「THEアイドル」を目指さない齋藤飛鳥の真骨頂~「齋藤飛鳥の1人でヒット祈願inミャンマー」を見て~

毎夏恒例のチャリティー番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」を横目で見ながら感じることがある。
それは、みんな泣いていて不自然だな、ということだ。

傍観者である僕はそこに、「泣かなければならない圧力」みたいなものを感じ取ってしまう。
その圧力は、現実に存在するものかもしれないし、出演者個々の妄想の集合体みたいなものなのかもしれないが、いずれにしてもそういう圧力に「屈して」泣いているように見えてしまう。

これは語弊があるだろうからきちんと説明するが、本当に感動や悲しみを覚えて泣いている人ももちろんいることだろう。それを疑っているわけではない。
ただ、実際に悲しいと感じて、あるいは感動して泣いているのだとしても、前述したような圧力がある場(あるように見える場)で泣くということは、そういう圧力に「屈して」泣いているように受け取られても仕方がない、と僕は思う。

それは何も「24時間テレビ」に限った話ではない。オリンピックやワールドカップなどでみんながみんな日本を応援している感じとか、バラエティ番組で、ここで笑ってというように笑い声が挿入されている感じなど、昔から「そう感じなければいけない圧力」「感じたことを表に出さなければいけない圧力」みたいなものに対して強烈に違和感を覚えてきた。僕はそういう場所からは出来る限り逃げるようにしてきた。

「嬉しさ伝わってますか?」と問う齋藤飛鳥

さて、齋藤飛鳥の話である。

先日「乃木坂工事中」で、乃木坂46の15thシングルキャンペーンである、『新センター・齋藤飛鳥のミャンマー1人旅』を見た。以前、齋藤飛鳥の料理に強烈なナレーションを入れたディレクターが担当だとかで、齋藤飛鳥の自由奔放な感じとか、他人とは感じ方の違う部分なんかがうまくフィーチャーされていて、彼女のファンとしてはとても面白い回だった。

その中で、僕がとても気になって、とても共感できた部分がある。

初日の撮影を終えて、
『撮れ高は(スタッフが)満足をして帰ることは無いと思います。何とかパゴダの時も、だいぶ私の中でテンションすごい上がってたんですよ。お寺とか好きだし。で、アレなので。(テンション上がってるように見えませんでしたよね?という確認の発言)』

ゴールデンロックを前にして、
『結構いまテンション高い。感動してますよ、いま。(と割と落ち着いたテンションで話す)』

誕生日サプライズを受けて、
『嬉しさ伝わってますかね、ちゃんと?』

この旅中、齋藤飛鳥は何度かこういう類の発言を繰り返していた。
そしてこういう部分を、僕はとてもいいなぁ、と感じてしまう。

悲しかったら涙を流すとか、嬉しかったらはしゃぐとか、怖かったら叫ぶみたいな「反応」って、どうしても「他者」の目を意識したものになる。もちろんこれも先ほどの「24時間テレビ」の話と同じだが、例えば「他者」が誰もいなくても嬉しかったらはしゃぐ、という人はいるだろう。しかし同時に、そういう振る舞いが「他者」を意識したものであるように受け取られることは仕方ない、と僕は思っている。

アイドルというのは、そういう「反応」をどれだけ自然に見せられるか、ということも人気を左右する一つの指標となるだろう。何らかの感情の動きに対して、それを外側に分かりやすく「反応」として提示することで興味を持ってもらったり好きになってもらったりする。それを意識的にやろうが無意識的にやろうがどちらでも構わないが、いかに自然にそう振る舞えるかで、人気や評価が変わってくる存在であるように僕は感じている。

「THEアイドル」を目指さない齋藤飛鳥

齋藤飛鳥は、恐らくではあるが、そういう存在としてのアイドルを「THEアイドル」と呼んでいる。

インタビューなどで頻繁に、「昔はTHEアイドルを目指していたけど、そうじゃなくても受け入れられることが分かってからはそれを目指さなくなった」というような発言をしている。そこで言う「THEアイドル」は、恐らく僕が前述したような部分も含むのではないかと思うのだ。

齋藤飛鳥は、その「THEアイドル」を目標にすることを止めた。「THEアイドル」を目指していた頃のことは詳しく知らないが、僕は今の齋藤飛鳥の振る舞いが好きだ。

ミャンマー1人旅をしている齋藤飛鳥は、確かに笑顔ではあるが、物凄く楽しそうに見えるわけではない。馬がただぐるぐる回っている土産物を見た時や、ゴールデンロックから霧が晴れた景色を目の当たりにした時などに、瞬間的にテンションが上がったりするような場面はあるが、全般的に同じようなトーンで過ごしているように見える。

しかし齋藤飛鳥自身の感覚としては、凄く感動している時とそうでない時がきちんとあったのだという。
そして、凄く感動している時に、それを「反応」としてわざわざ提示しない姿勢に、僕はとても好感を抱く。

「反応」を見せない、という勇気ある選択

齋藤飛鳥がどういう感覚でそういう振る舞いをしているのかは分からないし、別に意識的にやっているわけではない、ということだってあるだろう。ただ、どういう感覚でそうしているかに関わらず、感情を「反応」として提示しないという選択はなかなか勇気がいるものだと僕は感じる。そしてそれを結果的に選びとっている齋藤飛鳥は凄いと感じてしまう。

感情に合わせた「反応」をわかりやすく見せる方が、一人の人間としても楽だし、当然アイドルとしても楽なはずだ。アイドルだから、芸能人だから、ということとは関係なしに、世の中の多くの人が一種の処世術として感情に合わせた「反応」を見せる、という振る舞いをしているはずだ。「反応」を見せないことで、周りを不安にさせたり、余計な誤解を生んだりすることもあるだろう。特別良いことはないはずなのだ。

だからこそ、そういう行動を取る齋藤飛鳥に僕は、強い意志を感じてしまう。それが本来の齋藤飛鳥であるのかどうかはともかく(僕は、そういうあり方が本来の齋藤飛鳥に近いのだろうと思ってはいるが)、「反応」を見せないという自分を提示する、という選択に、自分自身を貫く意志や、何か大きなものに抵抗する意志など、敢えて苦しい道を選んでいるような強い何かを感じてしまう。その分生きづらくなるはずだが、たとえそうだとしても自分の感覚に正直でいようとする振る舞いに、好感を抱く。

齋藤飛鳥自身は恐らくそこまで意識的にはやっていないだろう。僕も、「反応」を見せることが苦手なタイプだから、齋藤飛鳥の振る舞いはそもそも共感できる。自分がどう思ったかが大事なわけで、別にそれを周りにいる「他者」(面識があろうがなかろうが)に見せる必要はない。きっとそれぐらいの感覚だろうと思う。自分のあり方に素直なだけだ。
しかし一方で、「反応」を見せないことで、周りの人を不安にさせたり、要らぬ誤解を与えたりする経験も数多くしてきたはずだ。アイドルであれば、なおさらそれが不利に働く場面もあるだろう。そういう不利益があることが分かっていて、なおそういうあり方を貫く齋藤飛鳥の姿に僕は惹かれる。

それ故、「反応」の真実味が増す

しかも、「反応」を見せない振る舞いが基本だからこそ、「反応」を見せた時の真実味みたいなものが増す、ということもあるはずだ。
他のメンバーのインタビューを読むと、齋藤飛鳥はよく泣くと書かれている。僕にはそのイメージは特にないのだが、しかし本当に齋藤飛鳥がよく泣くのだとすれば、その涙はより本物に近いように映ると僕には思える。

何故なら、普段「反応」を示さない齋藤飛鳥が、「泣く」という「反応」を露わにしているからだ。

僕はライブや握手会に行ったことがないので、そういう場で実際に涙を見せているのかどうかは知らない。ファンにも見せるのか、あるいはメンバーの前でだけなのか、それは僕には判断できないが、いずれにしても、彼女の涙を見た者は、それが普段見られない齋藤飛鳥の「反応」であるという意味で、よりその「反応」を強くリアルに感じ取るのではないかと僕は思うのだ。

もちろん、その辺りのことを齋藤飛鳥が計算でやっている、なんてことを主張したいわけではない。計算だろうが計算じゃなかろうが僕にはどっちでも構わない。いずれにしても、見せる必要がないと自身が感じる「反応」は敢えては見せない、というミャンマー1人旅の企画で見せたそのスタンスは、齋藤飛鳥に対する僕の関心をより強くした。

ミャンマー1人旅企画で見せた他の魅力

ミャンマー1人旅は前述のような部分以外にも、齋藤飛鳥の魅力に溢れた企画だった。

例えばその独特な言語感覚。ある料理を食べた時、齋藤飛鳥はこんなコメントをしていた。

『台湾に着いた瞬間に、国の匂いってあるじゃないですか? それの味』

味についてはまったく何も伝わらないのだが、その独特の言語センスがとても素敵だ。ミャンマーでご飯を食べていて台湾が出てくるのも謎だし、国の匂いが味です、という日本語はメチャクチャなのだけど、でもそういうことを言っても齋藤飛鳥はバカっぽく映らない。安部公房や遠藤周作などの作品を読んでいるというイメージがそうさせるのか、あるいは常に一本芯が通っているかのような雰囲気がそう見せるのか分からないが、齋藤飛鳥の発言は、内容的にそれがどれだけ意味不明なものであっても、的を外した感じにならない、という点は、彼女の強みであるように思う。

「張り切りチャイティーヨ」という謎のフレーズも印象的だった。(オンエアでは)突然、日常会話で「チャイティーヨ」(現地で「ゴールデンロック」を指す)がすごく使えると言い出し、その日の自分は珍しくおでこを出して周りからは張り切っているように見えるだろうから、「張り切りチャイティーヨ」と使うのだと説明するのだけど、その意図はディレクターにも伝わらなかったらしく、前フリとして「地獄の車両移動は齋藤さんの体を蝕んでいたようで…」というナレーションが入れられていた。しかしこちらも先程と同じで、意味不明なのだけど面白いし、外した感じがない。齋藤飛鳥はまだ、「乃木坂工事中」の中でもそこまで喋る方ではないが、深い思索を感じさせる橋本奈々未や、異次元の発想を繰り出す堀未央奈などとはまた違った形の言語感覚を見せてくれるはずだと期待している。

母親から、ミャンマーのご飯は味が濃いから日本から何か食べ物を持っていけ、と言われて齋藤飛鳥が持ってきたのが「おかゆ お茶漬け リゾット」という「三大べちゃべちゃしたご飯(僕が勝手に名づけました)」なのはもう鉄板のネタだし、雨季のため状況次第ではロケを中止しなくてはならなかったかもしれない中、齋藤飛鳥が外にいる時間だけ雨が一切降らなかったという奇跡を呼び寄せたのも、持ってるなという感じがする。齋藤飛鳥らしさを存分に引き出す面白いナレーションも健在で、見た目のテンションにあまり変化がない齋藤飛鳥の姿をとぼけた感じに見せるのに大いに貢献していると感じた。

今回初めてセンターに選ばれ、そのことによって今までやる機会のなかった仕事や状況に直面する機会も増えるだろう。齋藤飛鳥は、まだまだ秘めたものを持っていると僕は勝手に感じている。彼女自身は、「何かを知らないことは恥ずかしいこと」「努力している姿を見せたくない」とインタビューなどで語っているが、そういう部分も垣間見せていくようになると、より齋藤飛鳥の魅力的な部分が表に出るのではないか、と感じさせる今回の企画だった。

筆者プロフィール

黒夜行
書店員です。基本的に普段は本を読んでいます。映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」を見て、乃木坂46のファンになりました。良い意味でも悪い意味でも、読んでくれた方をザワザワさせる文章が書けたらいいなと思っています。面白がって読んでくれる方が少しでもいてくれれば幸いです。(個人ブログ「黒夜行」)

COMMENTS

  1. THEアイドルを目指してないのは明白だけれど、反応があそこまで薄かったのは
    他のメンバーが居ないロケだったからでは?

    心の許せる(開ける)相手、例えば
    北野日奈子(きぃちゃん)と「のぎ天」で
    戯れてる姿なんて年齢相応の女の子のリアクション。
    最近でも乃木中のバレンタイン企画の際には
    一番感情を出してた気がしますが。

    • 確かにそうかもしれません。
      でも、「アイドル」として「仕事」でカメラの前に立つ上で、「感情を表に出さない」という選択はまた特異かなと思ってこんな記事を書いてみました~

  2. リアルサウンドに掲載された「乃木坂46が『真夏の全国ツアー2016』で手にしたものは? 齋藤飛鳥の“涙のMC”から探る」もご覧になられましたか。飛鳥とTheアイドル秋元真夏の絆が大変興味深いですよ。

    • ありがとうございます。
      秋元真夏との関係もですが、「このメンバーのためならダサいことも格好悪いこともやってやろうじゃないかと。」っていう思いも良かったです!

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