乃木坂46を好きになってまだ1年弱。歌や踊りなどの部分よりも、彼女たちの言葉や価値観に関心を持ってきた僕は、乃木坂46関連の制作物全般については疎い。乃木坂46にハマったきっかけになった「悲しみの忘れ方」こそ、ドキュメンタリー映画という制作物だったが、それ以降は雑誌記事・書籍・ネットの記事・公式ブログなどをチェックしながら乃木坂46を追いかけてきたため、CDジャケットや振り付け、衣装などの乃木坂46のクリエイティブの部分はよく知らないままだった。
しかしどうも、乃木坂46というのは、クリエイティブという観点から見た時、驚くべき異端さを有しているようだ。
昨年発売された「月刊MdN」2015年4月号の特集「乃木坂46歌と魂を視覚化する物語」では、乃木坂46のグラフィックデザインや、映像作品、衣装、振り付けといった視覚表現面のクリエイションを、初公開の貴重な資料とともに全68ページもの膨大な紙幅を費やして取り上げている。乃木坂46のクリエイションの背後に一体何が潜んでいるのかをクリエイターの立場から掘り下げるという、アイドルの取り上げ方としては一風変わった特集だ。クリエイター側から見た乃木坂46のクリエイションは、他のアイドルグループではありえない狂気に満ちているのだと言う。
『エンターテイメント界のど真ん中にいるコンテンツでありながら、あんなに作家性を出してもOKなのは、いい意味で狂ってると思うんですよ。それなりに予算があって、前向きなキャストがそろっていて、自由なモノが撮れる……クリエイターが育ちやすい環境なんです』(映像ディレクター・柳沢翔)
『普通は稟議を重ねていく内に上で潰されちゃうもんでしょ。でも、ここには秋元(康)さんっていう人がいる。だから、秋元さんの周りのクリエイティブの世界って狂気に満ちてるけど、刺激的なんですよね』(乃木坂46運営委員会委員長・今野義雄)
『結果的にカメラマンの色に染まっていますし、僕はそれでいいと思っているんです』(アートディレクター・川本拓三)
最近テレビで、小室哲哉の特集を見た。その中で小室哲哉は、売れることが期待されている中での曲作りのプレッシャーについて話した流れで、「誰もダメ出ししてくれないんだよ」というような発言をしていた。誰も悪いと言ってくれないのだ、と。それは、小室哲哉というクリエイターへの評価であるのと同時に、小室哲哉というクリエイターに課された責任でもある。ヒットを生み出し続けること、その功罪が、小室哲哉のその発言に集約されている、と感じた。
秋元康も、常にヒットを求められている存在だ。小室哲哉と同様、誰からもダメ出しを受けることはないだろう。しかし秋元康の場合、自身も作詞家というクリエイターではあるが、同時に、全体を統括するプロデューサーでもある。この点で、ダメ出しをされないという性質がプラスに転じる。秋元康が、クリエイターに任せる、という決断をすれば、それがそのまま通るのだろう。「君のやりたいようにやってくれ」という指示は、これまでヒットを立て続けに作り上げ、誰からもNoと言われない秋元康だからこそ出せる。その決断が、乃木坂46というグループの方向性を決定づけ、現在に至る人気を獲得する背景になっていることは間違いないだろう。
『今野:やっぱり今、クリエイティブの現場がシステマチックになっている。以前は、テレビ、映画、音楽、出版、いろんな世界に良くも悪くも狂気に満ちた情熱とこだわりを持った異常な制作マンがいっぱいいたんです。時代の流れもあってだんだん、チームで合議制でとなるとサラリーマン化されてくる。制作担当者のやってる主な仕事が、制作ではなく制作進行になってしまうことが多くなってる。そうじゃないだろと。やっぱり制作マンは制作の中心にいないとものは絶対作れないはずなんです』
本書の記述と、秋元康という人へのイメージからだけで書くが、秋元康は常に、アンチテーゼの提示という挑戦をする者なのだろうと思う。AKB48が世の中に登場して初めて、「会いにいけるアイドル」というコンセプトが世の中に登場した(はずだ)。それまで遠くで見守るしかなかったアイドル。秋元康は、AKB48を生み出すことで、ファンとアイドルの間にある壁を打ち壊した。それまでのアイドル像に対するアンチテーゼがAKB48だったのだろう。
そういう観点から見ると、乃木坂46というのは、「クリエイションの自由」というアンチテーゼの提示への挑戦なのかもしれない。秋元康はこれまでずっと、何らかの形でクリエイティブな世界と関わり続けてきたはずだ。そしてその中で、“制作マン”が減り、クリエイションから自由が失われてきている、と感じた。これからも秋元康は、クリエイティブの世界で生きていくだろうし、そうであれば、クリエイションから自由が失われている現状は彼自身にとってもマイナスである。
乃木坂46を駒として使った、という表現は適切ではないかもしれないが、しかし秋元康は、意識的にか結果的にかはともかく、乃木坂46というアイドルを生み出すことで、クリエイションの世界に風穴を開けることに成功したのだろう。秋元康は、乃木坂46というアイドルを生み出すのと同時に、才能あるクリエイターを世に送り出すというチャレンジをしようとしたのかもしれない。
『柳沢:これから乃木坂46のMVや個人PVで育っていくクリエイターはもっと出てくると思いますよ』
『今野:有名な監督もとても素敵な作品を作っていただきますけど、乃木坂が最初だったよねっていうクリエイターがいっぱいいるのはとても誇らしい』
何故このような自由なクリエイションが可能なのか。そこには、AKB48グループとは違い専用劇場を持たないアイドルであるという点、先程も触れた秋元康というプロデューサーの存在、AKBとの差別化が至上命題であるという点など様々な要素があるが、乃木坂46のメンバーがすべて同じ事務所であり、一体としてマネジメントを行っている強さもあるという。
『川本:どうしてもこの人数でやってくれとか指定されるとデザインの幅がかなり狭まるので、クリエイティブに対しての信頼が厚いのはありがたいことです。また、通常、ジャケット制作する際には、マネジメントとレーベルの意見で板挟みになることがあるのですが、乃木坂46の場合、今野さんがマネジメントと絵作りを兼務しているので、意見が一本化されている点も非常にやりやすかったですね』
『メンバーをロケハンに呼べるということに驚くが、そこに運営サイドと川本さんの本気度がうかがえる』(1stアルバム「透明な色」のジャケット撮影、メンバーを連れたロケハン写真のキャプション)
乃木坂46のメンバーがすべて同じ事務所だから、自由なクリエイションが実現できた。確かにそうなのだが、しかしこの因果関係は正しいだろうか。もしかしたら、自由なクリエイションを実現するという大きな目標があって、そのために乃木坂46のメンバーをすべて同じ事務所にするという形が取られたのかもしれない。あくまで勝手な推測だが、もしこれが正しいとすれば、先に触れた、乃木坂46は「クリエイションの自由」というアンチテーゼの提示への挑戦であるという仮説にも真実味が増す。
『川本:アイドルの場合、クオリティの高い写真を撮るのは大前提でやらなきゃいけないこと。それに加えて、乃木坂46の強みとして、マネジメントとレーベルが一体になっているという点があります。なので、ジャケットもメンバー全員が同じ日、同じ場所に集まって一発撮りができる。写真にこだわっているのも、この利点を活かしてAKB48と差別化できるからという側面も大きいです』
シングル発売ごとに、全メンバーの個人PVを撮影する。可愛く撮られることを重視したいはずのアイドルのジャケット撮影で、一枚絵にこだわる。水中での撮影やセルフタイマーでの撮影など、完成度やスケジュールの関係で困難な撮影でも強行する。乃木坂46だからこそ可能なやり方で、メンバーとクリエイターは、ともに「乃木坂46」という世界を作り出していく。
乃木坂46は、容姿の整った女の子が集まっているアイドルグループ。ただそんな風に見られがちだろう。確かに、彼女たちの個々のポテンシャルは乃木坂46というグループにとって大きな要素ではある。しかし、乃木坂46を外部から支える、ある意味で「乃木坂46」というブランドを作り出してきたデザインもまた、乃木坂46の大きな一部と言える。
僕らの視界に入るのは、クリエイションという最終的な結果だけだ。よほどその方面に造詣が深い人でないと、クリエイションだけを見て、乃木坂46というアイドルグループの背景にある狂気を知ることは出来ないだろう。今回の特集を読んで、クリエイションを支えるその狂気こそが乃木坂46というグループのベースを作り出しているのだ、という事実を知ることが出来た。アイドル、という大きな括りで捉えるだけでは、乃木坂46を見誤る。様々な要因が揃っても、なおやり続けるのが困難なアイドル育成の方法に、彼らは日々挑んでいるのである。
乃木坂46のメンバーは、シングル制作期間、「制作中なんです」と言うという。そしてこれは、他のアイドルでは聞かれない表現であるようだ。
『―シングルを作っている期間、乃木坂46のみなさんは「制作中なんです」と言うんですけど、他のグループでそういった言葉を聞かないんですよ。メンバーとして積極的に参加している意識があるのかなと。
橋本奈々未:めっちゃみんな気にしてます。次はどんな曲なのか、いつ振りVがくるのか、次はどんなMVだろうって。11枚目のMV衣装に関しては2パターン提案されて、当初はAでいこうと考えられていたみたいなんですけど、私たちは曲やダンスの感じで明らかにBのほうがよかったので、そのことを伝えたら監督も「Bにしましょう」と言ってくれたんです』
『―シングルの制作期間、乃木坂46のメンバーからは「制作してます」と聞くことが多いのですが、他のアイドルさんからはそういう言葉を聞かないんです。だから、CDにしろMVにしろ、ひとつの作品に対して積極的に参加している意識を持っているのかなと思って。
西野七瀬:(長い沈黙)…はい。みんなそういう意識を持ってると思います。おかしいと思ったことはみんなで話して、スタッフさんに提案することもけっこうあるので。それぞれのメンバーがこだわりを持って取り組んでます』
乃木坂46のクリエイターたちが狂気を宿していることは理解した。しかしあくまでそれは、メンバー以外の意識の問題でしかない。実際に主役となって撮られるのは、乃木坂46のメンバーである。彼女たちは、自分たちがただの被写体ではなく、自分たちもクリエイターの一部なのだという意識を、どのように獲得していったのだろうか。
あくまでも推測に過ぎないが、それは、乃木坂46が専用の劇場を持たないことと関連があるのではないか、と思う。乃木坂46は、AKB48の公式ライバルとして登場した。しかし、AKB48と比較される一方で、専用の劇場を持たないという決定的な違いがあった。専用の劇場があれば、パフォーマーとしての自分を高めていくことは出来る。自分の振り付けや歌い方など、劇場での日々の反応をフィードバックし、常にチャレンジと修正を繰り返すことが出来る。そういう場があり、常に実践していれば、PVなどの撮影の際には、「自身はパフォーマーだ」という意識になるだろう。むしろそれが自然かもしれないと思う。
しかし乃木坂46の場合、日常的にチャレンジと修正を実践する場がない。ライバルであるAKB48はそれを日常的に行う場があり、自分たちにはない。その意識には、後から現れた、ライバルであるはずの自分たちが、先行するAKB48に追いつく術がないという実感が伴ってもおかしくないと僕は思う。
だから彼女たちは、チャレンジと修正の実践を、PV撮影などのクリエイションの方に振り向けた。彼女たちの内側にあった焦りが、彼女たちの意識をパフォーマーではなく、クリエイターへと向けさせたのだろうと思う。
『乃木坂46の特集を行った理由は、彼女たちが「いま人気のアイドルグループ」だからではなく、そういった前提の向こう側で、そのグラフィックデザインや、映像作品や、衣装や、振り付けが純粋に素晴らしいと思えたからだ。が、素晴らしいから特集をした、といった単純なものでもない。いま例に上げた乃木坂46の視覚表現全般が、彼女たちの存在と不可分にファンに愛され、語られ、魅力の求心力として働いているからというのが非常に大きい。もし彼女たちのCDジャケットが、映像作品が、衣装が、振り付けがこのようなものでなかったら、どれだけ乃木坂46がいまとは違った存在に見えていたか。そして、この魅力はファン以外の人にも絶対に気づかれるべきものだ。この特集は、乃木坂46が視覚表現面のクリエイションを軸に、さらに多くの人に語られるきっかけになると思う』
この特集の巻頭に書かれている文章だ。「そして、この魅力はファン以外の人にも絶対に気づかれるべきものだ。」というのは、僕もそう感じる。乃木坂46のファンになる前、僕は特別「アイドル」というものに偏見は持っていなかったと思うが、しかしそれでも、自分の日常には関係のないものだ、と思っていた。しかし、「アイドル」というものに関心がなくても、乃木坂46のクリエイションには関心を持てる可能性というのを、この特集は示唆してくれた。
乃木坂46のクリエイションは、「アイドル」という枠の中に押し込められているものではない。それは、有名無名様々なクリエイターが乃木坂46のクリエイションに参加し、そこから名が知られるようになるクリエイターを次々に生み出していることからも分かるだろう。乃木坂46のクリエイションは、それ単体で人を魅了する可能性に満ちている。
乃木坂46のクリエイションは、予定調和を吹き飛ばそう、という意識で作られている。
『2ndの時ぐらいから秋元先生に散々言われ続けたのが、「見た人をざわざわさせたい。それだけ話題になるものにしたい」と。』(アートディレクター・本田宏一)
『川本:夏休みになった瞬間の開放感というコンセプトで葉山で撮影したら、秋元先生に「こういう絵はみんな見飽きたのでは」と言われ、再撮影しなきゃいけなくなった。もうみんなぼうぜんとなりました』
『本田:(「君の名は希望」のセルフタイマーでのジャケット撮影について)正直、うまく撮れる気が全くしなくて、「しーらない!また再撮影だよ」って思っていて。そうしたら、本人たちのポテンシャルがすごくて、想像以上の動きと表情をしてくれて、結果的に大成功。』
『川本:(セルフタイマーでの撮影について)僕の方でメンバーの顔がきれいに映った写真も選んだのですが、結果的に顔や姿が見切れている、より偶然性の高い写真が採用に。その方が面白いし、それを選んだ運営サイドもすごいなと』
乃木坂46が「クリエイションの自由」というアンチテーゼの提示への挑戦なのだとすれば、これは当然の話だ。乃木坂46のクリエイションは、ファンの関心を惹き、またまだファンではない者の関心も惹きつけなければならないが、さらに、世の中の多くのクリエイターを惹きつけるものでなければならない。乃木坂46のクリエイションが発する自由の匂いが、より多くのクリエイターに届き、感染させなければ、「クリエイションの自由」は実現しない。そのためには、予定調和ほど排除すべきものはないだろう。
メンバーの橋本奈々未も、こんな風に語っている。
『橋本:でも、何も印象に残らない作品よりは、今でも「あのシーンはなんだったんだ」と議論される作品のほうが、アイドルのMVとしては成功だったんじゃないかと思います』
『橋本:100人中100人が賛になることはないと思うんです。何をやっても少なからず否はあるわけだから、映像作品として評価されるMVを作っていくことが乃木坂の評価にもつながるんじゃないかな。そういう意識はメンバーみんなにあると思います』
『橋本:かわいく明るく撮ることを優先しているアイドルグループは多いと思うんですけど、乃木坂の場合、メンバーは「かわいく撮ってもらいたい」とはもちろん思うんですけど、求められるのはそこじゃなくて作品としての完成度が優先されるというか』
乃木坂46では、メンバー自身がクリエイターであるという意識が共有されているのだから当然と言えば当然だが、しかしやはり、メンバー自身がこんな風に言っているのは新鮮に感じられる。特に、「かわいく明るく撮ること」以上に「作品としての完成度」を重視するという姿勢を、撮られる側であるアイドル自身が自覚している状態というのは、凄いことだと感じる。言語化能力の高い橋本奈々未だからこそ、自身の感覚をこうやって言葉に出来るのだろうが、他のメンバーもきっと、似たような感覚を共有できているのだろう。
こんな風に、予定調和を吹き飛ばすやり方で、それでも「乃木坂46」というイメージがある範囲内に統一されるのには、作り手側の『ジャケットで一つの世界観』という考え方がある。
『川本:「PVのシチュエーションを借りてジャケットを作ればいいじゃないか」という意見もあるんですが、今野さんも僕らもそれはあまりやりたくない。ジャケットはジャケットで一つの世界観でやりたいという想いがあるんです』
『インタビュアー:通常のジャケット制作では、楽曲からイメージを膨らませて考えると思うんですが、乃木坂46の場合、グループのイメージにぶら下がって作るのが個性的だと思います』
予定調和を吹き飛ばす、というやり方では、「乃木坂46」というイメージが統一されずにブレてしまう危険性もある。マネジメント側がクリエイションに可能な限り注文をつけないやり方を取っているのだから、余計にその危険性は増すだろう。だからこそ、通常であれば楽曲の顔になるはずのジャケットを、「乃木坂46」の顔として制作する。「乃木坂46」というイメージからジャケットを作り出すことで、全体のバランスを取っているのである。
そして、こういう作り方を支えるのが、やはり乃木坂46のメンバー一人一人の個性・ポテンシャルだ。乃木坂46運営委員長である今野義雄氏はこう語る。
『例えば最近であればサブカル的な仕掛けなどでプロデュースされるものも多いと思うんですけど、乃木坂の場合はメンバーにないものをこちらが持ってくるのではなくて、メンバーの中にあるものをどうやったら引き出せるかなと考えます。積み重ねていった時にたぶん、その方が無理がこない』
『そうではなくて、メンバーが魅力的であるからこそ、どうやったらその子たちを輝かせられるか、その子たち自身の中にあるものを引き出せるかっていうことを考える』
これも、マネジメント側がクリエイションに注文をつけない、というやり方を取っているからこそ可能となる。「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.1」によれば、乃木坂46は“学校”という大きなフレーム以外は自由だという。そういう広い意味での制約は存在するが、しかしそれ以外の注文がないとすれば、撮られる側の内側から何かを引き出すしかない。クリエイターの側に自由があるからこそ、メンバー自身の個性が引き出されやすくなる。僕が乃木坂46というアイドルに惹かれたのも、彼女たちから、他のアイドルを見た時には感じなかった「自然体」みたいなものを感じ取ったからかもしれない。もしそうだとすれば、クリエイターの勝利と言えるだろう。
メンバーも、こんな発言をしている。
『―他のアイドルやアーティストのジャケ写と比べた時、乃木坂46のジャケ写はここが違うんじゃないか、というのはありますか?
白石麻衣:あぁ。けっこう自然な感じで撮ってもらうことは多いかなとは思います』
『生駒里奈:乃木坂の制作物は、私たちの自然体の姿というか、作ったかわいさじゃなくて、持っている素材を良く見せようという考えが強いんじゃないかと思いますね。自分自身が作品になるという意識ですよね。』
メンバーの魅力を見出し、その魅力をどうクリエイションとして形にしていくのか。その裏側は、実に刺激的だった。「狂気」と称されるクリエイションだからこそ、見るものに届くデザインを生み出すことが出来る。アイドルグループの背景にそんな「狂気」が潜んでいることを知らなかった僕は、非常に新鮮な気持ちでこの特集を読んだ。
『乃木坂って「永遠のお試し期間」なんじゃないかと。私もそれでいいと思ってます。今まで乃木坂をどう紹介したらいいのか迷っていたんですけど、ファーストアルバムの「透明な色」というタイトルに「これだ!」と思って。乃木坂はいろんな色に染まることができるし、これからもいろんな可能性を試していきたいんです。でも、このメンバーだからこそ「透明な色」になっているから、乃木坂46は本当に奇跡の集まりなんですよ』
生駒里奈は、乃木坂46をそう評す。ファンにとってもクリエイターにとっても、そしてもしかしたらメンバー自身にとっても「永遠のお試し期間」であるのかもしれない乃木坂46という存在。その土台を作り出すクリエイションの裏側を是非知ってほしいと思う。
(文・黒夜行)
※本稿は、筆者が2016年5月に投稿した記事を再編集したものです。
関連黒夜行のブログ
MdNの特集はとても興味深く、楽しく読んだと記憶しています。
それ以前からMVに関しては、はっきりどこがどうとは言えないけれど、微かな違和感というか、どこか「普通じゃない」感はあったので、なるほど!と納得したことが多々ありました。
個人PVは、まあ、この企画自体が普通じゃないから笑
でも、出来上がったものははっきり言えば玉石混交ながら、所々にある宝石のような輝きの作品に惹かれていたのが、後々MVのクリエイターに起用されていった経緯を知ることが出来て嬉しかったですね。
ただ、筆者の考えた内容には、あまり納得出来なかったです。
例えば、グループのメンバー全員が同じ事務所に所属していることに特別な意味を見出しているようですが、そうであるのは、むしろ当然で当たり前です。個々のメンバーが違う事務所に所属している場合もありますが、それはあくまで例外ですから。
もっと気になったのは、筆者が果たしてどれくらい乃木坂46のMVや個人PV、CDジャケット等を目にされているのか?という点です。自ら疎いと仰っているのですから、詳しいとは毛頭思っていませんけど・・・。
クリエイターの言葉を淡々と引用しているだけで、私が感じたような驚きや納得が余り感じられなかったので。
コメントありがとうございます。個人的にはホメていただくより厳しい意見の方が嬉しいので、ありがたいです。
「もっと気になったのは、筆者が果たしてどれくらい乃木坂46のMVや個人PV、CDジャケット等を目にされているのか?という点です。」
これはご指摘の通り、ほとんど目にすることはありません。なので、「私が感じたような驚きや納得が余り感じられなかったので。」という感覚もその通りです。
一応僕の中には、こんな感覚があります。それは、
【僕の文章を読んで、乃木坂46に興味を持ってもらえたらいいな】
というものです。
乃木坂ジャーナルという、既に乃木坂46が好きな方が集まるだろう場所に書かせていただいている文章なので矛盾しますが、元々この文章は自分のブログに書いているもので、それをこちらに転載していただいているので、ブログで書いている時はそういう意識でいます。
そしてその場合、「既に乃木坂46のファンである僕自身の感覚や感想」よりは、「作り手側の論理や感情」の方が、まだ乃木坂46のファンではない人には届きやすいのかな、という感覚があります。
「クリエイターの言葉を淡々と引用しているだけ」というのは、そこまでちゃんと意識していたわけではないですけど、僕の中のそういう意識の表れかな、という気がします。
すいません、反論しようという意志は特にないのですが、自分なりに説明できることが思いついてしまったので書いてみました。これからもよろしくお願い致します。
もう一回読みなおそう
この本が発刊された時位までは確かに創造的な作品作りがされてたと思うんですが、ここ数作は自らが作り上げてきた乃木坂のイメージに良くも悪くも縛られてる印象。
安定したと言えば聞こえがいい?
そういう意味では2ndアルバムのジャケットは久しぶりにおおっ!と思った。
セカンドアルバムのジャケット、僕も好きです!