3月25日(水)、乃木坂46の冠番組『乃木坂って、どこ?』(以降、乃木どこ)がついにDVDとして発売された。CDデビュー以前から放送を開始し、今に至るまで多くのファンに愛されてきた乃木どこ。ライブアイドルと呼ばれるAKBグループのように専用劇場を持たず、メディアアイドル寄りな乃木坂にとって乃木どこの存在は、楽曲制作、ライブ、握手会と同等に価するといえるだろう。今回の「乃木坂をよむ!」は、乃木どこがもつ役割について筆者の考えを述べていこうと思う。
乃木どこを語る上で絶対に欠かせないものといえば、シングル選抜発表だろう。次回発売されるシングルの表題曲歌唱メンバー(=選抜メンバー)を決めるグループにとって最も重要なイベントの1つと言ってよいだろうこの企画。メンバーにはその日の収録で選抜発表があることすら直前まで知らされていないようで、過去11回の選抜発表では毎回ドラマが生まれている。特にメンバーにとってもファンにとっても衝撃が大きかったのは、4thシングル「制服のマネキン」、6thシングル「ガールズルール」、7thシングル「バレッタ」であろうか。
4thシングル選抜発表の際は、1期生オーディション後間もなく休業を発表した秋元真夏が突然の復帰、それも選抜の中心的ポジション・八福神の1人としていきなり選抜メンバーに抜擢されることとなった。秋元真夏という謎のメンバーの突然の抜擢に、ファンもメンバーもおそらく本人も困惑することとなったのだ。
6thシングルではデビュー作から5作連続で生駒里奈が務めていたセンターポジジョンが白石麻衣へと移り、デビュー以来、グループにとって初めてのセンター交代となった。フロントのメンバーも一新し、これまでよりも綺麗なお姉さんグループの度合いが強まる。白石がセンターを務めたのは一度きりだが、その知名度と人気を高めたという意味で彼女の貢献は計り知れない。
7thシングルでは当時研究生だった2期生・堀未央奈が突如センターへと抜擢されることとなった。彼女の抜擢は結果的に1期生と2期生の関係をより密にしていくと同時に、生駒以外のメンバーがよりグループについて考えるきっかけにもなった。思い返してみると、8thシングル以降アンダーメンバーが躍進していくのも、この一件があったことが少なからず影響しているのかもしれない。
このように乃木どこで行われる選抜発表は次回の表題曲を歌うメンバーを決めるだけでなく、グループの物語に大きな影響を及ぼすほどの重要なイベントなのである。
乃木どこはファンにとって、メンバーにとってどのような存在なのだろうか。乃木坂のファン層はこれまでアイドルと無縁だった層も少なくない。そのような人々が乃木坂にはまるきっかけとなっているのが乃木どこであり、筆者も乃木坂に興味を抱くきっかけとなったのは乃木どこだった。司会としてメンバーの魅力を引き出し番組を盛り上げるバナナマンの存在は偉大で、自覚はないだろうが多くの人が彼らのおかげで乃木坂のファンになっている。
乃木どこを通して乃木坂に興味を持つようになったファンは過去の動画を漁る傾向にあるが、それができることも乃木坂というメディアアイドルの魅力だ。例えば、ライブアイドルの場合、生モノである劇場公演は新規ファンがいくら望んでも過去の公演を同じように体感することはできない。一方で、テレビ番組である乃木どこは過去の回を見返すことも可能で、新規ファンが乃木坂の物語を後追いすることを可能にする。乃木どこはファンが乃木坂の歴史を振り返り、物語を共有する上で重要なメディアなのである。
ここからは乃木坂46というグループに対して、乃木どこという番組がどのような役割を果たし機能しているのかについてより深く考えたい。
乃木どこという番組は、その時どきのシングル選抜メンバーが出演することが基本となっており、アンダーメンバーや研究生は企画で特別ピックアップされるときや全員参加の回に限って出演している。よって収録の度にバナナマンと会っているメンバーもいれば、数ヶ月ごとにしか顔を合わせないメンバーも出てくる。最近はアンダーライブの好評でアンダーメンバーにも今まで以上に注目が集まり、彼女たちの出演頻度も高くなっているのたが、乃木どこの基本的な体制自体は変わっていない。
乃木どこという番組がなぜそこまで選抜という枠を使うことにこだわるのか。それは乃木どこに選抜制度を機能させるという役割があるからだ。選抜とアンダーメンバーのそもそもの大きな違いは表題曲を歌えるか否か、そしてメディアでの露出頻度の違いにあり、それが明確に反映されているのが乃木どこなのだ。福神とその他の選抜にも同じことがいえ、乃木どこでは前列に座る選抜と後列に座るその他の選抜メンバーというように分かれている。
このように福神、選抜、アンダーのヒエラルキーを明確にすることは若い彼女たちにとってはかなり残酷な行為かもしれない。だが結局それがメンバー、ファンの競争意識を高め、グループ全体の成長につながっていることもまた事実なのだ。階級と格差を設けることで競争を盛んにし、新たなドラマを誕生させるというやり方はAKB48がすでに成果を出しているやり方であり、シングル選抜総選挙がない乃木坂にとってはこのシングル選抜発表に同じくらいの重みがかかっている。選抜や福神になるためのモチベーションとして「もっと乃木どこに出たい」「番組で私を知ってもらいたい」という思いをメンバーに持ってもらうためのヒエラルキーの明確化という役割が乃木どこにはあるのだ。
現在の乃木どこのように選抜メンバーに出演メンバーを固定することに反対の意を唱えるファンがいないわけではない。ただ、乃木どこという番組は「出演するもの」と「出演しないもの」がいることに意味を見いだし、意図的にそれを行っている番組である。冠番組である乃木どこがそのような役割を担っているため、「NOGIBINGO!」のような大人数が参加する番組や「乃木坂って、ここ!」や「のぎ天」といったアンダーメンバーに焦点を当てる番組が並行して存在するのである。
乃木どこという番組はメディアアイドル乃木坂46の冠番組という看板以上のものを持ち合わせている。乃木坂46の物語が進行する場として、そして選抜メンバーにとっての聖域としての役割をもち、乃木坂46を追う上で欠かすことのできない存在だ。噂されるリニューアル後どのように番組が変化するかはわからないが、それがグループに与える影響や変化は決して小さくないと思われる。ただ、私たちファンが、翌日学校や仕事があろうと日曜の深夜を楽しみにする生活にはきっと変わりはないだろう。
お見事な文章とても興味深く拝見しました。自分現在浜松住まいでぎりぎりTV愛知で乃木どこが見れて当然のようにNOGIBINGOは見れない地域なので乃木どこの存在はとてもありがたいです。
ネットの動画でこんなものがありました。齋藤飛鳥が乃木どこを見て涙を流したっていう動画です。初めて二期生を紹介する回で寺田蘭世の顔が小さいという話題になったとき設楽さんが
「でも、ほらうちの齋藤飛鳥も顔小さいじゃない。」って言ったことが飛鳥が泣いた理由なんだそうです。それまで数えるくらいしかスタジオに行けてなかった、選抜である時期が短くて自分のことなんて覚えてないだろうって思ってた多忙な設楽さんがまるで身内を自慢するかのように「うちの」って言葉を使ってくれたことにとても感動したんだそうです。
7枚目の選抜ではそれまでメンバーに意地悪なあだ名つけたりしてた川後さんがどれだけメンバーから愛されてかわいがられているのか、一回も選抜に入れないまま卒業する覚悟を決めたゆっきーなに思わず手を握り締められて呆然とする衛藤美彩の健気さ、自分のことより仲間のことでうれし涙を流せる齋藤飛鳥、いろういろな発見ができました。
3枚目選抜の後、選抜から零れ落ちたメンバーに向ってバナナマン二人が語った熱いメッセージ。あの回で乃木坂とバナナマンの絆ができたんだって思ってます。ゆみ姉が卒業するときに語った「今のままのピュアなみんなでいてください」っていう言葉。市来さんの「どんなことになってもみなさんに感謝するんだよと母にいつも言われます」という言葉。3枚目選抜での桜井玲香の「選抜選抜じゃないそんなこと関係なく私たちは33人で乃木坂なんだ」っていう言葉、たくさんのドラマがありましたね。乃木坂の曲には一枚一枚に物語がある。それを作ってきたのが乃木どこっていう番組。ぜひ続けてほしいですね。
自分は乃木どこから入った人間なので乃木どこはとても重要な位置にあります。単純に番組がおもしろくて好きっていうのもあります。
ただ、選抜発表は最近はつまらないですね。いい意味でも悪い意味でも変わらないですからね。
これからは、この絶望的な格差が生まれたグループをどう運営させていくのだろう、そしてこの冠番組はどう変化していくのだろう、それか変わらずにいくのか。ワクワクしますね!