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齋藤飛鳥の主体性~乃木坂工事中「齋藤飛鳥・独り立ち計画 初めての◯◯」を見て~

nogikou-site1511テレビ東京系「乃木坂工事中」

4月10日放送分の「乃木坂工事中」#51(テレビ東京系/毎週日曜24時)が、齋藤飛鳥をフィーチャーした回だった。少なくとも僕が前身番組の「乃木坂って、どこ?」を見始めてから、齋藤飛鳥が一人で特集されるのは初めてだ。彼女が選抜に定着したのもここ一年の出来事だから、多分それまでもなかったんじゃないか、と思う。

齋藤飛鳥が出来ないこと

企画は、「齋藤飛鳥・独り立ち計画 初めての◯◯」と題して、齋藤飛鳥が一人では出来ないこと、やったことがないことを、メンバーからのタレコミや検証なんかを交えながら紹介していく、という内容。

まずざっと、番組の中で取り上げられていた、「齋藤飛鳥が一人ではできないこと、やったことがないこと」を挙げてみる。

■服を一人では買えない(ちょっと前まで買い物自体一人で出来なかった)

■朝ごはんを一人では食べられない(母親に食べさせてもらっている)

■ご飯を炊いたことがない(手伝いではなく、一品自分で完成させる、という意味での料理はしたことがない)

■高校生になるまで缶ジュースを開けられなかった(缶詰はこの企画の日まで開けられなかった)

なかなか斬新だ。スタジオでも、バナナマンを初め、メンバーもかなり驚いていた。もちろん僕も驚いた。

黒か白、どちらの猫耳をつけるかで母親と3時間悩んだり、爪が剥がれそうになるから缶ジュースは一生開けられないと思ってたとか、朝ごはんを食べさせてもらってるのは髪を乾かす間に食事を済ませたいという時短の意識なんだとか、それぞれの話でぶっこんでくるエピソード自体ももちろん面白い。

でもそれ以上に僕は、それを喋ってる齋藤飛鳥のスタンスが良いなと思って見ていた。どのエピソードも、「え、別に普通だけど」みたいなスタンスで話すのである。殊更に変わってる部分をアピールするでもなく、かと言ってもちろん自分のやり方が普通であることを力説するでもなく、割と淡々に、えぇ私はこうですから、みたいな雰囲気を自然と醸し出していた。

僕は、子供の頃は、周りと違うことをかなり恐れているようなところがあったので、周りから「えっ?」って言われるだろうエピソードは積極的に話せなかったし、今は今で、自分のおかしな部分を積極的に出すことで対人関係の防御にしているような部分があるので、ナチュラルな感じで自分の行動や選択を話せない。齋藤飛鳥は割とそういうこととは無縁だ。自分にとってそれが日常であるからそうなのだ、周りからどう思われてもいいし、別に自分からアピールもしませんよ、というスタンスが表によく出ている感じがして凄く良かったな、と。彼女のことを語る時にいつも年齢のことを出してしまうんだけど、よくもまあ17歳でそういうスタンスを身につけられているものだな、と感心する。

齋藤飛鳥の主体性

しかし齋藤飛鳥というのは不思議な子だな、と。奥が深い。こういう底の知れない人間には益々興味が湧いてしまう。

服を自分で選べないとか、(時短を理由に)朝ご飯を一人で食べられないという話からは、齋藤飛鳥の主体性のなさを感じる。自分の意志がない、こうしたいああしたいという欲求に欠けている、そんな風に見えなくもない。でも、そういう見方をすると齋藤飛鳥を捉え間違えるんだろうな、という気もする。

齋藤飛鳥は、主体性を持つ対象が限られているのだ、と僕は捉えている。そしてそれぞれに対して0か100かのレベルで主体性を持っているのではないか、と思う。

彼女自身が主体性を持たないと判断している対象に対しては、本当に主体性0で臨む。それが、服を自分で選べないという行動に繋がっていく。そこに自分の意志を一切介在させない。そのすべてを他者に委ねてしまう。

そして自身が主体性を発揮すると判断している対象に対しては、主体性100で臨む。

齋藤飛鳥は、仕事で疲れている日は、家に帰る前に母親に「今日は疲れているので話しかけないで下さい」というメールを送るという。齋藤家は、母も二番目の兄も陽気なのだそうで、二人のやり取りはネタみたいだという。普段はそれに突っ込むが、疲れている時はそれをやりたくないから先に宣言しておくのだ、と。

これなどまさに、主体性100の事例だろう。番組に電話出演した彼女の母親が、娘は家では、本を読むか携帯をいじるかしかしない、と言っていたが、自分はこうしたいと思う対象に関しては妥協せずに自分の意志を貫く。

そして恐らくだが、齋藤飛鳥には、その中間の主体性というのは無いのではないかと思う。そんな雰囲気を感じる。主体性40とか主体性70みたいなことはなくて、何に対しても0か100。そんな風に決めているから、外から見た時にちぐはぐな印象を与える結果になるのかもしれない、と思う。

主体性を0か100のどちらかに振り分けるというのは僕もやっている。それは、人間関係をどうにかこなしていくのに都合のいいやり方なのだ。

主体性0でいることは、他者の判断や価値観をそのまま受け入れることだ。僕は、食べたいものもやりたいことも行きたい場所もなく、「ご飯をどこへ食べにいくか?」「どこへ遊びに行くか?」「どこへ旅行に行くか?」というような判断の際に自分の意見を言わない。意見があるのに言い出せないのではなく、自分には一切意見がない、ということを常日頃からアピールしていて、どんな判断でも文句をいわずに受け入れるというスタンスを貫いている。実際僕には、一切の文句がない。主体性0で行くと決めているので、自分の意見を出さないでいられるというのが一番の理想状態であり楽な展開なのだ。

主体性30ぐらいとかで臨むと、自分にも決断の責任が振り分けられる。だったら、自分の意志をゼロにして、主体性なく関わるのだというスタンスをアピールして他者と関わる方が楽な状況は多い。僕は、世の中の大半の事柄に対してそういうスタンスで臨んでいる。

しかし、それだけではどうしてもしんどくなることはある。だから、主体性100で臨む領域を確保するようにしている。主体性100で臨むということは、他者を一切関わらせない、ということだ。これは逆に、すべてを自分で決めるということだが、他者の判断や選択に後悔することもないし、すべての責任を自分で受け入れればいいだけなので、これも実は楽な選択なのだ。

社会の中で生きていく上で、すべての事柄に対して主体性100で臨むことはしんどい。だから大半の事柄に対しては主体性0で臨む。他者と関わる際には、自分の意志を一切介在させないことで楽に乗り切ろう、という判断だ。しかしそれだけだと自分の心が死ぬ。だから、主体性100、つまり他者の意志を一切介在させない領域をきちんと確保しておく。そういう意識を常に持っている。

齋藤飛鳥が同じスタンスでいるかどうかは判断できないが、近いものを感じはする。齋藤飛鳥はそろそろ部屋を借りて一人で住むことも検討しているという。その環境の変化が、主体性の判断基準に影響するかもしれない。それまで、生活全般は主体性0の対象だったが、一人暮らしをすることで主体性100に変わるものも出てくるかもしれない。彼女の母は、娘はやれば出来るのにやらないだけなんだ、と語る。主体性0で臨む時は、やれるけどやらない、という判断になるのは当然だ。やらなければならない、という状態になった時、齋藤飛鳥の主体性はどんな風に変化していくのか、楽しみである。

ナレーションと齋藤母の面白さ

齋藤飛鳥本人と関係ない部分で面白かったのが、料理のナレーションと、齋藤母の最後の言葉だ。

齋藤飛鳥が初めて料理をする(チャーハンを作る)という企画では、ナレーションが秀逸だった。

『玄米を炊飯器に直接、「ま、いっか」と思える量入れます』
『炊飯器に油を適量入れ、適当な設定でスタートさせます』
『にんじんの皮むきでは、一周回ったことに気づかないのでずっと剥き続けます』
『絶望的な弱火で、油を引かずにご飯を炒め始めます』
『奇跡的に火力が強くなったので、炒めている音がし始めます』
『しょうゆ レタス 塩コショウ の順で味付けをします』

最初から最後までこんな調子でナレーションが続いていく。齋藤飛鳥の手順の変な部分を大げさに取り上げるのではなくて、さも普通に調理をしているかのようなテンションで描写することで、その異常さがより際立つ形になったのではないかと思った。

あと、齋藤母の最後の言葉は、スタジオでも大爆笑だった。齋藤飛鳥はやれば出来るんだ、私が病気で寝込んだ時には色々手伝ってくれる、という話の流れで、「私はおかゆが好きなので」と母が言うが、これが凄く面白かった。齋藤飛鳥はおかゆが好きと以前番組でも言っていたし、チャーハンを作っている時にも、みんなパラパラのご飯が良いっていうけど私はべちょべちょが好き、と言っていた。そのおかゆ好きが遺伝だったのか!という面白さがあった。

「常識はちゃんとある」と繰り返し主張していた齋藤飛鳥。この企画からは、常識の持ち主であるという雰囲気はまるで感じられないわけだけど、この感じのスタンスでこれからもやっていって欲しいなぁ、と思う回だった。

(文・黒夜行)

※本稿は、筆者が2016年4月に投稿した記事を再編集したものです。

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COMMENT

  • Comments ( 4 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. いつも自分がただ漠然と「飛鳥ちゃんいいなぁ。」と思ってることを上手く文章化されていて、毎回読むのが楽しいです。

  2. ありがとうございます!そんな風に言っていただけると凄く嬉しいです。

    あくまでも僕の妄想による解釈なので、正解かどうかは神のみぞ(いや、飛鳥のみぞ 笑)知るという感じですが、これからも勝手に齋藤飛鳥を解釈していきたいと思います。

  3. コラムを書いてる人の個人的な考えって書いてあるけど、なんか飛鳥がやりたい事は全力だけど興味ない事はどうでもいい人みたいに書かれててちょっとイヤかな。
    文章が凄く上手いから飛鳥をあまり知らない人が読んだら本当にそういう人だと思われそうな気がしなくもないような気がする。
    なんか文章がしっかりしてて説得力あるから余計にコワイw
    いち飛鳥オタとしてはこうやって飛鳥に興味がある人が話題にしてくれるのは嬉しいけどね〜

    • コメントありがとうございます。

      「主体性を持たないと判断している対象」と「興味のない対象」はイコールではない、と受け取っていただけると良いかもしれません。「興味はないけど主体性を持つと判断している対象」もありえるでしょうし、「興味はあるけど主体性を持たないと判断している対象」もあるかと思います。

      例えば齋藤飛鳥は、「アイドルは好きだけど自分からは話しかけられない」的な発言をしていると思います。これなんかはまさに、「興味はあるけど主体性を持たないと判断している対象」の好例かな、と。主体性と興味は、必ずしも連動するものではないと僕は思っています。

      ただ指摘を受けて、確かにそういう風にも読めるなぁ、と思いました。こういう風に言っていただけると、文章をより客観的に書けるようになる気がします。ありがとうございます。

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