Nogizaka Journal

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ファンとしての在り方を考えるーー新規ファンが後悔した2つのこと

この8月で結成5周年を迎え、ますます活発な活動を展開している「乃木坂46」。僕がファンになってからはまだ2年半ほどだが、その間にもファンは目に見える形で増え続け、さらなる躍進を遂げている。

乃木坂46の活動を楽しむ声やその表現方法は、イベント会場は元より、インターネット全盛の時代にあって、ネット上にも様々な形であふれている。しかし他方では、以前の自分と同じような後悔を周囲に漏らしているファンを目にすることもあり、いつからかそれが心のどこかに引っかかっていた。

かつてあるメンバーが、シェイクスピアの言葉を借りてこう言った。「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ」と。

僕自身、その後悔に悩まされる時期もあったが、考え方を変えてからは以前にも増してファン生活を楽しめている。もし同じ悩みを抱えている人たちの気が少しでも楽になるのなら、という思いから僭越ながら筆を執ることにした。

きっかけは「気づいたら片想い」
kataomoi-typea「気づいたら片想い」(Type-A)

僕が乃木坂46を好きになったのは、今から約2年半前の2014年4月、8枚目シングル「気づいたら片想い」をリリースしたばかりの乃木坂46が「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に初出演した時だ。当時センターだった西野七瀬に一目惚れをしたのが始まりだった。

その時の感情はよく覚えている。こんなに可愛いグループは見た事ない、恐らく乃木坂を好きになった人の誰もが一度は感じたことだろう。元々アイドルに関心のなかった僕が好きになるなんて思ってもいなかった。

僕の中のアイドル像といえば、常に元気で明るく、フワフワしていて露出が多い衣装で歌っている。それが過去に幾度もブームを巻き起こしてきたアイドルというジャンルの良さなんだろうと感じていたが、僕にとってあまり好みな柄ではなかった。しかし、あの時歌っていた乃木坂を見て僕の中のアイドル像が完全に覆されてしまったのだ。清楚でおしとやか、メンバーたちも控えめで大人しい、と聞いた時は驚いた。YouTubeで「気づいたら片想い」の公式MVを見ていて感じたストーリー性のある内容、彼女たちの切ない表情など、今まで僕が体験したことのなかったアイドルという衝撃から、急激に乃木坂46に惹かれてしまったのだ。

好きになったきっかけこそ一昨年のMステだったが、曲自体は乃木坂46がCDデビューした2012年の発表曲「制服のマネキン」と「おいでシャンプー」は何故か記憶にあった。当時の記憶は定かではないのだが、たぶんグループには目を向けず、CMか何かで流れていた曲が耳に残っていたのかもしれない。しかし、これが自分にとってとても後悔することとなっていた。

初めての握手会、初めてのライブ

乃木坂46を好きになった当時、僕は中学生で、部活に明け暮れる日々を過ごしていた。休日は遠出までしてライブに行きたいなど親には言えず、冠番組の「乃木坂って、どこ?」(テレビ東京系)や「NOGIBINGO!」(日本テレビ)を観たり、メンバーのブログを読んだり画像を保存したりすることで満足していた。いわゆる“在宅”だ。高校に進学するとバイトができるようになり、自由な行動範囲も広がった。「イベントに行ってみたい!」の一心で空いた時間にバイトのシフトをガツガツ入れ、ようやくイベントに参加できる程のお金は貯まった。

初めて参加したのが、今年4月に行われた14枚目シングル「ハルジオンが咲く頃」の個別握手会。乃木坂46を好きになってから2年が経ち、当時から変わらず西野七瀬が推しメンだった僕は彼女の券しか取らなかった。それでも「あのなぁちゃんと握手できる!」という満足感とワクワクが絶えなかった。

あれからまた何度か握手会へ行ったり、アンダーライブの東北シリーズ、そして今年の全国ツアーのファイナルである「4th YEAR BIRTHDAY LIVE」にも参加したりと、僕にとって最高の夏の思い出となった。

が、しかし、その頃にはもう初々しかった乃木坂を好きという気持ちから少し離れた視座に僕は立っていた。

「メンバーを想う」ということ

「少し離れた視座に僕は立っていた」ーーこの言葉の意味するもの、それは、普段、乃木坂が出ている番組を見たり、ライブや握手会に行くなど、華やかな表舞台を楽しむ、至って普通な“ヲタ活”という楽しさの裏側。グループの舞台裏を気にするようになったのだ。

楽しさの「裏」となると、なんだか響きが悪いように聞こえるが、簡単に言うと最近は過密日程の中で行われた全国ツアーも完走し、疲れが見え始めている中、体調を崩してしまっている、怪我をしている、ゆっくり食事を摂っている暇も無く、すぐ舞台の稽古やアンダーライブのリハーサルに行かなければならない。そういったファンが普段体験しているイベントの裏で起きていること、メンバーの素顔や努力、苦労、悩みなどといった部分に関心を向けるようになった。

その、きっかけとなったのは、昨年9月に観た映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」(2015年7月公開)。あの映画こそ「素顔」「苦労」「悩み」といった、普段表舞台を見ているだけでは決して知り得なかった光景にあふれていた。本編が終わり、主題歌『悲しみの忘れ方』とともに流れたエンドロール、あの瞬間から僕の心の中には乃木坂に対する新たな視点が加わっていた。

それまではメンバーたちが味わっていた「苦」など思ってもいなかった。何も知らずに華やかな表舞台ばかりを楽しんでいたが、あの映画で初めて乃木坂46があんなに苦労していたんだと気づいた、そう思った時は自分を責めたくなる気持ちだった。メンバーの生駒里奈も言っていた、「あの映画は明るくはない、寧ろ暗い部分が多い映画だ。『悲しみの忘れ方』でいままでの乃木坂46が分かると思う」。まさにその通りだった。

それから暫く余韻に浸り、ファンとしての自分に「メンバーを想う」ということを頭の片隅に入れるようになった。

そう思うようになってからいい事も増えた。雑誌やネットの記事も頻繁に読むようになり、色々な素顔、新鮮なメンバーの想いを今まで以上に知るようになったし、記事の感想を自分なりの言葉で発信することが好きになった。そしてその、メンバーの陰の努力などから刺激を受け、日々の活力になったりと、乃木坂46から与えられたものは沢山あった。

新規と古参、ファンとしての在り方

Nogizaka46 2nd Album "Sorezore no Isu" Promotional Event "Nogiten" at Shibuya Tsutaya: Wardrobe

最初に言っていた自分にとっての「後悔」、それはデビューから2年以上も経ってから乃木坂46の存在を知ったという遅れと、映画を観るまで気にも留めなかった裏での苦労。この2つだ。現在に至るまでの彼女たちの成長を最初から見ていたかった、デビュー当時の苦しい舞台裏など「もっと早く知っておけばよかった」、そう後悔していた。

ファンには「古参」(初期からのファン)や「新規」(新しいファン)といった呼び名が存在するが、当初と現在とでイベントの規模の違いを考えれば、いまの乃木坂46ファンの半分以上の割合が「新規」といっても過言ではないだろう。その、新規の一人である僕はファンとして、遅れをとっていることによる物足りなさや昔から応援しているファンとの変な距離感を抱いたりすることもあった。もしも初期から乃木坂46の存在を知っていたなら、そして舞台裏に目を向けていたなら、それぞれの場面で目にした光景以上に感じ取れるものがあっただろう。映画で得られた気付きも、昔からのファンはもっとずっと前から持っていたはずだ、と。そんな後悔のさなかにある時、僕がふと思った事、「以前から好きでいたかったという願いは叶えられなくても、過去に遡って知ることは出来るじゃないか」。

僕は実際に、Mステ初出演の2014年4月11日から遡って、過去の出来事、作品をありったけ調べた。そこでは乃木坂46が初めての舞台公演として2012年9月に行った「16人のプリンシパル」での舞台裏や、過去にダウンタウンがMCを務めていた音楽番組に乃木坂46が出演した際、浜田雅功からのツッコミで生駒里奈が緊張のあまり泣いてしまった(今では考えられない)事など、今まで全く知らなかった出来事が次々と湧き出てきた。

そこで得られたのが「少しは乃木坂46のことを知れたかな」という安心感と、今とは全く違う彼女たちの顔を知れた喜び。乃木坂46と同じ時間軸で過ごしてきたファンと同じ体験こそ出来ないが、後からファンになったのなら、過去に遡って知る楽しさがある。今の乃木坂46という存在を理解した上で過去に遡ってみることは新鮮な出会いがたくさんあり、これも様々ある楽しみ方の一つだと僕は思う。もっと早くにファンになっていたらと思うのもこんなに乃木坂46を好きになれたからであり、僕の場合、アイドルに興味を持てなかった自分が、例えばもっと前の「おいでシャンプー」や「制服のマネキン」の時期に乃木坂46を知ったとして、果たしてファンになったかは確信が持てない。ただ一つはっきりしているのは、あのMステが僕にとって乃木坂46のファンになるタイミングだったということだ。

それに気付いてから、僕はファンとしての在り方が楽に感じ、「知る」という事の楽しさを改めて実感出来た。もし僕と同じように後から好きになったことへの引け目を感じている人がいるなら、変わらない過去を悔いるよりも、好きになった時期がいつであれ、その時期によって異なる楽しみ方があるのだという考え方が心の支えになればと思う。

(文・たま)

COMMENT

  • Comments ( 8 )
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  1. 今でこそアンダーメンバーもTVに出演したり雑誌などのメディアで取り上げられる機会も増えましたが、8枚目の「気づいたら片想い」でCDの特典としてアンダーライブが始まるまでは、表舞台に登場する機会がほとんどない、まるで出口の見えない真っ暗なトンネルをさまよっているような状態でしたから、ここ1~2年位でファンになった人にはアンダーの辛さって全く知らないことなんでしょうね。
    今でも全員が選抜メンバーに選ばれたいと考えているでしょうが、アンダーライブが始まるまでは「選抜に選ばれることだけ」がすべてでしたから、選抜発表があるたびに人気があるのに選抜に選ばれないメンバーのことを考えて、どうしたら選抜に選ばれるのか?ってずっと考えていましたよ。

    それと同時に選抜に選ばれて苦悩するメンバーのことも知ってましたから、単に外見的なかわいらしさとか華やかさだけじゃなく、メンバーの喜び、悩みなどを共有し、本人の人間的成長を応援するという新しいアイドルとファンの関係性が生まれるのかもしれませんね。

  2. 今の忙しさは常軌を逸しているがな。
    いつ大怪我や大病を患ってもおかしくない。

    • By 上野東京ライン

       確かに今の乃木坂46の忙しさは半端じゃないですね。それが証拠に、メンバーの体調不良が続出してますね。
       しかしながら、生ちゃんがほとんど体調不良にならないのは不思議だ。

  3. 2011年のお見立て会から参加している古参ヲタです。先日の握手会でも、推しメンから最古参の認定をいただきましたが、アンダラという素晴らしいイベント等はあるものの、長い間アンダーの彼女を推す人間としては、彼女の嬉しそうな話を聞いたりその笑顔を見る度に、その裏に隠れた苦悩や葛藤を想像してしまう日々です。

    君の名は、、

    • アンダーという枠がない数人のアイドルグループが羨ましくなったりすることありませんか?

      私はあります。でも、アンダーであることが多くても人数が多いから「会えた」訳で、
      少人数のアイドルグループだったら「出会えなかった」訳です。

  4. 今の乃木坂が好きだが過去のテレビ番組や雑誌を見ようとは思わないな 単純に幼くて好みでないから

    • By 上野東京ライン

       正直なところ、ぼくはデビューした頃の乃木坂46を応援したいとは思いませんでした。ぼくが乃木坂46の応援を本格的に始めたのは、「気づいたら片想い」の頃からです。

  5. 乃木坂46ってどこ?

    第1回をリアルタイムで見ましたが、正直言って、「AKB48の公式ライバルグループ」としてデビューを目指す というのは冗談だと思いました。
    同じ頃、名古屋で放送されていたSKE48のチープな冠番組よりもチープな感じが否めないスタジオの雰囲気、メンバーもまったくあか抜けていなくて、素人感がにじみ出ていました。

    乃木坂46を好きになったきっかけが何だったかな? と考えると……………デビュー曲選抜発表で選抜メンバーに選ばれたのに、「悔しいです!私はもっと上を目指しています。」と叫んだ井上小百合。なんだか気になるようになりました。

    「君の名は希望」を卒業式にサブライスで歌いにいった時も「私達のこと知ってるかな?」と舞台袖でつぶやくデビュー1年後の乃木坂46。1年がんばって、代表曲を得たあのタイミングでも、まだネガティブだったあの頃。そのさらに前乃木坂46が何処へ行くのか分からないあの状態でオーディションに挑んだ2期生は本当にすごいとおもいます。何しろ、「乃木坂46があなたのバレンタイン告白をお手伝いします。」という、今なら応募が殺到するであろ乃木どこの視聴者参加企画に一人も応募がなく、企画が成立しないようことがあった頃にオーディションが行われていたわけですから。

    私が乃木坂46に本気ではまったのは「春のメロディー」のMVです。アイドルの王道だと思いました。(あのMVは不評の声も多かったようですが)

    気づいたら片想い の頃まで、周りに乃木坂46を知っている人はいませんでしたから今の状態は信じられないような思いです。

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