皆さんはいつまで乃木ヲタを続けますか?
漠然とではありますが、僕は『いつまで?』ということをよく考えます。深い意味はありません、性格上の問題というだけです。自分の推しメンが、乃木坂46での活動をやり尽して、そして卒業を迎えた時、ファンとしても幸せな卒業を迎えられるでしょう。
そうじゃない場合ってあるかな? そんな疑問に、最近ようやく答えを出すことが出来ました。
自分が乃木ヲタを卒業する時は、乃木坂のパフォーマンスを観ても、感動しなくなった時かなと。
今回のソチオリンピックを観ていて、思ったことがあります、『応援』って何だろう?って。僕自身、表舞台に立って表彰されたりして輝いてみたいという願望があります。でも、それが簡単なことではない事も十分に自覚しています。
僕達はオリンピックの表舞台で輝こうとしている選手をテレビの前で応援していました。自分には到底出来ないことを成し遂げようとする選手を応援していました。多分、その『応援』という行為は、その選手に自分の願望=『夢』を託しているんじゃないか、僕はそんな風に思ったのです。あるいは、その『夢』は選手の努力が報われてほしいという願いかもしれません。
テレビ、ライブ、ブログ、握手会、僕達乃木坂ファンは、メンバーを色々な形で応援しています。2月22日の横浜アリーナに集まったファンは、メンバーが輝く姿を見にやって来ました。そして、ステージで輝くメンバーの姿を目の当たりにして、嬉しさや楽しさ、それぞれの感動を覚えたのです。
感動、それは心の動きを感じること。バースデーライブではファンみんなの心が動きました。僕は来年もう一度、僕達の応援する乃木坂メンバーがバースデーライブという舞台で輝く姿を見てみたいと思いました。
今なら自信を持って言えます、僕はメンバーに夢を託します。自分には出来ない、舞台の上で輝くという夢を託します。
次はプリンシパル!
乃木坂の「夢」って何?
意味不明
自分もおっさんがた(笑)と同じく、夢を託す存在と考えたことはありません。
おっさんにだって夢をもつ自由やその夢を叶える可能性はあるわけですから。
夢を追う勇気を与えてくれる存在だとは思いますけど。
自分の場合、音楽性に惹かれて乃木坂を支持するようになったので
良い曲を出せなくなったり、その音楽性自体が変化してしまったら応援できなくなるかも。
メンバー個々のパフォーマンスや夢の実現というのも大事だとは思いますが
総体としての乃木坂、いちアーティストとしての乃木坂として自分は考えると思います。
それと、これは乃木坂のメンバーとはまったく別の話なのですが
乃木坂や乃木坂のイメージに反するジャケットデザインになったら買わなくなるかも。
美術的価値のないものにお金は払いたくないし、手元に置いておきたくないので
「買い支える」という意味では個人的に重要なファクターだと思っています。
余談ですが…okabeさんは以前から非常に現場を重視されていますよね。
乃木坂のすべての事象が舞台の上だけで起きているわけではないし
そういう部分も含め「この人とは考え方が違うな」と、書かれる記事を読むたび感じてます。
おっさんの私だとちょっと違う感じですね。
自分の望みを託すような感情はありません。
五輪の選手とかだと純粋に「頑張れ!」ですが、ドルヲタとしては推しメンに
「幸せになって欲しい」という気持ちですね。
『AKB白熱論争』にもそんなようなことが書いてあった記憶がありますが
(確認してないので、正確でない可能性もあります)、「推す」とはひたすら
誰かの人生を後押しすることのような気がしています(自己満足的ではありますが)。
落ち込むことがあれば元気づけ、チャンスを掴んだらともに喜び、晴れの
舞台なら可能な限り馳せ参じ、会える機会があるならば飛んでゆく。
いずれ卒業するまで、あるいは卒業しても芸能活動を続けるなら可能な限り
「推す」。
誰からも要請された訳では無いけれど、「推す」ってのも面白い行為ですね。
なかなか足は洗えなそうなんですけどね(笑)。
おっさん2号です (笑)
わたしもまず筆者殿の文章をよんで思いました。
応援とは、思い入れをもったメンが夢を叶えるのを少しでも
支援することと思っています。
ほんとうに微力だし、握手券買うとかの彼女らのグループ内での
地位の向上との相関が高いもの以外は、よけいなお世話かもしれないけど。
そして幸せな卒業を、さらに歌を唄うことが好きで乃木坂の一員になったのならばずっと、彼女が飽きるまで、幸せにうたってくれるを支援すること。
必ずやしているであろう辛い思いを、すこしでも軽減させることなんて
できやしないんだろうとは思いながらも、ついやっちゃうのは、
その人を想う愛ではなく、勝手な恋の範疇かもしれませんがね。
て、誰の推しか、わかっちゃうよね。。。