言うまでもなく、生田絵梨花は「すごい」。それは、もはや論じる必要のない事実である。しかし、事あるごとにその凄さを目の当たりにするにつれて、ひとつの疑問が頭をよぎる。生田絵梨花はその目で世界をどのように捉えているのだろうか。その視線の先に何が見えているのだろうか。
おそらくは、生田は疑っていない。勝つことを疑っていない。しかし、それは生田が現時点で「最強」であるということを、必ずしも意味しない。高い壁を前にして、乗り越えられないこともあるのかもしれない。それでも、おそらくは生田はある確信を抱いている。
弾けるようになるまでやめない。踊れるようになるまでやめない。台詞を覚え、納得のいく演技ができるようになるまでやめない。できないこと、乗り越えられないことがあるとするならば、できるようになるまで、乗り越えられるようになるまで、生田は挑み続ける。それは「お嬢様」というイメージとはかけ離れたほどに、泥臭くもある。普段はその様子を伺わせない。しかし、そうでなければそのすごさを説明することは難しい。
生田は確信している。自身の勝利を。おそらくは、苦手な料理でさえ、「食べてみれば案外イケるはず」と根拠なく思っている。それほどまでに、生田は確信している。疑うことを知らず、選択肢として存在すらしていない。生田は決して敗北を知らないのではない。「勝つまでやめない」のだ。
かつて、雑誌「FRIDAY」は生田絵梨花のことを「ノーブル・ガール」と表現していた。その言葉の意味通り、「お嬢様」というイメージは、生田絵梨花を構成する要素のほんの一部分でしかないだろう。そして、それは敗北や泥臭さを知らない、守られた貴族的なものでもない。仮に土がついてしまったのだとしたら、分析し、努力を積み重ね、視線の先に勝利を見据えて何度でも挑む戦士のようなその気高さこそが、生田絵梨花の象徴なのではないだろうか。
「生田劇場」はまだまだ序章に過ぎない。何章に渡る物語なのか、どんな物語なのか、答えは誰にもわからない。しかし、「あきらめる」の文字がないことだけは明らかだろう。
生田絵梨花公式ブログ『生誕祭~don♪326』より。©乃木坂46LLC
彼女はほんといい両親に恵まれた。
普通、毎日習い事やらされたら嫌になるし、グレてしまう。
しかし、彼女から嫌々という姿が全くみられない。
興味ある全てのことにチャレンジし、成功を信じて疑わない。
他人から見れば失敗に見えることも、彼女の中では失敗ではない。成功へのステップだ。
こんな子に育つにはやはり両親の教育が違うと思う。
日本教育特有の減点教育を彼女は知らない。
彼女を見ていると現代社会が必要としている人材の教育はこうあるべきと考えさせられる。
全てはチャレンジ。
彼女はどこの世界に行っても必要とされる人物であろう。
まだまだ未知数な生田絵梨花の成長がワクワクしてならない。
たいへん優れたご指摘で感服しました。
たしかに生田は、「勝つまでやめない」というか「アグレッシブな現状肯定指向」がある。あれだけのピアノの技量を養うレッスンは、たいへんな作業だったはず。しかし、イヤイヤこなしてきた感じがまったくしません。幼年時代のピアノもyoutubeで拝見しましたが、まさしく「栴檀は双葉より芳し」。
たしかに、こういう子は、減点主義の家庭からは育たないでしょう。良い両親にめぐまれているに違いありません。その愛情の中で、のびのび育てられてきた。「乃木どこ」で、彼女のお母さんが電話に出てきたことがありますが、しっかりした愛情あふれる女性でしたね。現代社会の家庭教育は、かくあるべし。彼女は本物の良家の子女です。芸能界には、ほとんど見あたらない。
才能というものは、親が無理に望んで得られるものではない。本人が大好きでやっているうちに開花するものではないかと思います。子供の頃のモーツアルトは、お父さんが「夜はピアノ禁止」というのを破ってこっそり深夜にピアノを弾いていたそうです。天才児モーツアルトは音楽が大好きだった。
彼女がこれからどんな才能を発揮してゆくかを考えてみると、私もついワクワクいたします。
助六 様
生田の「勝つまでやめない」という強さのご指摘、たしかにおっしゃるとおりだと思います。
彼女は、いつも眼を爛々と輝かせて自身満々でメディアに出てきます。
ピアノの才能だけ見ても凄い。いずれは単独でピアノと歌のアルバムが出せるかも知れません。ピアノといえば48系にも松井咲子がいますが、生田のオーソドックスな演奏の方が私は好きです。
それとあの美声。歌唱力のある子なら、乃木坂には川村、衛藤、中元、白石など、ほかにもたくさんいます。しかし、彼女の場合は、声の音色そのものに特別な魅力があります。もちろん芸能界でも、美声の歌手は大勢いるわけですが、この世で、「純潔な乙女の声」を実際に聴かせて見せろ、といわれたら、生田の声しか思いつかないほどのものです。佐久間氏とのコラボで歌った「君の名は希望」を聴くとそういう印象がします。
しかもあの美貌。昔から「美声に美人なし」といわれます。ところが、生田はビジュアルもすばらしい。小さい頃から水泳をやっていたせいかスタイルもとてもいい
かつ、学力も優秀らしくて、名門の受験校に在籍しているようで、大学進学も内定しているらしい。彼女が書くブログの文章はとても優秀です。ほかのメンバーの書くものとは雲泥の差がある。
「天は二物を与えず」ともいいますが、ごくたまに生田のように二物、三物を与えられて生まれてくる子がいるんですね。こんな子は芸能界には見あたらない。
このため、先に書き込みされた方のように「アイドルグループのセンターでは輝かない」、「次元が違う」という印象を、私ももっています。
しかしながら、彼女自身が、アイドルが大好きで、芸能活動をとても楽しくやっているように
見えます。彼女がやりたいなら、とりあえずは今のままでいいんじゃないかとも思ってしまいます。それに彼女ぐらいピアノの弾ける子も、これまた管弦楽の世界ではたくさんいて、コンクールでしのぎを削っているわけで、アイドルで売れたのは彼女のアドバンテージでしょう。
助六様の記事のように、彼女の瞳には、芸能界や外の環境がどのように映っているのでしょうか。知りたいですね。こんな子がいること自体が不思議です。ダイヤモンドは、自分が、なんで、ひかり輝いているのか知らないんですね。
メンバーの誰の評価かど忘れしたが、いくちゃんは超現実主義者だと言う。夢や理想を仮に抱いていたとしても
それを夢物語にせず、自分の力で切り開き、夢に終わらせず現実のものとしてつかみ取る強さ。
乃木坂という枠には到底収まりきらないような可能性も感じさせるし、でも彼女が乃木坂46の一員で居続けて
くれることに安堵する自分もいる。
現在も総合力の高さが目立つが、素質があり、将来性も高く、今後が楽しみ。
彼女がセンターの位置でパフォーマンスしている姿を見て、「ここじゃない」と感じた。よくわからないが、他のアイドルと次元が違う見方で、業界に身を置いてる彼女には、いい意味でという曖昧の表現で、アイドルグループのセンターでは輝かない。だから、あまり惹かれるものがない。次元が違う。乃木坂の生田からさらにどう成長していくのか見てみたい。そう感じる逸材だと思う。乃木坂のセンターという枠にいれてイメージを固定化してしまうのはあまりに勿体ないとも言える。