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何故僕は、握手会にもコンサートにも関心がないのかーー乃木坂46の”ファン”になったことで考えた、”ファン”であることへの違和感

今まで僕は、何らかの“ファン”になったという経験がない。テレビの向こう側の人でも、スポーツ選手やマンガの登場人物でもいいけど、何かの“ファン”になったという経験がない。乃木坂46が初めてだ。だから今まで“ファン”であることについて考えたことがなかった。

この頃、乃木坂46の“ファン”である、という自分に、どうもしっくり来ないものがある。

どういうことか、具体的に書くと、例えば、握手会やコンサートに行きたい、という気持ちが特にない。グッズが欲しいとか、グラビア写真を見たいとか、そういう感覚もちょっと薄い。

もちろん、まったく無いわけではない。握手会やコンサートだって、自分から申し込んだりはしないだろうけど、何かの偶然で行けるチャンスがあるなら喜んで行くだろう。雑誌を買った時にプレゼントの応募があればハガキを出してみるし、時々思い出したようにグラビアの写真を眺めたりもする。

でも、僕が“ファン”という言葉からイメージするような感じではない、という感覚が僕にはある。

今回の文章は、自分の中のそんな疑問からスタートしている。

さて、僕が“ファンっぽいこと”にあまり関心がないのには、二つ理由があると考えている。
一つ目は、「接触したいわけではなく関わりたいという気持ち」があるということ。
二つ目は、「思考や価値観にこそ僕の関心がある」ということだ。
この二つは、密接に結びついているわけだけど、とりあえず二つに分けてみた。

「接触するか関わるか」という感覚

AKB48 Handshake Event at Makuhari Messe

一つ目から行こう。
僕は、乃木坂46と「点で接触したい」という感覚があまりない。「点で接触する」というのは、まさに握手会やコンサートに行く、というようなものだ。“ファン”側からすれば、乃木坂46に“会える”数少ないチャンスだろうし、一大イベントだろうが、これは乃木坂46側からすれば「無数の点の集まり」でしかない。もちろん、それによってアイドルというのは成立しているわけだから、自分が好きな乃木坂46というグループを支えてくれるという意味で、そういう人たちの存在をありがたいと僕は思っている。けど、僕自身は、どちらが正しくて、どちらが高尚というわけでもなく、「無数の点の一つ」になりたくないな、と思えてしまう。

もちろんこれは、ほとんどの“ファン”がそう思っているだろう。しかし、だからと言って、「無数の点の一つ」ではない何かになれるわけではない。だから、せめて「無数の点の一つ」でもいいから接触したい、という思考なのだろうと思う。

ただ僕は、「無数の点の一つ」以外の何者かになれるかどうかに関わらず、「無数の点の一つ」にはなりたくないなぁ、という感覚があるのだ。どうもそのことに対して、自分のテンションが上がらない。

僕だってもちろん、「無数の点の一つ」以外の何者かになれる可能性を、ほんの僅かでも夢想することはない。いや、夢想レベルならなくもないけど、そこに現実感がプラスされることはない。でも、だったら、いや、そうであるからなおのこと僕は、「無数の点の一つ」であることを拒否したくなってしまうのだ。

なら、僕にとって、「線や面で関わる」というのはどういう状態を指すのか。
例えば、ミュージックビデオを担当する監督、乃木坂46のある番組の制作スタッフ、乃木坂46のメンバーをモデルに起用している雑誌の編集者、そういう存在も、僕にとっては「点」に思えてしまう。それらは僕にとって、瞬間的な接触に感じられてしまうのだ。

何故か。この点が、二つ目の理由と関係するのだけど、やはり僕が最も関心があるのが「思考や価値観」だからだ。上記の例では、期間限定で深く思考や価値観を知れるかもしれないけど継続的ではなかったり、継続的に関われても思考や価値観のやり取りがなかったり、という存在に思えてしまう。

だからたぶん、僕の一番の理想は、「乃木坂46に入ること」なんだろうな、と思う。変な言い方だけど、乃木坂46に入って、彼女たちと一緒に何かしたいんだろうな、と。実際、乃木坂46を見ながら感じるのは、「この人達と一緒に何かしたいなぁ」ということだ。彼女たちが奮闘しているところで、自分も同じ奮闘をしたいんだろうな、という感じがする。

もちろん、男である僕は、乃木坂46に入れる可能性はゼロだ。だから、「乃木坂46に入る」よりももう少し現実味のあるイメージは、「バナナマンになること」だろうな、と思う。アプローチとしては、“ファンであること”の延長線上にバナナマンを置いているのではなく、“ファンであること”を否定した地点からスタートしてそこに行き着いている(もちろん、これにしたって可能性はほぼゼロである)。

この「接触するか関わるか」という感覚から、僕はどうも“ファン”になりきれないように感じている。

「思考や価値観」

二つ目に行こう。
僕は、アイドルに限らず、他人に対して最も関心があるのは「思考や価値観」である。外見やスタイルや仕事などにまるで関心がないかと言えばもちろんそんなことはないが、常に最上位に位置するのは「思考や価値観」である。

そして、僕にとって「思考や価値観」というのは常に、「言葉」によってしか見ることが出来ない。どれだけ深い「思考や価値観」を持っていても、表出する「言葉」が貧弱であればそれは見えてこない(もちろんここには二つ注意点がある。一つは、「思考や価値観」が深い人間は、大抵必然的に「言葉」もきちんと持っているということ。そしてもう一つは、「言葉」ではなく、「映像」や「音楽」などによって「思考や価値観」を表出できる人間も存在するが、受け手である僕が「映像」や「音楽」に対する感度が低いので、それらは僕に届かない、という点だ)

だから僕にとって乃木坂46の“ファン”でいる、ということは、彼女たちの「言葉」を貪欲に取り込むこととイコールになる。

だから、乃木坂46が特集される雑誌を買う時も、グラビアの多さではなく、文字の多さで判断する。ネットで乃木坂46のインタビュー記事を探したり、齋藤飛鳥の公式ブログを遡れる限り古いところから全部読んだりする。こういう行動が僕にとって、相手に関心を抱く行為となる。

握手会やコンサートでは、乃木坂46メンバーの「思考や価値観」に触れることが出来る機会は恐らく少ないだろう。雑誌やネットで彼女たちの「言葉」を読んでいる方が、僕にとっては充実した時間になる。

もちろん、「思考や価値観」が表出しないようなものも楽しい。例えば、乃木坂46の4周年を記念した「乃木坂46時間TV」での齋藤飛鳥のラジオ体操は実に良かった。ラジオ体操をただ踊っているだけなので(というか、ラジオ体操を知らないまま踊ってるのだが)、「思考や価値観」の表出はないが、しかし良かった。これを僕はこんな風に分析している。

齋藤飛鳥の様々な「言葉」を取り込むことで、僕は自分の中に、勝手な齋藤飛鳥像を作り出している。そして、そのフィルターを通して齋藤飛鳥を見ることで、自分の中に齋藤飛鳥に対する「思考や価値観もどき」みたいなものが生まれる。齋藤飛鳥について何も知らない時にあのラジオ体操を見ても、僕はたぶん何も感じなかったと思う。でも、僕の内側で作り上げた齋藤飛鳥像というフィルターを通すことで、「本当はああいうことやりたくないだろうに頑張ってるな」とか「ラジオ体操を踊って喜んでもらうような自分って何か違うなとか思ってるんじゃないかな」みたいな、僕の中だけでしか通用しない勝手な「思考や価値観もどき」が生まれる。結局僕は、それを楽しんでいるのである。

そういう二つの意味で僕は、おそらく多くの“ファン”が関心を持つだろう握手会やコンサートには、あまり関心が持てないのだろうと思う。それよりも、「言葉」を通じて「思考や価値観」をどんどん取り込んでいきたい。乃木坂46というのは、そういう関心を抱かせるという意味で、とても興味深いグループなのである。

(文・黒夜行)

※本稿は、筆者が2016年3月に投稿した記事を再編集したものです。
※記事公開後、一部内容を変更しています。

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COMMENT

  • Comments ( 22 )
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  1. 無数の点という言葉にドキッとさせられました。
    私は色んなイベントに参加する方のファンですが筆者様と似たようなことを考えることがあります。
    筆者様は乃木坂の握手会やライブに参加されたことはありますか?
    もしおありでしたらどんな感想を持たれたのかお聞きしてみたいなと思いました。

    • コメントありがとうございます。
      僕はホントに、見たり会えたりするイベントに行ったことがないんです。写真とかテレビ越しにしか見たことがないです。
      行ったら行ったで楽しいんだろうな、と思ったりします。現実的に、なかなか行ける機会がなくて行かない、って理由もあるんですけどね。

  2. 握手会行ったりライブ行く人ばかりがファンではないからそれぞれのスタンスでいいんじゃないかと思う。
    テレビ見たりラジオ聞いたりするだけで満足出来るならある意味一番幸せかもしれない。

    ただ、お金を使ってくれるファンが少ないと大所帯グループはすぐに存続の危機が迫る。
    握手券を何十枚どころか百枚単位で買うのもいてそういうのは全然いいとは思わないけど、グループの財政面を考えるとそういう層も必要なんでしょう…。

    乃木坂の今後を考えればお金使ってあげたいと思うんだけど、最近逆にあまりお金を使わなくなりつつある。
    握手行きたいメンバーの券はほとんど取れなくて自動的にお金を使う機会がなくなる。
    でも、何よりも運営のやり方には不満が多いから運営にお金を落としてあげたくないという思いが強くなってきてどうしても欲しいもの以外は買わなくなってきている。

    グループの事を考えれば、お金を使う層が多いほど運営が楽になるし永く存続していくのは間違いない。
    いつも行かなくても乃木坂が好きならライブ(特に地方公演)や握手会へたまには足を運んで時々お金を使ってあげるといいんじゃないかと思う。

    • コメントありがとうございます。楽しみ方は色々、という部分に賛同してくれて嬉しいです。

      お金の面では、まさにおっしゃる通りだなぁといつも思っています。僕みたいな、割とサイレントな楽しみ方が出来るのは、お金を使ってくれるファンがいるからだよな、と。そこは忘れないでいようと思ってます。

  3. 乃木坂のファンでも、何に価値観も持つかは、自由で縛られるものではないと思う。
    自分の価値観で納得できる応援をしていきたい。
    自分は、元々ロック派からの乃木坂推しなので、ライブを重視するんだけどね!(笑)

  4. 何をもってファンとするかの定義なんて無い以上、自分次第ですね!
    自分はファンなんだと思うかどうかが一番大事なのであって他人に
    決めてもらう事じゃありませんよ。
    乃木坂によって色々な意味で存在感なり何なりの満足感のようなもの
    が得られるならそれでOKじゃないでしょうか?
    それが握手なのかライブなのか楽曲なのか色々な楽しみがあって良い
    と思います。

  5. お金使ってないみたいに言われてますが乃木坂の映画見たり乃木坂の出てる雑誌買ったりしてるのはお金使ってるって言わないんでしょうか?
    乃木坂に限らず現場に行かない(行けない)在宅のファンだっていっぱいいますよ

    乃木坂は握手会もライブも大規模になってきてるのでそれを見てそういう人たちが“ファン”で在宅は?と疑問に思うのは理解できます
    この記事は自分をファンと言えるのか戸惑いがあるようにお見受けしますが応援する気持ちがあればそれだけでファンでしょう
    興味の範囲や使う金額の大小で考えるものじゃありませんよ

  6. 初めて何かのファンになって、それがアイドルなら尚更違和感を覚えるのは仕方ないことでしょうね。
    ファンとは現場に熱心な者という先入観から自らもファンであると帰結する過程は大変興味深く読ませて頂きました。

  7. 色々と理屈を述べているが結局は私達多くのファンの
    メンバへの金銭的な賛同にタダ乗りをされている様に思う。
    非常に不愉快ですね。

    • 貴方個人の感想をファンの総意の様に語られる方が不愉快です。
      握手会か何かを金銭的賛同とおっしゃいますが行きたくても行けない人だっているんですよ。
      在宅ファンは全員タダ乗りというのなら暴論極まりない。

  8. まとめての返信ですいません。記事を書いた者です。
    概ね、自由にファンを楽しめばいい、という意見でありがたいな、と思います。自分がファンであるか否か、悩んでるというわけではないのですが、自分の思考を整理する目的もあって、こんな文章を書いてみました。

    タダ乗りをしてる、という意識は、少しあります。だからこそ、自分のことを「ファン」と称していいのか、という問いが生まれたのです。ただそれによって罪悪感が生まれるかというと、そういうわけでもありません。

  9. 感覚的に共感してます。
    私は売れないながら役者の仕事もしている乃木坂ファンで
    乃木坂メンバーは共演する対象で握手会やライブで接触する対象ではないのです。
    まさに書かれているような「バナナマンになりたい」的な感じでしょうか。
    以前、舞台で共演させていただいた役者さんが乃木坂46SHOWのコントで乃木坂と共演を果たし
    得も言われぬ感じを味わって、共演したいとの思いが更に強くなりました。
    まぁ、現状では共演できない可能性の方が90%と思いますが
    氏の「乃木坂46に入りたい」と私の「共演」というのは遠くない感覚と勝手に思ってます。

    • コメントありがとうございます。

      共演したい、という感覚は、僕も近いなぁと感じます。凄くわかります。外から見るのではなく、内側に入り込んでみたくなる対象なんですよね。お互いにそんな潜り込み方ができるといいですね!

  10. 雑誌やネットでの言葉は他者が介在するけど握手会は直接言葉に触れる機会という一面がありますね

    • 確かにそうですね。語られたけど触れられない言葉がある、というのは残念な気もします

  11. 西武ドームでのLIVE。シングルごとの合間に「乃木坂辞典」というコーナーがあった。その中で「コール」という項目をなあちゃんが読んでたんだけどその中にこんな一節があった。「名前を呼んでくれたりタオルを掲げてくれたり・・・もちろんそういう方を見るのはうれしいです。でも私は知ってるんです。じっと目を閉じて歌を
    私たちの声に耳を傾けてくれる方がいることを」

    自分も地方住でかつ金型設備関係の設計以下ライン設置までの生産技術全般を担当しているのでほぼ休日はあいてません。ラインを変更したり金型や設備の「トライ」はラインが動かない「定休日」でないとできないからです。
    今までライブに行けたのはやっとこさとれた西武ドームだけでした。DVDは「NOGIBINGO」が放送されない地域でもあるので毎回買ってます。でも握手会のために100万円今までつかったとかいう「秋元真夏さんが訪問した」女性ファンにはとても及びませんが自分がもともと乃木坂を好きになったのは彼女たちの言葉や考え方でした。自分は乃木坂ってどこという番組でいくつもの宝石のような言葉に出会いました。3枚目選抜発表のあとにMCのバナナマン両氏が選ばれなかったメンバーにかけた言葉。市來玲奈の「どんな結果になっても周りのみなさんに感謝するんだよと母に言われてます」という言葉、卒業した岩瀬裕美子が最後に残した言葉、自分を変えることができた西野七瀬の素直さと勇気、一番厳しい復帰の仕方をさせられたのに今では乃木坂一のいじられキャラでありながらも肝心なところでは絶対の信頼を勝ち得ている秋元真夏、自分をセンターから追い落とした二期生堀未央奈を最初に認めた白石麻衣。堀未央奈と同世代で彼女の選抜入りと同時にアンダー行きになったにも関わらずに堀と親友になれる星野みなみ、自分の選抜入りのことより仲間の初選抜を喜ぶ齋藤飛鳥。彼女たちを見てるといつも新たな感動があり、教えられることがたくさんあります。彼女らが活動できるのはお金と時間を使ってくれるファンのみなさんがいることを改めて思い知らされた文章でした。

    • 言葉や考え方を好きになった、というのは僕もその通りなので、そういう方がいると嬉しいです。乃木坂46は箱推しが多い印象がありますが、そういう部分も影響しているのかもしれませんね。

      お金を使わなければ乃木坂46は存続できなくなる可能性があるけど、お金を使わなければファンというわけでもない。そういうことを意識した上で、これからも僕は僕なりのファンとして乃木坂46を応援しようと思います。

  12. この手の記事を読むと、お金と時間を使ってる側として、どうしてもひとこと言いたくなってしまう自分がいます。

    「楽しみ方は人それぞれ」「行きたくても行けない人もいる」それは重々承知なのですが、ともすると、「カネなんかかけない方が高尚なのだ」「オレはカネをかけない自分に誇りを持っているんだ!」と読めてしまうこともあります。

    ビジネスである以上、今の乃木坂を享受できるのはお金が動いているからであって、そこが崩れてしまったら何もないです。

    「カネを使ってる奴はそれだけの対価を得てるじゃないか。偉そうにするな」は暴論かと。
    (筆者様の論旨とは幾分ずれてるかもしれませんが、ご容赦ください。)

    • まず、僕の論点とズレているコメントでも、一向に構いません。僕は、僕の文章がどう解釈されるかよりも、僕の文章がどんな影響(というと大げさですが、このコメント欄で色んな意見が出てくるのも、僕の中では「影響」です)を及ぼすのかに関心があるので、どんな意見であれ価値観であれ、僕の書いた文章をきっかけとして表出したものであれば僕にとってはとても興味深いです。ありがとうございます。

      僕の場合は、「結果的に関心の方向性が金を使わないものだった」という感じです。つまり、運営側が想定する対象ではない、ということでしょうか。意図的に論点をズラしますが(議論や対立を望んでいるわけではないので)、そういう「運営側が想定していない対象」さえも取り込んでしまうような魅力を持つのが乃木坂46なのかな、という気もします。

  13. 何だか記事とコメントで話がばらばらになってませんか?
    個人がどんな形で楽しもうと法やモラルに反する形でなければ他人がとやかく言うことではないと思うのですが。
    ライブも握手会も行かない=乃木坂にお金を使ってないと決めつける流れもおかしい。
    それ以外にもお金を使う場面はあるしそれを含めて使ってないと決めつけてるのだとしたらますますおかしいですよ。

    そういう方は尤もらしいことを言ってるようで要するに「俺はお金も時間も使ってるのにお前は使わずに楽しんでずるい」とか「俺に感謝しろ」「お前もお金を落とせ」みたいな自分たちの浅ましさをさらけ出してるだけの様に思えますね。
    そういう態度を自覚してるから誰も言ってない「偉そうにするな」の言葉が出てくるんじゃないですか?

    お金を使う人がいるから活動の幅が広がるのは事実でも一消費者がそれを鼻にかけて人様に講釈たれるのは立場を履き違えてると思いますね。
    何にお金を使うかは各個人が自発的に考えるべきことであって他人があれこれ指図することではありません。

    • このコメント、とても嬉しいです。僕の文章の意図を正確に読み取ろうとしてくれたこと、ありがとうございます。

      一つ前のコメントの方にも書いたことを繰り返しますが、僕自身は、自分が書いた文章をどう受け取られても構わない、と思っています。どのみち、文章を書いた人間の意図通りに受け取ってもらえるというのはほとんど幻想に近いと思っていますので。どう解釈されるかよりも、僕の文章をきっかけにどんな反応が返ってくるかに関心があります。その反応が多様であればあるほど、文章を書いた甲斐があったな、と感じます。このコメント欄で(あるいはここ以外の場でも)色んな価値観に触れられる今の状況は、僕としてはとても興味深いです。そういう前提の上で、やはり、僕の文章を書いた人間の意図を汲み取る形で解釈してくれる方のコメントはより嬉しいです。

      色んな”ファン”の形があるのだと、改めて感じさせられました。

  14. 筆者様
    過去記事も読ませていただきました
    映画を見たり雑誌を購入されてる筆者様の場合タダ乗りとは言いません
    タダ乗りとは文字通り一切お金をかけない無銭のことを指します

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