夢を持つことは、可能性を狭めることだと、僕は思っている。
1冊丸ごと乃木坂46を特集する不定期刊のムック本「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」(KADOKAWA)は、今月発売された第4弾で多くの連載が最終回を迎えた。毎号エッセイを連載してきた齋藤飛鳥が、最終回のテーマに選んだのは『夢』だ。
別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.04 (カドカワムック)
「ひとつだけ覚えています。
先生もクラスメイトの親もその子に『将来に期待しかないね、若い頃から将来を考えるのは凄い、偉いね』って言うんです。
(中略)
ただ、あまりに皆が持ち上げるから、私には捩れて見えてしまうんです。」(「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」vol.4/KADOKAWA)
齋藤飛鳥は、夢を持っていなかった自身の幼少期を回想するうちに、将来は医者になると決めていた小学生時代の同級生を思い出してこう綴る。
凄くよく分かる。齋藤飛鳥が言う「捩れて」がどういう意味なのか、正確に捉えられているかは分からないが、その状況に対する強烈な違和感は理解できる。
人間は生きている限り、様々な制約によって縛られる。生まれた環境、性格や体質、使える時間、お金などなど、あらゆる制約が存在する。そういう中で、自分が注ぎ込める可能性すべてを費やさないと届かないような、とてつもない夢というのも、もちろんあると思う。先の同級生の「医師」という夢も、もちろん一部の超天才であれば楽々と乗り越えられるものかもしれないが、一般的には自分のあらゆるリソースを注ぎ込まなければ到達することが出来ない夢だろう。そういう意味で、若い頃からそういう夢を見つけ、それに向かって邁進できることは、とても素晴らしいことだと思う。決して悪いことではない。
しかしそれは、「他の選択肢をほぼ諦めること」とイコールである、という認識を持った上でなければ、その夢が叶わなかった時の挫折感に耐えられないのではないか、とも感じてしまう。
子どもの頃は、夢を持つことは大事だ、素晴らしいことだと言われる。そうやって大人は子どもに、「夢の持ち方」だけは教えてくれる。しかし、大人になるにつれて、いい大人にもなって夢なんて見てるんじゃない、と言われる。おかしい。子どもの頃はあんなに夢を持つことを奨励されていたのに、いつからダメになったんだろう。子どもの頃は「夢の持ち方」を散々教えてくれるのに、大人になるまでの間に誰も「夢の諦め方」を教えてくれはしない。いつの間にか、夢を持ってはいけないことにされてしまう。
「勿論当時から難しい事ばかりを考えていた訳では無いとは思いますが、夢とか希望とか、そういう類のものに疑問を持ち始めたのはこの時期です(※筆者注:先程の同級生への周囲の反応を見聞きしていた頃)。
そう、わたしは確かにここで違和感を感じました。
そして、夢を持たないという選択も、したはずなんです。全然覚えていないですけど。」(前出「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」)
僕も全然覚えていないが、人生のどこかで「夢を持たないという選択」をしたはずだと思う。子どもの頃は、それでもまだ自分に何か可能性を持とうと思っていたような気もする。でも徐々に、そういう意識を手放していった。まだその頃は、「夢を持つことは可能性を狭めることだ」なんて明確に捉えられていたわけではないと思うが、自分なりに、何か違うな、という感覚を持つようになったのだろう。
夢を持たないという選択をした齋藤飛鳥は、「実力」のない自分自身を嘆く。
「ほらわたし、今まで運だけでやってきてますから。実力なんてゼロですから。いつかバレてしまうんじゃないかと、ヒヤヒヤしてますから。」(前出「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」)
ネガティブな齋藤飛鳥らしい自己認識だが、しかしこの「実力」の話を、夢を持たないことと組み合わせて考えると、ちょっと面白い捉え方が出来る。
夢に向かっている人にとっての「実力」というのは、非常にわかりやすい。例えば医師になるのが夢であれば、「医学部に入学するための知力」や「手術の手技」「論文を書く技量」などを総合して「実力」と捉えることが出来るし、それぞれに対してどんな風に「実力」を伸ばしていけばいいのかという方向性もなんとなく分かるだろう。
一方、夢を持たない人間にとっての「実力」というのは、一体何を指すのだろうか?これは、ちょっと難しい問題だ。夢がないということは、向かうべき方向がないということだ。そこにじっとしていてもいいし、どの方向に進んでいってもいい。たどり着くべき場所がないのだからスピードも問われないし、回り道してはいけないということもない。そういう中で、「実力」というのは一体何を指すのだろうか?
「そのせいで、小さい頃の何も考えていない自分や実力をつけてこなかった自分に、腹を立てたことがあります。何度も。
誰かに必要とされる人間になるには何かしらの実力をつけなければならないと、躍起になった事もあります。」(前出「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」)
そういう気持ちになってしまうことは、よく分かる。僕もそんな風に焦っていた時期があったなぁ、と思う。でもやっぱり、目指すべき場所がないのだから、「実力」をつけるために何をしたらいいのかは全然分からないのだ。
僕は、夢を持たない人間にとっての「実力」というのは、可変性なのだと思っている。目の前に何か状況がやってきた時、その状況に合わせてどれだけ変化できるか、ということだ。そして齋藤飛鳥は、意識的なのか無意識的なのかは分からないが、この可変性という「実力」を伸ばそうとしているように僕には感じられるのだ。
「私、『このジャンルに向いてるよね』って言われるのが好きじゃなくて。曲によっていろんな見え方ができたほうがいいかなと思っているので、それは意識していますね。」(「月刊ENTAME」2017年5月号/双葉社)
齋藤飛鳥は、自分自身が何らかの「枠」の中にはめ込まれることを嫌う。夢を追うことが、スペシャリストを目指すことだとすれば、齋藤飛鳥の意識はその対極にある。
「私、なんに対しても“こだわりを持つ”ってことが好きじゃなくて。もちろんいい方向に進む努力はしますけど、なるようになってくれればいいし、私は絶対にこうなりたいって夢は持ちたくない。自分にも、周りにも、あんまり期待はしたくないんです。そのほうが、ワタシ的にはいい意味で楽なんですよね。」(「Graduation 高校卒業2017」/東京ニュース通信社)
齋藤飛鳥は、こだわりを持てば持つほど、可変性が失われることを直感的に理解しているのだと思う。進むべき道を決めてしまうことが、それ以外の道を諦めることと同じだと知っているからこそ、彼女は踏み込まない。
それはとても勇気の要る生き方だ。彼女が言う「実力」を身につける方が、分かりやすい安心を得られる生き方になるはずだ。自分に名前が付けられるような「実力」があり、それが発揮される場があるという生き方は、きっと心を安定させるに違いない。自分はこういう人間だ、という打ち出し方をする方が、楽に感じられることも多いだろう。しかし彼女はそうしない。夢を持たない彼女にとっては、どんな状況にでも対応できる可変性を持ち、自分自身の輪郭をはっきりさせない生き方の方がベストだと感じているからだろう。
「私はファンの皆さんが抱いている私のイメージをまるまる全部は認めてはいないんですけど、自分らしさは自分が決めるものだとも思っていないんです。だから、齋藤飛鳥として求められるものにきちんと応えていきたいと思っています。」(「日経エンタテインメント!アイドルSpecial 2017」/日経BP社)
齋藤飛鳥は決して、自分の考えを持っていない人間ではない。むしろ、この若さで自分自身を支える独自の考え方を持っている凄さを常に感じさせられる。それでいて、他人からの期待やイメージを拒絶せず、それらを自分の考えと織り交ぜていきながら、新たな状況に適応していく。夢を持たずに生きてきた彼女の最大の強みは、この点にあると僕は感じる。
そんな齋藤飛鳥が、「手っ取り早く夢を叶える方法」を教えてくれている。
「そして次に、自分の夢に近しい人と仲良くなりましょう!
なんとなく理にかなっている気がしますがどうですか?
これはつまり、媚びるという事です!
媚びには需要があります!
媚びて媚びて、他人の力で夢を叶えてしまう!」(前出「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」)
この文章を、言葉通りに受け取ってはいけない。「手っ取り早く夢を叶える方法」の最初の提言は「夢のレベルを下げましょう!」だ。ある意味で逆説的なアドバイスを送っていると捉えるべきだろう。だからここで齋藤飛鳥が言いたいことは、「自分の夢のためなんかに媚びるな」ということではないかと思う(曲解かもしれないが)。
「―いまも『世の中そんなもん精神』はあるんですか?
はい。9枚目、10枚目くらいから思い始めたんですけど、その頃はまだスタッフさんに褒められたらそのまま鵜呑みにして、期待に胸をふくらませていたこともあったんです。でも、結果的に期待はずれになることも多いと分かったので、いまは『世の中そんなもん精神』がより強固になってます。―『世の中そんなもん精神』は、ビートたけしさんの『人生に期待するな』という言葉にも通じるなと思うんです。その分、冒険ができるというか、モデルなりラジオなり新しいジャンルにも恐れず飛び込めるのかなかって。
そうですね。小さいことで『うれしい』と大きく感じることもできるようになりました。『世の中そんなもん精神』があるから何に対しても高望みしないので、うまくやれている部分もあるのかなと思ってます。」(「EX大衆」2016年5月号/双葉社)
夢を持たず、可変性という「実力」を育ててきて彼女だからこそたどり着ける場所がある。どこも目指さないからこそ、どこまでも突き進むことが出来る。彼女の生き様は、「夢を持たないこと」の強さを実感させてくれる力強いものだと感じさせられた。
「仕方ないんです。だって、さみしーんだもん!
“終わりあるもの”は好きだけど…寂しいものは、寂しい。」(前出「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」)
今回で連載が終了する齋藤飛鳥の嘆きの言葉だ。しかし、「寂しい」という言葉よりも、「”終わりあるもの”は好きだけど」という言葉の方がより強く視界に飛び込んでくるように感じられるのは僕だけだろうか。期待せずに生きる生き方が凝縮された一言であるように、僕には思えるのだ。
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