「乃木坂46物語」(集英社刊)
メンバーの顔と名前さえ一致しないまま、2015年7月、僕は映画『悲しみの忘れ方』を見た。何も知らなかった僕は、まっさらな気持ちでこの映画を見ることができた。オーディション時の映像、舞台裏での衝突、スキャンダル、家族との関わり--映画を通じて僕は、メインメンバー五人を中心に、乃木坂46の歴史を一気に取り込んでいった。
僕は、乃木坂46を語る上で重要なキーワードは二つあると思っている。それが、「AKB48のライバル」と「ネガティブ」である。
乃木坂46は、AKB48の公式ライバルとして誕生した。これは最初から、相当ハードルを上げられているということを意味している。オーディションを突破しただけの、つい最近まで無名の女の子だった彼女たちが、いきなり、絶頂の極みにいたAKB48の公式ライバルと見做されるのである。
この重圧が、乃木坂46というグループの骨組みを作ったのだ、と僕は感じた。無からのスタートではなく、ハンデを背負ってのスタート。もちろん、ハンデを背負う分、恵まれた部分もあるが、しかし、まだ何者でもない彼女たちにとって、ハンデの方が一層強く感じられただろう。
そして、僕が彼女たちに最も強い関心を抱いた部分が、「ネガティブ」である。
全メンバーというわけではないだろうが、乃木坂46にはネガティブな子が多い。彼女たちが映画の中で語る言葉の後ろ向きっぷりには、驚かされることだろう。いじめられていて逃げたかった子、極度の人見知りで何も出来なかった子、オーディションに受かったことで恐怖を感じた子。反応の仕方は様々だが、乃木坂46は結果的に、ネガティブな子たちで構成されるアイドルグループとなった。
それは、いくつか曲を聞いてみても理解できるだろう。アイドルとは思えない曲調や詞の歌が結構ある。そしてそれらの歌は、歌う彼女たち自身にとっても共感出来るものだったからこそ、多くの者に響くのだろう。
ネガティブな人間は、ネガティブであるが故に考えすぎ、悩み過ぎる。その度に、多くの言葉が頭に去来することだろう。その蓄積が、人間的魅力として結実するのだと僕はいつも考えている。僕がネガティブな人間に惹かれてしまうのは、そういう理由なのだろう。僕自身もネガティブで、ネガティブな人間の思考回路が分かるつもりだ。だから、彼女たちの言動に共感してしまう。
乃木坂46の面々の多くは、逃げ続けてきた人生を送ってきた。逃げて逃げて、逃げた先にようやく辿り着いたのが、乃木坂46だった。少なくとも映画からはそういう印象を受ける。しかし、やはりそこも安住の地ではない。辿り着いた彼女たちを待ち受けていたのは、絶望という名のスポットライトだった。今まで逃げ続けてきた彼女たちからすれば、耐え切れないほどの試練。しかし彼女たちは、様々な理由から踏ん張り、耐え、過去の自分を払拭しようと努力していく。
そこに、物語が生まれる。
僕は正直、他のアイドルのことはまるで知らない。他のアイドルグループにも物語を持つ人間は多くいるのかもしれない。しかし、日陰を生きてきて、逃げて逃げて逃げまくって、その結果アイドルとなって強くなっていく、そんな人間がたくさんいるグループは、そう多くはないだろう。
乃木坂46は、弱い人間が輝ける場所だ。彼女たちは、自分たちの弱さを、未熟さを、不甲斐なさを自覚する。絶望を糧にして前進する術を覚え、傷だらけになりながらも前へ前へと進んでいこうとする。
彼女たちは、そんな奮闘の末に、少しずつ輝きを増していくようになる。そして彼女たちは、その輝きで、弱い僕たちのことも照らしだしてくれる。弱くてもいい、かっこ悪くてもいい、前に進む意志さえあればどこかには辿り着ける。人生に尻込みしていたはずの彼女たちが、予想もしなかったような“輝ける場”を与えられる。そこでもがき苦しむことで、間接的に僕らのことも明るく照らしだしてくれるのだ。僕はそういう気持ちで、彼女たちを見ている。
僕自身、つい最近、彼女たちとは比べ物にはならないレベルだが、“輝ける場”を与えられた人間だ。そういう自分の環境の変化も、乃木坂46に共鳴していく要因だっただろう。僕もネガティブで、与えられた“輝ける場”に尻込みしていた。けど、乃木坂46を見て、彼女たちの傷まみれの奮闘を見て、気合を入れられた。彼女たちと同じくらい努力が出来るかは、ちょっと分からない。けど、乃木坂46の面々に恥ずかしく思われない程度には頑張りたい。僕の内側に、そういう気持ちが生まれてきたのは事実だ。
そういう意味で、乃木坂46というのは僕の中で、一本の支柱のようになっている。寄りかかっているわけではないが、僕という存在を真ん中から支えてくれるような、そんな存在な気がする。彼女たちの奮闘の軌跡を、映像や文字で時折触れ直すことで、頑張ろうという気持ちが湧いてくる。彼女たちに出会えて、本当に良かったと思う。
本書の内容に触れよう。
本書は、「週刊プレイボーイ」で連載されたものをまとめた作品だ。時系列順に話が進むわけではなく、時間軸はあちこちに飛びつつ、乃木坂46というグループの歴史を描き出していく。
編集の仕方に差はあれど、ドキュメンタリー映画である『悲しみの忘れ方』と本書は、当然同じ素材をベースにしているわけで、描かれるエピソードなどにはかなり共通項がある。そういう意味で、あまり目新しさはない。しかしこれは、僕が『悲しみの忘れ方』を見ているからであって、そうではない人には、乃木坂46というグループの全体像を捉えやすいだろう。これまでにあった印象的なエピソード、どんな出来事を経て乃木坂46が強くなっていったのか、どんな思いでその時々を乗り越えたのか。様々なメンバーへのインタビューを通じて、乃木坂46を作り上げてきた数多くの絶望や試練を、丁寧に描き出していく。
ドキュメンタリー映画と概ね同じ素材ではあるのだけど、大きく違う点が一つある。それは、「アンダーライブ」である。本書では、アンダーライブについて触れている部分がかなりあり、特にこの部分が印象に残った。一つのグループに存在する光と影のあり方を一変させてしまったアンダーライブの歴史には、心が動かされた。
アンダーライブというのは、選抜メンバー以外のメンバーたち、詰まるところアンダーメンバーだけで行うライブだ。
『メンバーに取材をしていると、多くの“アンダーメンバー”が口をそろえる。
「ファーストシングルからサードまでのアンダーは本当にキツかった」』
『ある意味…自分との戦いでもありましたね。ファーストとセカンドの時期って、アンダーは、ほぼ仕事がなかったんです。基本、「乃木坂って、どこ?」は、選抜しか出れなかったですし、雑誌やテレビへの出演も、MVの撮影の量も全然違うんですよ』
乃木坂46は、AKB48らの48グループとは違って、ホームとなる劇場を持たない。ホームとなる劇場があれば、アンダーメンバーでも常にライブを行うチャンスがあるが、劇場のない乃木坂46の場合、選抜に選ばれない限り仕事はほとんどない、という状態になる。メディアへの露出が少ないから、握手会でも並んでくれるお客さんは少ない。
『何が一番恐怖かって、ヒマなのがアンダーだけだってことなんです。同じグループの仲間なのに、自分がご飯を食べているときに、みんなは働いてるんですよ。みんながさまざまな経験をしているのに、自分たちは、ただご飯を食べてる。それが恐ろしかったんです』
そんなアンダーメンバーの状況を、一言で絶妙に表現したメンバーがいる。
『CMとか雑誌とかで、よく“乃木坂さん”を見るんですよ。…いいなぁ、って思うんですよね』
冠番組「乃木坂って、どこ?」(現「乃木坂工事中」)の放送内で、川後陽菜が言った言葉だ。スタジオは爆笑に包まれたというが、それはアンダーメンバーの共通の感覚だった。それほどまでに、アンダーメンバーには光が当たらなかったのだ。
『仕事がないなかで、地方とかのイベントにアンダーだけで行くこともあったんです。それが本当に楽しくて。「もっとライブがやりたいね」って、みんなで話していました。それはアンダーメンバーの“悲願”でした』
彼女たちは、「何もない」という絶望に落とされていた。乃木坂46という名前をもらいながら、何をするわけでもなく学校に行っている。テレビや街で“乃木坂さん”を見かける。全力でやっても選抜に選ばれない。もうどうしたらいいのか分からない。そんな抜け出すことの出来ない絶望に囚われていた。
それを変えたのが、アンダーライブだ。選抜とアンダーという区分を反転させるような成果を生み出すこのアンダーライブも、スタートは酷いものだった。
『昼間に行なったミニライブでは満員だった会場は、3分の1すらも埋まっていなかったのである』
アンダーライブに応募する条件が厳しかったこともあって、初回のお客さんの入りは壊滅的だった。
『がらがらでした。それが始まりです。落ち込みました。でも、それでも来てくれたことがうれしかったんです。もう「この人たちのために全力でやろう」って』
どれだけ酷い環境でも、彼女たちにとってアンダーライブは救いだった。彼女たちには、もうそこしかなかったのだ。何もやることがない、そんな絶望的な日々を過ごすのはごめんだった。彼女たちは、必死だった。
『「アンダーの概念をぶっ壊す」
「私たちは、“2軍”ではない」
そんな信念の詰まったそのライブは、光が当たらないアンダーメンバーだからこそつくり上げることができた“彼女たちだけの場所”である』
アンダーメンバーは、「選抜のできないことをやる」を合言葉に、ライブをつくり上げて行った。乃木坂46全体のライブは、演出家など様々な人間の手を借りて作られるが、アンダーライブは演出から何からすべてをメンバーが率先して決めていくライブだ。
『やっぱり、全員でやる大きなライブだと、できないことっていろいろあるんです。それをアンダーライブはどんどん挑戦していく。選抜メンバーから見ていても「こんなこともできるんだ!」っていう驚きと発見ばかりなんです。とにかく“熱くなれるライブ”でしたね』
彼女たちは、ありとあらゆることをやった。考えうるすべてのことを。踊りすぎてけが人が続出するほどだった。でも、テーピングを巻いて踊り続けた。やらなければならなかった。突っ走り続けるしかなかった。
『正直、アンダーライブに人が来なくなったら、すぐに終わるっていうのはわかっていましたから、「次へつなげなきゃ」って気持ちが大きくて。乃木坂46の半分はアンダー。もし次に選抜に入れたとしても、その次のシングルではまた戻ってくるかもしれない。そう考えるとアンダーライブはとても大事な場所だったんです』
『「一度でも、客が来なくなったら終わり」
そんな、常に崖っぷちな状態で、アンダーライブは幕を開けたのである』
結果、アンダーライブは驚異的な支持を得るようになる。
『「アンダーライブがすごいらしい」
「今、アンダーを見ておかないと、必ず後悔する」
「もしかしたら、選抜よりもすごいかもしれない」』
そんな噂がファンの間で広がるようになっていった。やがてアンダーライブは、チケットの取れないプレミアライブになっていく。そしてついに、日本武道館でアンダーライブが開催されることになった。ちょうど、僕がこの感想を書いている今日(元の記事をブログに書いた日のことです)、武道館でアンダーライブが行われているようだ。
『まさに、「アンダーの概念」が壊されようとしていた。
「アンダーは、選抜の2軍ではない」
メンバーもファンも、心からそう感じていたことだろう』
ずっと影にいて、活動がないという絶望と葛藤しながら、その溜め込んだ絶望を一気に放出するようにして一気に光を呼び込んだアンダーメンバー。輝ける場所を、彼女たちは見つけたのではない。自らの手で作り出したのだ。影が光になる。乃木坂46というアイドルグループは、一つ大きな進化を遂げることとなった。
しかし、アンダーライブの成功は、乃木坂46というグループにとって、新たな課題をもたらしもした。乃木坂46はあたかも、「選抜」と「アンダー」という二つのグループに分かれてしまったかのように、まったく別の存在になっていったのだ。お互いに交流する機会は多くはない。アンダーの側には、パフォーマンスでは選抜には負けないという自負も生まれ始める。その違和感を乗り越え、乃木坂46はまた一つ大きくなっていくのだ。
ドキュメンタリー映画ではアンダーライブのことは一切触れられなかったので、アンダーライブについて読めただけでも本書を買った価値は十分にあると思った。「アンダーの概念をぶっ壊す」を目標にアンダーライブを次々に成功させ、選抜とアンダーの区別を一面では反転させるという強さを持った乃木坂46というアイドルグループの凄さを感じた。
全体の話では、「16人のプリンシパル」の話も印象的だった。これは、ドキュメンタリー映画でも描かれているのだけど、改めて文字で読むと、やはりこの「16人のプリンシパル」というミュージカルは過酷だったのだなと実感させられた。
『そこからの毎日は、正直…地獄でした』
高山一実を除く、ほぼすべてのメンバーが、似たような感想を持っているのだろうと思う。高山一実は、トーク力の高さで有名で、人前で臆することなく話せる。乃木坂46の初期の頃からその類まれなトーク力で自己PRで圧勝していた。2012年に行われた第1回目の「16人のプリンシパル」は、自己PRを元に観客から投票してもらい、その順位で配役が決まるというシステムを採用していた。誰がどの役に選ばれても大丈夫なように、全メンバーが全セリフを覚えなくてはいけないという、それだけでも十分過酷な企画だった。
『努力して、報われないときが一番キツいんですよ。みんな「つらいね、逃げたいね」って言ってました。帰りのバスが超うれしかったのを覚えています。一刻も早く帰って家に閉じこもりたかったです』
しかし、選ばれるメンバーが楽かというと、そういうわけでもない。
生田絵梨花は、その圧倒的な歌唱力と演技力で、ほぼ全公演で1位という驚異的な結果を残していた。しかしその生田にも悩みがなかったわけではない。
『ほかのメンバーを慰めるのも違うし、自分のつらさを出したら「あなたは選ばれてるじゃん」ってなっちゃうから。』
乃木坂46はそもそも、オーディションの時点で「暫定選抜」を決められている。その後も、あらゆる場面で順位付けされるイベントを経験させられている。「AKB48が5年掛かった道を5ヶ月で進ませる」というのが乃木坂46を運営する上での秋元康氏の意気込みだったようだが、まさにそれを体現するかのようなハードな試練の数々に、メンバーは疲弊していた。
『自分を絞り出して戦う。プリンシパルによって、それまでの乃木坂46とは大きく変わったと思います。悪い意味じゃなくて“戦っていく”っていう姿勢のコが増えたんじゃないかなって。自分を高めていって、刺激し合って、上に向かっていく関係性ができたことによって、シビアに鍛えられたと思うんですよ。』
『プリンシパルによって、それまでふわっとしていたメンバーたちが変わったっていうのはあります。人間の影の部分っていうか、人間の本質を引き出されたような感覚がありました。この経験によって、この後に歌うことになる乃木坂の楽曲に力を与えたんじゃないかなって思うんですよね』
そんな風に、乃木坂46という存在にとって厳しく、成長の糧となった「16人のプリンシパル」。目の前のことを必死でこなしていくしか出来なかった少女たちは、この経験を経て、“戦っていく”という姿勢を身につけることになった。
乃木坂46の中で、最も戦っていたのは、生駒里奈ではないだろうか。ドキュメンタリー映画を見ていても思ったが、生駒里奈は実に物語性のある少女だと思う。
『その中にひとり。
伏し目がちで、猫背の少女がいた。
秋田県から参加したその少女は、キラキラと輝く少女たちの中でひとり、ずっと床ばかり見ていた。
少女の名前は生駒里奈。
彼女も、この乃木坂の地に人生を変えるためにやって来たひとりだった』
学校でいじめられていて、高校に進学する気力もなくなってしまった少女は、「逃げるため」に乃木坂46のオーディションにやってきた。
『そして、地方組メンバーの全員が口をそろえるのが、「覚えているのは、生駒里奈(秋田県出身)がいつも泣いていたこと」だったという』
母と離れて暮らすのが初めてでホームシックになった少女は、コンビニの弁当が食べられず、さらに口の中が口内炎でびっしりになった。いつも自信がなく、何も出来ないと思っていた少女。その少女が、デビューシングルから5作連続でセンターを務めることになる。
『「アイドルって成長を見守りたいもの」って思っていたので、生駒ちゃんはセンターに合うだろうなって』
ドキュメンタリー映画でも、生駒里奈は常に乃木坂46の中心だった。踊る時の立ち位置の話ではなく、乃木坂46の精神的支柱とでも言おうか。いじめられ、まるで自信のなかった女の子が、未経験のままセンターを経験するというとてつもない重圧を課された。その葛藤。苦悩。絶望。それらをすべて受け止め、逃げることなく全うした生駒は、6曲目シングルでセンターから外れた時、安堵を感じる。
『だから…あのときのことは、いろいろ言われるんですけど、本当の気持ちとしては、6枚目でセンターじゃなくなったことで、苦しみが外れて。「また、新しい気持ちで行こうぜ!」っていう、前向きな気持ちだったんですよね』
その後も生駒は、AKB48との兼任を受けるなど、乃木坂46の中で常に中心的立ち位置であり続けている。「ネガティブは生駒里奈の武器」とまで言う少女は、ネガティブであるが故に涙を流し、ネガティブであるが故に決して満足せず、そしてネガティブであるが故に誰よりも物語性に満ちている。場が人を作る好例だろう。
場が人を作るもう一人の好例は、西野七瀬だろう。
『正直、中学時代、何をしていたか覚えていないくらいです。男子ともしゃべらないし、「話しかけないでください」ってオーラを出してたと思います。話しかけられても、相手の顔を見れないんですよ。目が合っても、すぐサッてなっちゃうタイプ。』
乃木坂46の顔の一人と言ってもいい西野七瀬の今の姿からはまったく想像がつかないだろう。ドキュメンタリー映画の方でも、西野七瀬のかつてのネガティブぶりはよく描き出されていた。
しかし西野は、乃木坂46に入ることで、自身の「負けず嫌い」を認識することになる。
『私、乃木坂46に入ってから、自分が負けず嫌いだってことを知ったんです。今でもですけど、基本、争い事は嫌いなんです。でも、負けると悔しいんですよ。悔しいから、それがイヤで、ずっと争いを避けていたのかもしれません』
そんな彼女は、あることをきっかけに、心がぐちゃぐちゃになってしまう。「大阪に帰る」と言い、スタッフに引き止められる一幕もあった。
そのきっかけとは、秋元真夏の復帰である。
秋元真夏は、オーディションに合格し、暫定選抜で2番手に決まっていた、期待感を持たれていた少女だった。しかし、芸能活動が学校から許されず、活動をまだしていない内から、半年間の活動休止ということになった。
『その大事な半年間。自分は乃木坂46に参加できない。
「この半年を越えてしまったら…私のあのポジションはなくなっちゃう。戻れない…」
少女のアイドル人生はどん底から始まったのだった』
そんな秋元真夏は、衝撃的な形で乃木坂46に復帰することになる。
復帰直後の4枚目シングル、八福神に選ばれる、という形で。
前回七福神だった西野を押しのける形で。
(※編集注:4枚目で福神が1枠増加。3枚目の福神から西野が外れ、秋元と桜井玲香が新たに加わった)
『これまでの選抜発表と比べても段違いのショックを受けたメンバーたちは、大きく心を揺さぶられていた』
乃木坂46では、センターの選定で幾度も波乱を引き起こしている。6枚目シングルで生駒がセンターを外れた時には、選抜発表の場で生駒は倒れてしまう。AKB48との兼任を終えた直後の12枚目シングルで生駒がセンターに選ばれるということもあった。センターではないにしろ秋元真夏の復帰も、かなりの衝撃だった。
しかし、センターの選定で最も衝撃を与えたのは、堀未央奈だろう。2期生として加入したばかりで、活動もまだほとんどしていなかった堀未央奈が、いきなりセンターに選ばれたのだ。
『あれは…乃木坂46の歴史の中で、衝撃の強さでいったら、一番だったと思います。でもその中で未央奈が一番つらかったんです。先輩の目も冷たく感じたろうし、同期の目も怖かっただろうし。乃木坂46に入ってきて、いきなり未経験でセンターに立ったのは、私と未央奈しかいないんです。だから「全力で支えるから大丈夫だよ」って言いました。自分は絶対味方でいようって』
『でも、入ったばかりの2期生がセンターに立ったことで、“このコに超えられた”ってことが悔しかったんですよね。未央奈は悪く無いんです。でも…あれは、乃木坂46に入って3本の指に入るくらいに悔しい出来事でしたね』
話題作りも当然あるのだろうが、運営側は常に、メンバーに衝撃を与えるような形で物事を進めようとしているように感じられる。それも、AKB48にとっての5年を5ヶ月で、という実践なのだろうけど。その様々な試練を乗り切った彼女たちの奮闘を讃えたいと思う。
話を元に戻そう。秋元真夏が復帰後すぐに八福神という衝撃的な発表がされたことで、西野の心はぐちゃぐちゃにかき乱された。そしてその後、秋元真夏と話せない時期が長く続いたのだという。
そんな二人のギクシャクした関係は、他のメンバーもファンも知るほどのものになっていたが、どうなるものでもなかった。そんな二人の関係が前進した日のことが、本書に書かれている。頭では真夏が悪いわけではないと分かっているのだけど、生来の性格から行動に移せない西野七瀬と、後から入ってきて西野を追い落とした罪悪感から積極的に西野と関わることが出来ないでいた秋元真夏の関係は、ライブでのある出来事をきっかけに解消されることになる。実に印象的な瞬間だ。
『ずっと自分が嫌いで泣き虫だった、あの頃の自分みたいなコがいたら、乃木坂46のオーディションを受けてほしいなって思います』
西野七瀬は、乃木坂46の未来について問われて、そう答えている。
泣き虫、とは正反対なのが、“天才少女”と呼ばれた生田絵梨花だ。小さな頃から続けていたピアノは、音大に合格するほどのレベルだし、歌唱力、演技力もずば抜けている。バラエティ番組でも大きな笑いを起こす。なんでも努力によって完璧にこなしてしまう、まさに天才だった。
しかしその天才・生田絵梨花は、乃木坂46を辞めるかどうか悩んでいた。
音大に入りたいという理由でだ。乃木坂46の活動と並行して音大の受験の準備が出来るほど、音大は甘くはない。やはり辞めるしかないのか…。しかし生田は、しばらく乃木坂46の活動を休業するという形で、この状況を乗り切ろうとする。音大の受験を決めた後、ミュージカル主演のオファーが来た。悩みに悩んだが、これも受けることに決める。天才少女は、何ひとつ諦めることなく、すべてをやり切る決意をしたのだ。
『一日中、食事の時間以外は、常にピアノを弾いた。何度も何度も繰り返す毎日だった。
睡眠時間は、一日平均3時間。舞台の稽古がある日以外は、ピアノ漬けだった』
天才が努力を怠らないことで、どれだけ高みを目指せるのかをまざまざと見せつける。生田絵梨花はそんな少女だと言えるだろう。線が細く、どことなく“へらり”と言った感じの佇まいをしている少女からは想像も出来ない一面だ。
乃木坂46は2015年、紅白歌合戦出場を決めた。そこで、ライバルであるAKB48と同じ土俵で相まみえる。
『やっと同じ土俵に上がれたっていう意味でいうと、そこがスタートラインだなって思います。』
乃木坂46という存在は、どこまで大きくなっていくだろうか。アンダーライブによって、アンダーの概念を打ち破りもする。雑誌やドラマや舞台など、個々の活動はさらに広がってもいる。ネガティブを原動力にする彼女たちの快進撃は続くだろう。ネガティブだけど、彼女たちには負のオーラはない。彼女たちが生み出す優しい光が、やりきれない日常を抱えるすべての人をひっそりと照らす。乃木坂46には、そんな存在で居続けて欲しいものだと、僕は思う。
(文・黒夜行)
※本稿は、筆者が2015年12月に投稿した記事を再編集したものです。
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