乃木坂散歩道・第150回「『乱反射』に垣間見る人の愚かさ」


©朝日新聞出版

 表題の小説が、何故、乃木坂散歩道で取り上げられるのかを瞬時に理解できた方は、相当な乃木坂マニアです。

 まずは、のぎ天 ♯9「10th新アンダーメンバーで夏合宿!(3)」を御覧になってください。寝起きドッキリの齋藤飛鳥さんの場面(37分23秒~)で、枕元に表題の推理小説『乱反射』(貫井徳郎著・朝日新聞出版)が置いてあるのです。

 僕は読書が好きで、乃木坂メンバーが読んでいるという理由で、同じ本を手に取ることは今まで何度もありました。有川浩さん、三浦しおんさん等。メンバーがどんな本を読むのか? それはファンなら興味がある所です。そんな中、今回紹介する『乱反射』は実は2年前に一度読んだことがある作品だったので、「のぎ天」を観たとき、16歳の飛鳥さんがこれを読むのかと驚きを隠せませんでした。

 ネタバレを含みますので、もしも、これから『乱反射』を読んでみようという方は、読了後にこの記事をお読みください。

「あらすじ」

 何の罪もない2歳の男の子が死んでしまうところから、この小説は始まります。通常、小説で章を区切る時には1、2と数字を付けることが多いです。1章、2章という具合に。しかしこの小説は序章で幼児の死が語られ、”-44”という数字で区切られた文章から物語が始まります。そして、次第に分かってくるのです、数字が“0”に近付くにつれて、これが男の子の死へのカウントダウンであると。

 被害にあう幼児の父親は新聞記者。夏休みを利用して家族で避暑地へと出かけようとします。その際、夏の暑い時期に生ゴミを置いたまま家を長期に空けてしまうと、腐敗臭で大変なことになるという理由で、ルール違反とは知りつつも、高速道路のサービスエリアに家庭用ゴミを捨ててしまいます。『1回だけ』と言い訳をしながら。

 この物語は、そういう小さな『ルール違反』、『マナー違反』、『怠惰』、『自分勝手』、『言い訳』が描かれていきます。
 ・待ち時間が少ないからと、わざと救急外来受診を繰り返す大学生。
 ・自分のストレス解消のためだけに、反論が許されない市職員にクレームをつける中年女性。
 ・腰が痛い事を理由に飼い犬の糞の始末をしない老人。
 ・子供にバカにされたことを理由に、仕事を途中で投げ出した市職員。
 ・自分の虚栄心を満たすために、盲目的に市への抗議を行う婦人。
 ・潔癖症である事を隠すために仕事を怠った造園業者。
 ・多忙を理由に救急要請を断った当直医。
 ・運転技術があまりにも未熟な女性。

 上記のケースはどれも犯罪にはあたりません。どこにでもありそうな、小さな小さな事柄。心の奥の方に溜まる、澱(おり)のようなもの。ところが、この小さな事柄が幾重にも幾重にも、そして、不運にも重なり、幼児の命を奪ってしまいます。

 腰が痛い老人が木の根元にした飼い犬の糞を放置し、市職員はその糞の始末を何度もやったのだけれど、その様子を子供たちにバカにされ、一度だけ仕事を途中でやめてしまいます。その糞を嫌がり、造園業者が木の点検を怠ったところ、実は腐っていたその木は、ある日強風で倒れてしまいます。不運にもその下敷きになってしまったのが幼児でした。
 幼児のために救急車を呼んだけれど、近くの病院は救急外来が混雑しているという理由で救急要請を断り、また、運転技術が未熟な女性が引き起こした渋滞により、幼児の病院への搬送が遅れるという事態もおこりました。

「第2の物語」

 この事故が起こったのが第0章。この後、数字は1、2と増えていきます。ここから、もう一つの物語が始まるのです。それは、被害幼児の父親による真実の追及です。何故、我が子は死ななければならなかったのか? その責任の所在はどこなのか?

 父親に追及される側は誰も非を認めようとしません。そればかりか、開き直ります、「私は悪くない」。それも仕方のない事です。自分が犯した小さな『自分勝手』と比して、人の死というのはあまりにも大きすぎる出来事です。「誰かを死なせてしまうかもしれない」、そんな風に予見出来るなら、誰だってルール違反はしないでしょう。

 やがて、父親のやり場のない憤りは頂点を迎えます。(例外はあるものの)誰も謝罪をしてくれません。誰もが人のせいにし、自分の責任を認めてくれません。しかるべき手段で責任を追及したくても、どれも犯罪とまでは言えません。あくまでもルール違反、マナー違反、自分勝手。そこで父親がとった行動は、『社会的制裁』という名の私刑です。自分でホームページを立ち上げ、疑わしき人々を自ら断罪するという行為に踏み切ったのです。

 ところがそこに寄せられる意見は父親が望むものではありませんでした。冷静かつ適切な意見として、「『些細な自分勝手』が幼児の死の原因とまで言うのは言い過ぎ」という言葉が数多く寄せられるのです。その上、職場の上司も父親の行動を問題視し始めます。新聞社の社員が私怨で一般人に社会的制裁をするべきではないと。

 四面楚歌のような状態に陥り、父親は極限まで追い詰められます。我が子を死に追いやった者たちから謝罪を引き出すことも出来ず、声を上げることすら封じられようとしています。そんな時に、何気ない瞬間に気が付いてしまうのです。すべてをひっくり返してしまう事実に。

 何気ない『些細な自分勝手』が重なったことで幼児は死にました。この『些細な自分勝手』は、残念なことではありますが、日常にありふれたものです。『些細な』ことでも重大な結果を起こしうる。でも、だからと言ってそれを罪として断罪できるのは、それを決してしない善良な市民だけです。
 惜しいことに、父親は『些細な自分勝手』をしない善良な市民ではありません。高速道路のサービスエリアに家庭用ゴミを捨てるという『前科』があったのです。父親は気付きました、『些細な自分勝手』が息子を殺したとするならば、その息子を殺した犯人には、自分達も含まれるという事を。

 悲しい物語です。

「リアリティー」

 この小説はフィクションです。そして、フィクションであるが故にリアリティーが必要です。虚構であるからこそ、リアリティーがないと感情移入できないのです。

 僕が住む町で起きている実際の出来事です。数年前から僕の町の総合病院では夜間小児の急患の受け入れが停止されました。理由は、不要な救急外来利用が多すぎることで、病院の疲弊と人手不足が起こったからだそうです。それに伴い、小児の夜間救急は車で1時間ほど離れた遠方の病院しかなくなってしまいました。
 もしも、幼児が本当に夜間、緊急性の高い病気にかかってしまったとしても、既に1時間というハンデが僕の町にはあります。『些細な自分勝手』が起こした一つの結果です。

 『乱反射』はリアリティーがあり過ぎるために、心当たりが多すぎて、とてもじゃないけど、爽快感の得られる小説ではありません。心の奥底に沈んだ澱をかき回されるようで不快です。
 でも、この小説の真の目的はここなんだと思います。自分の『澱』に目を向けろ! 自分の罪を自覚しろ!
 恐ろしいくらいに斬新で、恐ろしいくらいにリアルで、恐ろしいくらいにまっすぐです。

 実は僕達も既に『罪』を犯しているのかもしれない、そう思わずにはいられないのです。

「『乱反射』の解釈」

 小説のタイトル『乱反射』の僕なりの解釈です。

 通常の『反射』をこの小説の中での出来事に置き換えるなら『謝罪』ではないかと思います。『反射』を『予想される、あるいは期待される反応』という風に解釈したのです。悪い事をしたら謝罪するというのは、誰でもわかる当たり前の反応です。
 とするなら、『乱反射』は『予期せぬ、あるいは期待していない反応』となります。悪い事をしたのに謝罪をしないという心の歪み。つまり、些細な自分勝手をしてしまった人間が、悪い事をしたと自覚しつつも、謝罪をすることなく、代わりに『言い訳』、『人のせい』、『開き直り』をしてしまった結果を『乱反射』と表現したのだと思います。

 被害幼児の父親は、『些細な自分勝手』をした人々に責任を感じてほしかった、罪の意識を感じ、謝罪してほしかったのです。しかし、その希望は叶いませんでした。父親の予想を超えた開き直りにあってしまうのです。こういう人間の愚かさ、凹凸のある性質を『乱反射』という言葉に込めたのではないかと思います。

「怒りの矛先」

 もう一つ人間の暗部を描いたシーンを紹介させてください。

 息子を失った父親は悲嘆にくれます。回復不能と思われるくらいの落ち込み様です。そんな父親に職場の上司は耳打ちします、「この事故は人災である」と。この言葉で新聞記者である父親は『悲嘆』を『怒り』に変え、立ち上がります。そこから、前述の『第2の物語』につながるわけです。

 結末は前述のとおり、まさに『万物は流転する』。父親が犯した『些細な自分勝手』が巡り巡って自分の息子を死なせてしまった。『怒りの矛先』は結局自分に向けられることになるのです。

 『人災』という言葉、好きになれません。誰かに責任を押し付けようとする言葉にしか見えないからです。最近で気になったのは、「東日本大震災」で、ある津波の被害に対して『人災』という言葉が使われました。
 詳しくは書きませんが、あの震災は何万という犠牲者を出した『自然災害』です。犠牲の責任を『人』に押し付けようとするのは、僕は違和感を感じます。『人災』という言葉の裏に、僕は汚物を孕んだ『訴訟』の匂いに気が付いてしまうのです。

 「『些細な自分勝手』という罪の追及は行政までにしろ、一般人を巻き込むとイメージが悪くなる」。『人災』という言葉を使った新聞社の上司の言葉です。打算が大きく混入した、汚い言葉です。

 この小説は2009年に単行本化されました。今から5年も前です。『怒りの矛先』=『誰かに責任を押し付ける』という人間の暗部、あるいは人間の悲しい性に対する痛烈な批判も、この小説には隠されています。

「最後に」

 『乱反射』は日本推理作家協会賞を受賞し、直木賞の候補作ともなった名作です。とはいっても、ネガティブな事が羅列されるこの小説を、僕は汚れきった大人が読むべき小説と思っていました。そんな小説を、まだ16歳の飛鳥さんが読んでいることを知った時、驚きを隠せませんでした。

 こういった内容ですから途中で読むのを投げ出したとしても、僕は仕方がないと思います。フィクションであることを忘れさせるようなリアリティーがあり、かつネガティブな事ばかり羅列されていますから。でも、もし、この本を最後まで読んだとするなら、16歳の飛鳥さんがどんな感想を持ったのか? 芸能界という厳しい世界にいるとはいえ、まだ16歳で、とてもじゃないけど『汚れきった大人』とは形容できない飛鳥さんが、いったいどんな感想を持つのか? 非常に興味深い所です。
 どんな本を読んでいるのかは、その人の一面を表していると思います。ただ、あまりにもギャップのある「乱反射」と「齋藤飛鳥」の組み合わせです。想像できない様な化学反応が見られるかもしれません。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。記事を書くきっかけになったのは齋藤飛鳥さんですが、大半は無関係の内容です。ただ、これも一つの出会いです。興味を持たれましたら、『乱反射』御一読ください。爽快感はありませんが、読んで良かったと思っていただけると確信しています。

貫井徳郎 朝日新聞出版 2011-11-04

*楽天ブックスでは冒頭の11ページを試し読みできます。

筆者プロフィール

Okabe
ワインをこよなく愛するワインヲタクです。日本ソムリエ協会シニアワインエキスパートの資格を持ちます。乃木坂との出会いは「ホップステップからのホイップ」でした。ファン目線での記事を書いていきたいと思います。(ツイッター「Okabe⊿ジャーナル」https://twitter.com/aufhebenwriter

COMMENTS

  1. 大変遅いコメントで失礼いたします。
    私ものぎ天を見てからこの本を読みました。

    コラム内の「乱反射の解釈」について、被害者の父親が求めた謝罪に対して、関係者が言い訳・開き直りをしたことを指すと解釈されていますが、
    何回か本を読んでみて、この解釈では難しいのではないかなと感じました。
    といいますのは、以下の理由からです。
    ①関係者が謝罪しない・反論するという意味で「同じ方向を向いている(同じ向きに反射する)」。
    ②最終的に父親は相手が謝罪しないということを「予想」するまでになった。
     ※36章で車庫入れができない女性に対してです。
      相手の女性は自分が謝罪しなかったことに対して、
      父親がすでに予想していたかのように平静だったことに驚いています。
    ①②より、いろんな方向に反射するという「乱反射」は該当しないと考えられます。
    私が考える解釈があるのですが、ここでは控えさせていただきます。

    なお、些細と思われる内容でもコラムととして、取り上げてくださったことについて感謝しています。

  2. 私もあのシーンのあの本は気になっていました。めっきり小説を読まなくなったので手に取るまでは行きませんでしたが。
    それゆえこの度のコラムは大変ありがたかった。
    そして概要を知った時齋藤飛鳥さんがこの本を読むことにとても得心がいきました。
    上手く文章には出来ませんで申し訳ないですが、似たような所感を持った方もいるのではないでしょうか。

  3. よく見てますね。

    好きな人や尊敬する人が読んでいる本を読んでみたくなるというのは、とてもよくわかります。私の場合は、大学の先輩や、尊敬していた大学の先生ですかね。

    確かに、ライトノベルや漫画とは違って、読んでいることが、イメージしにくい本ではありますが、一方で、あしゅりん(あるいは乃木坂のメンバー)なら、読んでいても驚かない部分もあって。そんなギャップも彼女の魅力かもしれません。

    私は、とても好きなコラムでした。

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