先日、「永遠の0」(百田尚樹)という小説を再読しました。この小説は戦争、中でも神風特別攻撃隊を描いたフィクションです。そして、この小説は『過去』を描いているだけではありません。まさに『今』も描いている作品です。
この小説に教えを乞い、今、僕達が直面している問題を検討し、僕達がなすべきことを考えてみたいと思うのです。
軍部という強大な力を持つ組織がありました。兵士一人の命の値段は「一銭五厘」(=赤紙の郵便料金と同じ)と言ってはばからない傲慢さがありました。
一方で、国のため、愛する家族、仲間のために、命を懸けて戦った若者達がいました。
また、情報操作により誘導され、自分の意見を持てない国民がいました。
『軍部』、『兵士』、『国民』、この3つの関係について語らせてください。
軍部の持つ強大な力に関して。
連合国という強大な敵を前にして、軍部、兵士、国民が一つの方向を向かなければ太刀打ちできないという状況があり、そのためには全体を取りまとめられる権力のある上層部が必要であったことは間違いありません。
ただ、その強大な力が傲慢さを生んだこともまた事実です。大きな目標のためには、多少の犠牲は仕方がないという傲慢さです。
その傲慢さが生んだ作戦の一つが特攻隊でした。特攻隊員の多くは20歳前後の若者達でした。その若者達が特攻作戦により散華していったのです。
当時、軍には抗命罪というものがありました。上司の命令に逆らったものが問われる罪で、死刑もありうる厳罰です。統制を守るための手段でしょうが、逆らうということが出来ない土壌があった時代に下位の兵士が駒のように扱われた元凶です。
特攻隊員は九死一生ではなく『十死零生』の作戦を受け入れます。受け入れざるを得なかったのです。その彼等の恐怖、悲しみ、葛藤は如何ばかりだったか……。彼等が書いた遺書に、彼等の本当の言葉はありませんでした。何故なら、そこには軍の検閲があったからです。そして、彼等が死んだ後に残された家族、その家族を悲しませてはいけないとの想いから、遺書には決して『死にたくない』とは書けなかったのです。『心配しないでください、お国のために立派に逝きます』としか書けなかったのです。
国民の話に移ります。軍部の情報操作により、国民も一つの方向を向かされます。方針に逆らえば『非国民』と非難されました。おかしいと思っても、お互いに疑心暗鬼になり、おかしいと声を上げることが出来なくなっていました。
そして、国民が犯した最大の過ちは、戦地に送り出すときには英雄扱いした若者を、国のため、家族のためと命を懸けた若者を、戦争に負け、帰還してくると、手のひらを返して、白い目で見るようになってしまったのです。
『戦果』という言葉があります。軍上層部にとって戦果は出世のバロメーターだったそうです。戦争の方針決定、作戦、指揮、判断などといったものは出世のために成された可能性が指摘されています。国や国民のためではなかったのです。
そういったことがあったとしても、やはり逆らうことのできない兵士たちは命を懸けました。純粋に国のため、国民のために戦ってくれました。でも、その兵士たちを国民は白い目で見てしまったのです。白い目を向けるべきは軍上層部だけであって、一般の兵士に向けるべきではありませんでした。
『先人に学ぶ』という言葉があります。同じ過ちを繰り返さないための教訓です。現代に生きる僕達は、今、どうすればいいのでしょう?
スタートは『自分の軸を持つ』ことだと思います。一人の人間として考えるのです。『軍部』の情報操作により、大きな流れが作られようとしても、自分の考えに合わなければ迎合しない。強い自分を持ち、自分の納得できることを、自分のできる範囲内でやればよいのです。
考えてみてください、『大きな目標のためには多少の犠牲は仕方がない』ですか? それとも、『犠牲の上に成り立つ成功は本当の成功ではない』ですか? どちらも正しく、どちらも綺麗事ですが、いずれ目の前に突き付けられる問題だと思っています。
次に僕達がするべきことは『見極める』ことです。『軍部の戦略、判断、指示が何を目的としているか』を見極めるのです。『軍部の戦略』が『兵士』や『国』、『国民』のための戦略なのか、それとも、『軍上層部の出世』のためなのかを見極めるのです。軍上層部のための戦略であれば、僕達は「No!」と言う準備をしなければなりません。
ただし、現時点では情報がほとんど無いので、静観するだけです。情報が出てきたらまた考えようと思っています。
最後に間違いを犯してしまった時。
人間は間違いを犯す動物です。その時は正しいと思っていたとしても、振り返ってみた時に間違いだったことに気付くなんて、よくある話です。
その時に、『軍部』、『兵士』、『国民』それぞれが、その間違いに正面から向かい合うことが出来るか? というか、向かい合わなければいけないのです。
負けを認める勇気、撤退する勇気、やめる勇気、謝罪する勇気、そして、その反省の上でもう一度前を向く勇気。間違いを犯した人が、その間違いに正面から向かい合っている時に、その間違いを許す勇気。
極論を言えば、間違った選択をしてしまってもいいのです。その後の対応が大事だということです。
僕は日本に、日本人として生まれて幸せだなって思っています。戦争に負けた日本だけれども、今に生きる僕は、負けたこと自体は不幸ではなかったと思っています。
だから思うのです、勝つことだけが幸せではない。負ける勇気、勝たなくてもいいと思う余裕、その気持ちが『軍部』に踊らされない僕達の作戦です。
野畔(あぜ)の草 召し出だされて 桜かな
(訳)自分はあぜ道の雑草でしかない存在だったけれども、特攻隊に召集され、任務を戴くことで、桜として立派に散ってゆけます。
桜は鮮やかに散ることから、特攻隊の象徴とされました。国のため、国民のために命を懸ける若者達を、今度こそ守らないと、守ってあげないと。それが現代に生きる僕達が成すべきことです。
参考資料:百田尚樹著「永遠の0」(講談社文庫)。石井宏、赤羽礼子著「ホタル帰る―特攻隊員と母トメと娘礼子」(草思社文庫)。
なーちゃんが映画見たって言ってた
乃木の草 召し出だされて AKBかな
この路線転換が成功すれば
乃木坂ファンとメンバーは永遠負荷をかけられ
それを刺激としてより金をださせられる未来が待っている
akb嫌いの受け皿でもあったのにそこを破壊してしまっては本末転倒とでもいうべきか なんだかなーってかんじです
8thのリリースラッシュもわざと乃木坂の売り上げを減らさせることにより兼任容認させやすい環境に導いてきてる感じがするんですよね(乃木坂も兼オタ増えてましたし)
メンバは乃木坂は乃木坂だといってるがはたして必死に守ろうとして守れるものだろうか あまりにも脆弱な環境だから一気に崩壊する可能性はあるかな
第二のskeのような末路が見える気がします
大河ドラマ『軍師官兵衛』でこんな台詞がありました。
「人は生かしてこそ使い道がある」と。
『グラスホッパー(伊坂幸太郎著)』ではこんな言葉がありました。
ジャック・クリスピン曰く、「死んでるみたいに生きたくはない」。
『ダレン・シャン』ではこんな言葉が出てきます。
「死してなお、勝利の栄冠に輝かんことを」。
『生きる』って何でしょう?
『死ぬ』って何でしょう?
乃木坂46のメンバーは今、
『生きている』でしょうか?『死んでいる』でしょうか?
例の一件を経て、読後の興奮もあって良い気分になっていたのかもしれないが
さすがに比喩にしても過ぎると思う。
可能であれば、できるだけ落ち着いて客観的に読み直すといい。
いやまさに現在の乃木坂に当てはまる話
メンバーはなんであれ頑張るとしか言えない
正しい方向で頑張らせてあげんと。頑張った結果すべてを失っては悲しい
まったくその通り。
良いことには良い、悪いことには悪いときちんと意見を述べることが、ファンとして大切だよ。
今回のことに安易に納得して、おとなしくお金を出し続ける人は、まさにただの運営の金づる。自分の意志もなければ、メンバーの真意を汲み取ろうともしない。
これまでの2年半を正当に評価し、今後の乃木坂のあるべき姿をきちんと考えられる人こそ、本当のファンなんじゃないかな。
AKB嫌いって握手会で稼いでる時点で大差ないと思うんだが…。総選挙反対って言いつつ握手人気で選抜しろって…。AKBとの違いってグループカラーじゃないのかい、橋本も言ってたがメンバーが変わるわけじゃないでしょ、松井一人でカラーが変わるならもともとカラーなんてないよ。AKB嫌いの受け皿って言うが何かを嫌ってる人達の集合体なんてろくなもんじゃない。実際ろくな連中じゃないのがたくさんいるのは今回の騒動ではっきりしたけど。ヲタも成長しなきゃホントに…。
ヲタの成長とは、何も言わずお金を出し続けることですか?
確かにビジネスの仕組みは、AKBと大差ないですよね。しかしメンバーもファンも、公式ライバルということにアイデンティティを感じてやってきたじゃないですか。そうした誇りを傷つけられたことに対して、不満の声をあげるのは至極当然だと思いますよ。
これがおとなしく受け入れられれば、総選挙によっていよいよ乃木坂がAKBに取り込まれるでしょう。
ただ変化を黙ってやり過ごすような金づるに、みんななりたくないんじゃないですか?
総選挙は立候補制だよ、しなきゃいい話だよ
ファンの反発がなければ、
乃木坂であんまり厚遇されてないメンバーなんかは、チャンスと捉えて出るかもしれないよ
「方向性の違い」っていうよくあるバンドの解散理由みたいな状況にならなきゃいいけどw
そう単純な話にはならないと思うよw
まるでAKBを好きにならなきゃ乃木ヲタやめろと言わんばかりのレスだね。
そういう押し売り感が嫌われてるんだよ。
もし秋元康が「乃木ヲタやるなら無理してでもAKBを好きになれ」というのなら乃木ヲタやめさせてもらうよ。
別に俺だってAKBが好きなわけじゃないよ、というか乃木坂のメンバーが好きなんだよ、そこが変わらないなら問題ないだろっていうのが一番言いたいことね。
これからどんどん変わっていくから問題なんだよ。生駒と松井だけで済む訳がない。
乃木坂のメンバーは少しずつ48Gへ兼任もしくは移籍してゆき、代わりに48Gメンが乃木坂に入ってくる。そうしてなし崩し的に乃木坂46はAKB化してゆき、AKB総選挙にも参加することでただの支店NGZ48となる。
こんなことは如何にも秋元康とAKSがやりそうなことだ。
俺も「乃木坂のメンバーが好き」という一点でファンでいるし、それはどの状況でも変わらないことだが
今回のことが「問題ない」とは全く思ってない。このままなら乃木坂のメンバーとファンは、今後も運営に翻弄され続けて尊厳を傷つけられるばかりだから。
「これからも乃木坂は乃木坂」「私たちがブレることはない」とメンバーたちは言うけれど
それはひとえに運営次第。今回の決定に対してメンバーたちが為すすべもないように、運営がブレれば彼女たちもそれに従うか、さもなくば乃木坂46を辞めるしかない。
もう運営は十分にブレている。
ほんと、メンバーの気持ちひとつじゃどうにもならないのにね。
グループを作ったのも、あの子たちを売り込むのも、みんな資本がやってることだもの。
その言いなりになるしかないメンバーの言葉尻だけ聞いて、「安心したよ」なんてよく言えるよね。
ブレまくった運営に口を出せるのはファンだけなのに、どうして懐柔されてるんだよって、ちょっと悲しくなる
『組閣の件、すごく驚いたし悔しいと思った・・・・・ でも、この前向きな記事を読んで安心云々…』
↑メンバーのブログにこういうパターンのコメントだけは書かないようにと心がけてます。検閲のもとでなんとか本意を伝えようとあれこれ模索。
確かに運営はブレてるって言うけど、乃木坂46の生田絵梨花の場合は公式ブログで今回の組閣に対して口を閉ざしていたし、今回の8thシングルのカップリングも秋元康にお話してドイツ語のタイトルになったと勝手に思ってるみたいだし、相変わらずFNS歌謡祭や新堂本兄弟、乃木坂46Showで自由気ままにピアノを弾かせてもらってるなどしてるから、運営は生田絵梨花を相当に気に入っているか、清純イメージを守り抜くために必死なのかのどちらかが考えられそう。AKB48の松井咲子や、HKT48の森保まどかが「TEPPEN」以外でピアノを弾かせてもらえないのに比べたら、生田絵梨花は運営に優遇されてる気がする。
こういう問題の中でメンバー個人に対する猜疑はやめよう。違う感情から発している。
松井咲子はピアノソロのアルバム出させてもらってるよ?
確かに松井咲子はソロでピアノのアルバム出させてもらっているけど、AKB48の活動の中でピアノは演奏しない。
もはや事務所に入れる人は早くそうして運営とはマネージャーを通して対話出来る様にしないと簡単に捨てられかねないね。AKBの総選挙も利用できる人は出てもいいのでは?もうAKBG否定してないのだから。
只、アンダーのメンバーはキツイかなぁ・・小さい事務所でもいいのかな?あとは運営のやる気だけだけど。
物語の続きはもう見れない。
アイルトン・セナがいなくなって人気が落ちていったF-1を見てきたからなぁ…「個性的なドライバーが大勢いた」っていうのもセナの存在があってこそっていう…。
前田、大島という大きな存在を失うことで、AKBや乃木坂のシステム自体が終わる可能性を考えると、何かせずにはいられなかったんだろう。
ところが、そうしたプロデューサーの意識に関係なく、ファンの側が思った以上に「公式ライバル」の設定がどうでもよくなっていたって感じ。
前田敦子、大島優子、篠田麻里子、etc.
もう黄金期では無いAKBに留学する意味があるのか?乃木坂46の為なら高橋みなみに監督を兼任させて、まゆゆとユニット活動したらいいのでは?
生駒が行ったからって何もプラスにはならない。
戦いには作戦・方法が大事なんだ。特攻隊は人・物・時間・金の無駄だった。
乃木オタをAKBにも金ださせる
そのとっかかりが兼任でしょ
ごちゃまぜぽんちゃんしてAKBを延命させるためだけだから
兼任の意義に意味があるわけない
先の文章を読んで軍部は運営、兵士はメンバー、さしずめ国民はファンということかな!どこの組織も上層部は怠惰で傲慢で堕落している!
謙虚なのは兵士と国民。また戦争とは何か!その戦争をして何が得られるのか!アイドル業界では、ファンの数?CD総売上数と営業利益?でもそういう尺度を越えて見るところにファンはアイドルに陶酔する魅力を感じるし、アイドルに関しては強い弱い、勝った負けたの尺度は必ずしもの当てはまらない。アイドル戦国時代という言葉なんて誰が考えたのか?そもそもアイドルは音楽家、舞踏家、芸術家、芸能家であって、兵隊や一部上場企業の大手商社の企業戦士じゃない!
まあ生駒ファンはAKBの生駒も買うだろうし、松井ファンは乃木坂の松井も買うだろう。で、それはどちらが多いでしょうね?今回の件をそもそもで考えていくと本体が大赤字のSONYはソフト部門の切り離しを株主から言われており、その分離をするかしないか、ソフト部門の発言力を増すためには目先の利益を出し続けるしかなく、今のSONYにとって短期的に今以上売り上げを増やすためにはどうしたらよいか?今回の件がその手段のひとつである事は明白。握手券がフォーチュンミュージックから購入したものしか有効でないこともCD販売店分の利益をSONYで吸収するため。全てがこれに尽きており、今後もファン無視の目先の利益追求は続くでしょう
まあそうでしょうね。
ひとつ、判断に足りない情報があるのです。
SMEもしくはSMAの経営方針の影響です。
AKSとの力学、投資戦略に関わるのは勿論。
そしてなにより、チームを愛しながらも、
この世界で歌い、人々に愛される
タレント活動を夢みるメンバーを推す私には、
今後のメンバーのマネジメントに関わる
条件として、注目してます。
乃木坂46運営委員会の対応は最低であったと思う。彼らは戦前の帝国軍のつもりなのか?乃木坂46はグループであってファミリーでは無いのであろうか?
メンバーは駒で、ファンはCDやグッズの購入者に過ぎず、リスナーなど不要だとも思っているかも知れない。大組閣が始まった段階(発表の前)にメンバーを集め説明を行い。組閣終了と同時にファンに対して声明を出せなかったのか?
勝手にやるから勝手について来い! それでいいのかなぁ?