乃木坂46が行っている企画『個人PV』とは、メンバーの魅力、個性などをファンに伝えるためのツールのひとつです。「このメンバーを応援したい!」、「このメンバーをもっと知りたい!」、そんな風にファンに思ってもらうためのものです。
そういう意味において、秀逸だったのは中田花奈さんのPVです。『応援とはなんぞや?』という、中田さんが好きそうな哲学的な要素を入れつつ、ラストシーンの「フレ!フレ!みなさん」には大変癒されました。この作品を見ると中田さんを応援したくなるはずです。
中田さんのPVと同じように、哲学的要素が満載なんだけれども、それとは対極にある様な、PVを見た人が深く考えさせられる作品が、今回取り上げる伊藤万理華さんの作品です。タイトルは『万理華』ですが、みなさんが考えるとしたらなんてタイトルをつけますか? こんなことを考えている時点で、すでに楽しませてもらっています。僕の中では、劇中の印象的な言葉を使って「何人目の万理華?」が第一候補です。
一番気になっているのが、「万理華おばあちゃんは、最後に死んでしまっているのかどうか?」です。初めてこのPVを見た時に、静かな音楽、暗めの画像、最後にドクターが扉を出て行くシーンで、万理華おばあちゃんは死んでしまったんだろうなって、僕はそう思ったのです。でも、2回目に見た印象は逆でした。万理華おばあちゃんはドクターの治療のおかげで生きていると思いました。
一体どちらなのでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=MgvVDAOXKQM
まず、登場人物を整理します。万理華さん、少年、年配の女性、その配偶者(予想です)、ドクターの5人です。少年は左利き、配偶者の男性は右利きです。あとは、劇中の描写から万理華さん=年配の女性、少年=ドクターだと思います。
何故、僕はこのPVを見た時に、『死』を連想したのでしょう? そこから、話を進めてみたいと思います。
まず、この作品は病院が舞台です。病院は病気を治すところである一方で、今の日本では死を迎える場所でもあります。若くして入院を余儀なくされている万理華さんは、何らかの病なのでしょう。
少年と万理華さんがふれあう場面の後、暗い病室が映されます。万理華おばあちゃんと、彼女の配偶者の場面は、病室自体が殺風景で、そこに入院生活感が感じられません。整理されすぎています。
このシーンの後(DVDの時間で19分30秒のシーンです)、ドクターと配偶者が向かい合って話しています。察するに、楽観的な話題ではなさそうです。この辺のところで、僕は死を連想してしまったんだろうと思います。
その後、ドクターと配偶者が握手をしているので、このシーンを重く見るなら、万理華おばあちゃんの治療は上手くいって、今も生きていると解釈できます。
それでも、最後のドクターと万理華おばあちゃんのシーン、あの殺風景さと、ドクターが去り際に万理華おばあちゃんの首筋を手で触れます。僕にはあのシーンは『別れの挨拶』に見えて仕方がありませんでした。まるで、「今までお疲れ様、よく頑張ったね」って言っているように僕には見えるのです。
僕にはこの問題の答えが出せそうにありません。ただ、一つ言えることは、このPVには『死の暗示』があります。アイドルの作品としては異色のものだと思います。でも、死を取り扱うことは決してタブーではありません。
『生命における唯一絶対の真理は、必ず死ぬということ』
『死の暗示』という挑戦的な試みをしている伊藤万理華さんの個人PVは、『アイドル』という枠を超えてしまっている作品です。
劇中の印象的な台詞「人間の体の細胞は、7年かそこらで全部入れ替わってしまうんだって」は、死を意識せざるを得ない、病気の自分から変わりたいという強い生への願望と意志を感じます。
『死』を意識するからこそ、『生』が輝く。『死の暗示』という暗い題材を扱っていても、万理華さんの輝きが翳ることはありませんでした。
個人PVとして、万理華さんのPVほど、個性的に個人を輝かせてくれたものは他にはありません。輝きにあふれる万理華さんだから撮れたPVなんだろうと、僕はそう思うのです。
SMR (2013-11-27)
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僕は単純に湯浅監督の短編映画として楽しめました
前作の橋本奈々未さんの作品も、今作の伊藤万理華さんも、
普遍的な課題を題材に湯浅監督が取り組まれたのが読み取れます
女優を目指す2人のPVとしてはこれ以上ない出来だと感謝しています
湯浅監督には次も参加頂きたいと楽しみにしています