康はこれまでずっと、何らかの形でクリエイティブな世界と関わり続けてきたはずだ。そしてその中で、“制作マン”が減り、クリエイションから自由が失われてきている、と感じた。これからも秋元康は、クリエイティブの世界で生きていくだろうし、そうであれば、クリエイションから自由が失われている現状は彼自身にとってもマイナスである。

乃木坂46を駒として使った、という表現は適切ではないかもしれないが、しかし秋元康は、意識的にか結果的にかはともかく、乃木坂46というアイドルを生み出すことで、クリエイションの世界に風穴を開けることに成功したのだろう。秋元康は、乃木坂46というアイドルを生み出すのと同時に、才能あるクリエイターを世に送り出すというチャレンジをしようとしたのかもしれない。

『柳沢:これから乃木坂46のMVや個人PVで育っていくクリエイターはもっと出てくると思いますよ』

『今野:有名な監督もとても素敵な作品を作っていただきますけど、乃木坂が最初だったよねっていうクリエイターがいっぱいいるのはとても誇らしい』

クリエイションの自由度を担保する、乃木坂46の特異さ

何故このような自由なクリエイションが可能なのか。そこには、AKB48グループとは違い専用劇場を持たないアイドルであるという点、先程も触れた秋元康というプロデューサーの存在、AKBとの差別化が至上命題であるという点など様々な要素があるが、乃木坂46のメンバーがすべて同じ事務所であり、一体としてマネジメントを行っている強さもあるという。

『川本:どうしてもこの人数でやってくれとか指定されるとデザインの幅がかなり狭まるので、クリエイティブに対しての信頼が厚いのはありがたいことです。また、通常、ジャケット制作する際には、マネジメントとレーベルの意見で板挟みになることがあるのですが、乃木坂46の場合、今野さんがマネジメントと絵作りを兼務しているので、意見が一本化されている点も非常にやりやすかったですね』

『メンバーをロケハンに呼べるということに驚くが、そこに運営サイドと川本さんの本気度がうかがえる』(1stアルバム「透明な色」のジャケット撮影、メンバーを連れたロケハン写真のキャプション)

乃木坂46のメンバーがすべて同じ事務所だから、自由なクリエイションが実現できた。確かにそうなのだが、しかしこの因果関係は正しいだろうか。もしかしたら、自由なクリエイションを実現するという大きな目標があって、そのために乃木坂46のメンバーをすべて同じ事務所にするという形が取られたのかもしれない。あくまで勝手な推測だが、もしこれが正しいとすれば、先に触れた、乃木坂46は「クリエイションの自由」というアンチテーゼの提示への挑戦であるという仮説にも真実味が増す。

『川本:アイドルの場合、クオリティの高い写真を撮るのは大前提でやらなきゃいけないこと。それに加えて、乃木坂46の強みとして、マネジメントとレーベルが一体になっているという点があります。なので、ジャケットもメンバー全員が同じ日、同じ場所に集まって一発撮りができる。写真にこだわっているのも、この利点を活かしてAKB48と差別化できるからという側面も大きいです』

シングル発売ごとに、全メンバーの個人PVを撮影する。可愛く撮られることを重視したいはずのアイドルのジャケット撮影で、一枚絵にこだわる。水中での撮影やセルフタイマーでの撮影など、完成度やスケジュールの関係で困難な撮影でも強行する。乃木坂46だからこそ可能なやり方で、メンバーとクリエイターは、ともに「乃木坂46」という世界を作り出していく。

乃木坂46は、容姿の整った女の子が集まっているアイドルグループ。ただそんな風に見られがちだろう。確かに、彼女たちの個々のポテンシャルは乃木坂46というグループにとって大きな要素ではある。しかし、乃木坂46を外部から支える、ある意味で「乃木坂46」というブランドを作り出してきたデザインもまた、乃木坂46の大きな一部と言える。

僕らの視界に入るのは、クリエイションという最終的な結果だけだ。よほどその方面に造詣が深い人でないと、クリエイションだけを見て、乃木坂46というアイドルグループの背景にある狂気を知ることは出来ないだろう。今回の特集を読んで、クリエイションを支えるその狂気こそが乃木坂46というグループのベースを作り出しているのだ、という事実を知ることが出来た。アイドル、という大きな括りで捉えるだけでは、乃木坂46を見誤る。様々な要因が揃っても、なおやり続けるのが困難なアイドル育成の方法に、彼らは日々挑んでいるのである。

筆者プロフィール

黒夜行
書店員です。基本的に普段は本を読んでいます。映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」を見て、乃木坂46のファンになりました。良い意味でも悪い意味でも、読んでくれた方をザワザワさせる文章が書けたらいいなと思っています。面白がって読んでくれる方が少しでもいてくれれば幸いです。(個人ブログ「黒夜行」)

COMMENT

  • Comments ( 5 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. この本が発刊された時位までは確かに創造的な作品作りがされてたと思うんですが、ここ数作は自らが作り上げてきた乃木坂のイメージに良くも悪くも縛られてる印象。
    安定したと言えば聞こえがいい?
    そういう意味では2ndアルバムのジャケットは久しぶりにおおっ!と思った。

  2. もう一回読みなおそう

  3. By はじめの一歩

    MdNの特集はとても興味深く、楽しく読んだと記憶しています。
    それ以前からMVに関しては、はっきりどこがどうとは言えないけれど、微かな違和感というか、どこか「普通じゃない」感はあったので、なるほど!と納得したことが多々ありました。
    個人PVは、まあ、この企画自体が普通じゃないから笑
    でも、出来上がったものははっきり言えば玉石混交ながら、所々にある宝石のような輝きの作品に惹かれていたのが、後々MVのクリエイターに起用されていった経緯を知ることが出来て嬉しかったですね。
    ただ、筆者の考えた内容には、あまり納得出来なかったです。
    例えば、グループのメンバー全員が同じ事務所に所属していることに特別な意味を見出しているようですが、そうであるのは、むしろ当然で当たり前です。個々のメンバーが違う事務所に所属している場合もありますが、それはあくまで例外ですから。
    もっと気になったのは、筆者が果たしてどれくらい乃木坂46のMVや個人PV、CDジャケット等を目にされているのか?という点です。自ら疎いと仰っているのですから、詳しいとは毛頭思っていませんけど・・・。
    クリエイターの言葉を淡々と引用しているだけで、私が感じたような驚きや納得が余り感じられなかったので。

    • コメントありがとうございます。個人的にはホメていただくより厳しい意見の方が嬉しいので、ありがたいです。

      「もっと気になったのは、筆者が果たしてどれくらい乃木坂46のMVや個人PV、CDジャケット等を目にされているのか?という点です。」

      これはご指摘の通り、ほとんど目にすることはありません。なので、「私が感じたような驚きや納得が余り感じられなかったので。」という感覚もその通りです。

      一応僕の中には、こんな感覚があります。それは、

      【僕の文章を読んで、乃木坂46に興味を持ってもらえたらいいな】

      というものです。
      乃木坂ジャーナルという、既に乃木坂46が好きな方が集まるだろう場所に書かせていただいている文章なので矛盾しますが、元々この文章は自分のブログに書いているもので、それをこちらに転載していただいているので、ブログで書いている時はそういう意識でいます。

      そしてその場合、「既に乃木坂46のファンである僕自身の感覚や感想」よりは、「作り手側の論理や感情」の方が、まだ乃木坂46のファンではない人には届きやすいのかな、という感覚があります。

      「クリエイターの言葉を淡々と引用しているだけ」というのは、そこまでちゃんと意識していたわけではないですけど、僕の中のそういう意識の表れかな、という気がします。

      すいません、反論しようという意志は特にないのですが、自分なりに説明できることが思いついてしまったので書いてみました。これからもよろしくお願い致します。

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