『川尻松子』を言葉で表現することが出来るだろうか? 表現する資格があるだろうか? それが僕の観劇後の最初の想いです。
9月29日~10月10日まで、品川プリンスホテル クラブeXで行われた舞台『嫌われ松子の一生』の「赤い熱情篇」(桜井玲香主演)、「黒い孤独篇」(若月佑美主演)を観させて頂きました。観た人がどの様な人生をおくってきたかによって、感じ方が大きく変わる舞台じゃないかと思いました。とてもじゃないけど、言葉では表現しつくせない。
『嫌われ松子の一生』は乃木坂46が参加する舞台にしては、少し“大人テイスト”な作品でした。自分自身の言葉で、『川尻松子』を表現できるか、自信が無いので、『大人の道具』=お酒の力を借りることにしました。
実は観劇前から決めていました、『この舞台を観て、どんなお酒が飲みたくなるか?』、そういう感覚を通して、舞台を観てみようと。来年2月にDVDが発売されるとのことで、届いたら、そのお酒を飲みながら、再度観ることにしよう、そんな風に思っています。
僕が思いついたお酒は『日本酒』でした。日本人にとってはありふれた、身近なお酒ですが、少し深く見つめていくと、運命に翻弄された、悲しくて、嫉妬深くて、身勝手で、情けなくて、理不尽で、黒歴史、そんな物語が見えてくるのです。
今、“純米酒”というと、日本酒の中では上級の地位を占めるお酒となっています。でも、以前は日本酒=純米酒でした。米と水から造るお酒、それが本来の日本酒です。
それが大きく変化した時代があるのです。それは『戦争』です。戦地の兵士の癒しの品として、アルコールが大量に必要とされた時代でした。そのため、米だけで造られていた日本酒に『醸造アルコール』、『糖類』、『酸味料』等を添加し、かさ増しした日本酒が造られるようになりました。元の純米酒の三倍の量となる『三倍増醸酒』の誕生です。
三倍増醸酒を一言で言い換えるなら『安酒』です。戦時中~戦後の日本を支えたお酒です。ただ、現在の日本に生きる僕の目から見てしまうと、残念ながら目を背けたくなります。
舞台の序盤、僕が飲みたいと思ったお酒は、この『三倍増醸酒』でした。ただ、今の日本ではおそらく造られていません。二倍増醸酒が限界と聞きます。その中でも、近い物はこれかなと思います。
人工的で画一的な香り=付け香、不自然な甘さ=糖類、上辺だけの取り繕い、お酒の味というよりも、アミノ酸の味=酸味料、そして、翌日の不快感。一夜を伴にすることはあっても、生涯を伴にすることはない。
捨てられ、裏切られ、裏切られ、その度に絶望し。ところが、新しく言い寄ってくる男がいると、コロリと言いくるめられる松子を見ていると、『安易』、『軽薄』、そんな言葉が頭をよぎります。こんな状況に合うお酒は、運命に翻弄された三倍増醸酒以外に僕は考え付きませんでした。
舞台が終盤になると、松子の描かれ方が大きく変わってきます。神々しい松子が描かれています。皆さんがどの様に感じたか、おそらく、観る方によって大分違うと思うのですが、僕は『狂気』を感じました。
この狂気を上手く表現できそうもないので、また、お酒の力を借りたいと思います。
僕が終盤の舞台を観ながら飲みたいと思ったお酒はこれです。
『獺祭純米大吟醸 磨き二割三分』
僕達が普通に食べる白米が精米歩合約90%程度と言われています。精米とは稲から取れたお米の『ぬか』を取るためのもので、精米歩合90%は、10%を削って、ぬかとして捨てるという事です。
日本酒造りにおいては酒造好適米という、食用とは違う米を使うのですが、大吟醸で50%の精米歩合が求められています。50%を捨てて日本酒が造られるのです。50%でも、随分もったいないと思うのですが、獺祭の『二割三分』においては、77%をぬかとして捨てて、日本酒を作ることを意味しています。米の本当に芯の部分だけを用いた酒造りです。
よく考えてみて下さい。米作りは大変な労働です。天候に左右され、病害虫に恐怖し、やっとの思いで作り上げたものです。もしも、このお米が有機米だとしたら、その努力は想像を絶するものとなります。その必死の思いで作ったお米の77%を捨ててしまう……。僕はこの日本酒には狂気を感じます。純粋が故の狂気です。
『獺祭純米大吟醸 磨き二割三分』を実際に飲んでみました。抜栓直後、日本酒なのに、米から造ったお酒なのに、フルーティーな香りが充満します。ところが、口にしてみると、恐ろしく『硬い』、『重い』お酒です。真っ直ぐぶつかって来過ぎて、飲んでいて辛い。純粋すぎるが故に、飲み手に『覚悟』が必要とされます。
大吟醸と普通の純米酒を比べた時、純米酒は『雑味がある』と表現されることがあります。僕はこの雑味は旨味とも捉えられるし、ふくよかな印象もあって、個人的には大吟醸より純米酒の方が好きです。余裕というか、ゆとりがある方が落ち着くんです。けれども、あまりに純粋に、真っ直ぐ向かってこられた時、覚悟が決まってないと、上手く受け止めてあげることが出来ない気がします。
舞台終盤、出所した龍洋一は、自分の帰りを待ってくれていた松子から逃げてしまいます。僕が唯一共感出来たシーンです。ピュア過ぎる想いは、時に狂気となり、受け取る覚悟が必要となります。時が経ち、洋一にその覚悟が出来た時、松子は、既にこの世にはいなかったのです。
舞台が終幕して、僕の心には非常に冷たい感覚がありました。冷えて冷えて、寒くて寒くて仕方が無かった。こんな時には何か温かいものが良いのでしょうか? だとしたら熱燗なんかが良いのでしょうか?
この時の僕は違いました。冷え冷えとした心が欲したのは、やはり冷え冷えとした日本酒でした。『硬い』お酒を冷やして飲むと、その『硬さ』が前面に出ます。非常にとっつきにくいお酒となります。でも、それでいい。心がもっと冷えてしまう、寒すぎて辛くなる位の日本酒が飲みたくなりました。そんな事をしても全然足りない位、全然想像がつかない位、松子の心は冷えていたのではないか? 人生の最期を迎えた時の松子の心を想う度に、心が寒くて寒くて仕方が無くなるのです。
Okabeさん、お久しぶりです!!
投稿ずっと楽しみにしてました。
この舞台を観に行ってないし、お酒も飲めないんで何の感想も言えません(^^;)
次の投稿も楽しみにしてますね。
久しぶりの投稿ありがとうございます!!もうやめたと思ったー!
また投稿して下さい!