「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.2」(KADOKAWA)
乃木坂46を一冊丸ごと使って特集したKADOKAWAの乃木坂シリーズ第2弾「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.2」。初週で前回の倍以上にもなる3万部近く売れたそうなので、手にとったファンも多いのではないかと思う。
前編では、齋藤飛鳥のインタビューとエッセイについて触れた(関連齋藤飛鳥の葛藤、その名は「自覚」~「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.2」前編~)。後編では、主に他の部分から、乃木坂46全体に関係する部分を抜き出しつつ、乃木坂46の現状と未来について書いてみたいと思う。
一番印象的だったのは、「乃木坂らしさ」についての話だ。本書ではメンバー対談や、秋元康氏のスペシャルインタビューで、そのテーマに触れている。
西野七瀬と桜井玲香の対談の中で、桜井がこんなことを言っている。
『でも、そういった子(※3期生に言及している)が入ってくることによって、今までの乃木坂のカラーが変わってしまうことはちょっと怖いので、そこは基盤を築き上げてきた1期生が3期生の勢いを保てるようにうまくやりつつ、従来の乃木坂のカラーを守っていくという役目があるんじゃないかなと思っています』
そしてそれに続けて、乃木坂のカラーを保つ役割は1期生と2期生がやるから、3期生は自由にやってくれ、と続けている。
乃木坂46のメンバーは様々な場面でこの「乃木坂のカラー」「乃木坂らしさ」みたいなものに言及している。僕は他のアイドルのことはよく知らないが、知らないなりに捉えているイメージで言えば、乃木坂46からは確かに他のアイドルグループとは違う印象を受ける。それは、この対談の中で西野が『厚かましくできない子のほうが多いからなのかな』と言っているように、そして同じようなことを様々な場でメンバーが言っているように、控えめで後ろ向きなメンバーが多い、という点に大いに立脚しているだろうとも思う。そういう「乃木坂らしさ」みたいなものを気に入っているファンももちろん多いだろうし、それを自覚している彼女たちも、それを守るべきものとして捉えているのだろう。
しかし、総合プロデューサーである秋元康氏は、「乃木坂らしさ」に対してこんな風に感じている。
『去年の神宮球場で、ライブが終わった後に反省会みたいなのがあって、そこでやたらとメンバーが“乃木坂らしさが”“乃木坂らしさが”って言うわけ。“乃木坂らしさを出していきたい”って。いやそれは違うよと。』
秋元氏は、メンバーが“乃木坂らしさ”という、言ってしまえば実態のないものに囚われている現状に対して違和感を覚えているようだ。
その違和感を言い表すのに秋元氏は、アルゼンチンにあるカミニート通りの例を出す。
『港町なんだけど遠くから見ると、淡いピンクやグリーンでものすごくキレイ。ところが近づいて見ると、一戸一戸の家は濃い原色で、しかも半分だけピンクとか半分だけブルーとかなの。どういうことかと言うと、船の塗料が余るとそれを自分の家に塗ってるんだよね。その行き当たりばったりでバラバラな感じが、遠くから見るとすごく美しい色彩になる』
秋元氏は、メンバー自身が、全体の風景に言及するようではダメだ、と言っているのだ。個々のメンバーは、勝手に自分の色を出していくべきであり、そして、本来であれば統一感が失われるかもしれない中で、渾然一体とした美しさが生み出される時、それが「らしさ」と称されるものになっていくのだ、と言う。
これはもしかしたら、齋藤飛鳥の思考に近いものがあるのではないか、と僕は感じた。
齋藤飛鳥は、乃木坂46というメンバーの一人であるが、同時に、齋藤飛鳥という一人の人間でもある。秋元氏のこの話は、「乃木坂らしさ」というグループ全体の話にも当てはまるが、「齋藤飛鳥らしさ」という個人の話にも当てはまるだろう。
武器は周りから付けてもらうものだ、と考えている齋藤飛鳥。彼女の中にいる「様々な齋藤飛鳥」が「齋藤飛鳥らしさ」という大きなものを指向せずに、誰かから与えられた課題、誰かにもらった武器、そういうものをその時その時で組み合わせていきながら、ある種行き当たりばったりに「齋藤飛鳥らしさ」を組み上げていく。「“飛鳥はこういうイメージだよね”って決められるのがあんまり好きじゃない」と語る彼女は、内側にいる「様々な齋藤飛鳥」に自由に裁量を与えることで、形ある「齋藤飛鳥らしさ」みたいなものから逃れ、同時に、カミニート通りのような不定形な「齋藤飛鳥らしさ」みたいなものを目指しているのではないか。秋元氏の話から、そんなことを連想した。
メンバーが「乃木坂らしさ」と言いたくなる気持ちは分かるような気がする。それまではがむしゃらにやってきて、どんな形になるのか分からないまま突っ走ってきた。これからもその気持ちは変わらないだろうが、しかしある程度形が出来てくると、逆にその形を手放すのが怖くなる。齋藤飛鳥はインタビューの中で、『今は…ファンの人が飽きないのかなって心配になることもあるんです』と言う。つまり、変わらないことへの恐怖も同時に感じているのだろう。しかしそれでも、「乃木坂らしさ」という言葉を使うことで、今のままで進んでいく自分たちの存在を肯定しようとする。
決してそれは悪いことではないと思う。恐らく多くのファンも、「乃木坂らしさ」(ファン一人一人捉えている部分は違うだろうが)みたいなものに惹かれ、変わってほしくないと感じているだろう。しかし、これまで様々なものを世に問い、時代を創り出してきた秋元氏は、メンバーに変革を求めているのだろうと思う。これから3期生も入ってくる。妹分の欅坂46も出来た。乃木坂46もそのままではいられないぞ。「乃木坂らしさ」みたいなものに安住するんじゃないぞ。秋元氏のそんな言葉が聞こえてくるような気もする。
乃木坂46「透明な色」
「透明な色」というファーストアルバムのそのタイトルは、永遠に固着しない、どんな色にも変わり得る色、という意味でもあるのかもしれない。その色が、その時々の新たな「乃木坂らしさ」を生み出していくのかもしれない。個々のメンバーの変化が、乃木坂46というグループをどう変えていくのか。益々楽しみである。
乃木坂46は、先程も触れたが、3期生の加入や欅坂46の登場など、様々な変化の渦中にいる。それらをメンバー自身はどう捉えているのか。
3期生の加入に対して、松村沙友理は自身のインタビューの中でこんな風に語っている。
『今気にしているのは、2期生のみんなのこと。欅坂46もできて、乃木坂3期生募集となると、そのはざまにいる2期生のことを心配してしまうんです。どうしてもこの子たちを知ってもらいたいと思っちゃう。うちにはもっとすごい子たちがいるんだぞって。』
松村に限らずメンバーの誰もが、「乃木坂46がこれから躍進していくためには、変化が必要だ」という意識は持っていることだろう。そういう意味で、3期生の加入を受け入れているように感じられる。2期生加入前に抱いていた、「今の乃木坂が変わってしまうかもしれない」という1期生の不安を様々な発言で目にした記憶があるが、3期生の加入に対してそういう不安は感じられない。
そういう中で松村は、自分たち1期生のことでも、これから入ってくる3期生のことでもなく、その間の2期生の心配をする。確かに2期生は、乃木坂の中でまだまだ力を発揮しきれていない部分も多いかもしれない。本書の巻末でも登場した「さゆりんご軍団」もそうだが、彼女がこれからどんな風に2期生を見せていくのか、そして2期生がそれにどう応えていくのか。3期生の加入によって、2期生に動きが見られるかもしれないと、松村の発言からは感じられる。
さゆりんご軍団『さゆりんごが咲く頃』の1シーン
また、桜井玲香はこんな風に語る。
『あと私が個人的に感じているのは、1期生は控えめな子が多かったこと。2期生は、向上心というか前を狙いにいく姿勢がはっきり見える子が、1期生に比べると多くて。それまでは狙いにいくという姿勢を取る環境じゃなかったというのもあったんですけど、今は違う。たぶん3期生が入ってきた時はそういうお手本にできるような先輩もいると思うから、もしかしたら入ってきてすぐに前に出てこられる子が増えるんじゃないかなっていう期待はあります』
桜井は3期生の加入による変化を具体的に捉えようとしている。そしてそこには、2期生に対しての1期生の振る舞いへの反省みたいなものが見えるように思う。反省、と言うと少しおかしな表現だが、要するに桜井は、3期生には2期生をお手本に頑張って欲しい、と言っているのだろう。2期生もそうだっただろうが、3期生もまた加入する前から、現メンバーに対する意識の変革をもたらすのである。
捉え方は様々だが、3期生の加入で乃木坂46がどうなっていくのか、メンバー自身も様々に考えているのだろう。3期生の加入というのは乃木坂46にとっては内的な変化だ。それによって直接的に変わっていくメンバーも増えていくことだろう。秋元氏が語る「それぞれが自分勝手に色を出す」という起爆剤の一つになってくれたらいいと思う。
3期生の加入とは対称的な外的な変化が、欅坂46の登場だ。これについては西野七瀬がこんな風に言っている。
『でも欅のみんなは全てがすごいスピードで進んでいるから、それを喜ぶ余裕があるのかな、大丈夫かなって思うこともあります。そこも私たちの時とは全然違うかなって見てる感じです。追われてるというよりは違う道を進んでいるというか』
乃木坂46自身も、AKB48の“公式ライバル”の名のもとに恐ろしいスピードで階段を登らされたグループだ。秋元氏はどこかで、「AKB48が5年で辿った道を、乃木坂46には5ヶ月で進んでもらう」という趣旨の発言をしていた記憶がある。しかしそんな乃木坂よりもさらにとんでもないスピードで欅坂は歩みを進めていく。追われている、とは思えないほど違う道を進まされている欅坂を心配の眼差しで見る西野の発言からは、欅坂を「ライバル」ではなく「同志」と見ているような、共に闘う者としての共感みたいなものを見て取ることが出来るように思う。
西野の発言に続けて桜井玲香もこんな風に言っている。
『今のなぁちゃんの話じゃないですけど、こういうところに乃木坂のマイペースさが出ているのかなっていう気がします。そこまで「追われてる」とかって思うわけでもなく、でも普通に曲が良いからみんなも楽屋で歌ったり踊ったりしていて。(中略)そんな感じでいい距離感なのなかって思います』
先行者の余裕とも読めるし、乃木坂46のマイペースさの表れとも読める。外部から見ている限り、内部での競争みたいなものをほとんど感じさせない乃木坂46というグループ。張り合う、競い合う、闘う、と言ったような感情ではない部分で成立しているように見えるこのグループは、欅坂46に対しても競争心みたいなものが湧き出ないのかもしれない。殊更に「闘う意志」を持たずともアイドルの世界でやっていくことが出来たという環境の幸運と、「仲間意識」で連帯できるグループ全体のメンタリティが、欅坂46の誕生という外的な変化を呑み込んでいくのかもしれない。そういう意味で改めて、「乃木坂らしさ」という言葉を使わせてもらうが、「乃木坂らしさ」の凄さ、みたいなものを感じた。
※本稿は筆者のサイトに投稿した記事を再編集したものです。
一応48Gのことは一般人よりは知っているのですが(ライブや握手会には行かず、在宅でTVやラジオを楽しむ程度)、48Gでは「AKBらしさ」や「HKTらしさ」「48Gらしさ」という言葉はメンバーからも運営からも聞いたことがありません。
乃木坂には一種の「様式美」というか「可愛いくて元気なだけじゃない」アイドルグループという認識がメンバーにもファンにもあるという印象を強く感じますね。
私個人としては、メンバーが殊更に「乃木坂らしさ」を意識して、活動の範囲を狭めるような
ことにはなって欲しくないと思っています。
だからといって、48Gのイベントに参戦するのは反対ですけどね。
今の48Gは昔ほど詳しくありませんが、戸賀崎支配人時代にはメンバーからも運営からも、AKBらしさをよく耳にしましたよ。
他の姉妹グループも節目や兼任をきっかけにメンバーがらしさを口にすることがあります。
乃木坂の場合は48の姉妹グループのように前後に出来たグループと常に比較されるだけでなく、去年のツアーのように運営が「乃木坂らしさ」とは?を前面に出す影響で、ファンもメンバーもその意識が強いのではないでしょうか?
どのアイドルもある程度活動してきたららしさの壁にぶつかるのは必然ですね。
秋元康がいつも正しいなんて事こそ有り得ない。
「らしさ」というのは難しいですね。出す方が出そうとしても、受け取る側が受け取れないと定着しないでしょうし。乃木坂の場合は、それがうまくハマってるのかもですね。
「らしさ」に囚われすぎて欲しくない、というのはホントそうですよね。
ドラマの企画原作、いくつものグループの作詞プロデュース、1日が200時間あるんだろうな。
普通の人は1人では不可能。
乃木坂らしさ=個々の個性だと思います。
「コンセプトが無いことがコンセプト」から始まった乃木坂46。そして、AKB48の選抜総選挙よりも早いペース、毎公演ごとにメンバーを入れ替える とも秋元康が結成時に語った乃木坂46。
デビュー前の「乃木どこ」では頻繁に出演メンバーが入れ替わり、プリンシパル公演では本当に毎公演出演メンバーが入れ替わった。
しかし、その競争の激しさが団結力を強めるという予想外の結果をうんだ。
今、乃木坂46が持っているイメージはほとんど最初想定されていたものとはかけ離れていると思う。
メンバーそれぞれの個性がそのまま乃木坂らしさになっていると思う。
だから、3期生に自己主張が強いメンバーが入ってきても「乃木坂らしさ」を壊すことにはならないとおもう。
「乃木坂らしさ」はあくまで後付けであって、メンバーの個性が十二分に活かされグループが乃木坂46だと思うから、3期生は「こうでなければならない」なんて身構えずに自分を表現すれば良いと思う。
「乃木坂らしさは後付け」というのは、本当にそうだよなぁ、と思います。
狙ってないからこそ出る色、というのはありますもんね。
これからどんな変化を見せるか楽しみです