Nogizaka Journal

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客観視のモンスター・山下美月

3つのキャラを使い分ける少女

「部屋にいる時の私、友だちやメンバーと一緒にいる時の私、ステージに立っている時の私、その3つのキャラが存在するんです。」(「BUBKA」2017年8月号/白夜書房)

3期生の山下美月はそう語る。山下美月は、客観視のモンスターだと、僕はインタビューを読んでいて感じる。

山下美月のパッと見のイメージは、恐らくこんな感じだろう。
「正統派の美少女」「ザ・アイドル」「明るくて元気な女の子」
まさにアイドルになるべくして生まれたような――などというと大げさ過ぎるのかもしれないが、そういう雰囲気を醸し出す少女ではないかと思う。「BRODY」2017年10月号(白夜書房)で山下美月のインタビューアーを務めた方も、「正直、オーディションでの山下さんの印象は『できあがっちゃってるな』でした。器用だし、ずば抜けて完成度も高かったので。」と語っている。中身を知らなければ、その印象が変わることは恐らくないのだろう。

しかしインタビューを読むと、山下美月のまったく違う面が見えてくる。

「久保(史緒里)ちゃんはそういう弱い自分と真正面から戦っているタイプだと思うんです。ただ、私の場合、もう一人の自分を作って、違う人間に乗り移ってるみたいな感じなんですよ。
―ステージに立つ時は、ってことですか?
アイドルとして活動する時は、違う人間になっているような感じがして。でも、そういうのをすべてはずしちゃったら、ネガティブで人付き合いの苦手な人間なんです。」(前出「BUBKA」)

彼女の自己認識では、彼女は「ザ・アイドル」なのではなく、「ザ・アイドルに近づこうと必死に努力している女の子」なのだそうだ。アイドルとして活動している彼女を見ているだけでは、そういう面は見えてこない。何せ、「3つのキャラ」を使い分けているというのだから。

たくさん並べた繭玉にずっと顔を描いていたり、下を向いて泣き叫んだりしている「部屋にいる時の私」、モアイ像のような顔をしたり、ギャグを言ったりとワイワイ騒いで過ごしている「友だちやメンバーと一緒にいる時の私」、理想のアイドルに近づこうと振る舞っている「ステージに立っている時の私」。(前出「BUBKA」参照)

3つのキャラを使い分けていても、山下美月は嘘をついているわけではない。あくまでも、胸に抱く理想を追求するために、それぞれの場面における切り替えを徹底しているのだという。

ファンには基本的に、「ステージに立っている時の私」しか見えてこない。「部屋にいる時の私」「友だちやメンバーと一緒にいる時の私」として山下美月自身や久保史緒里が語る姿は、イメージと離れていてなかなか想像が出来ない。僕のように、インタビューを読めば、多少見えてくる部分もある。しかし、それもどこまで信頼できるのか。

「私はあんまり人に本心を見せないんですよ。人と深く関わったら自分の中身まですべて知られちゃう、という怖さがあって。たぶん本当の私は誰にもわからないというか、私にもわからない…。これも全部キャラだと思っているので。
―えっ!?今日のインタビューも全部?
アイドル・山下美月としてしゃべっているので。すべてアイドルとしての発言だと思っています。」(前出「BRODY」)

どうにも掴めない女の子だ。こういう、外側からのイメージを切り裂くような人格は、一体どのように生まれたのだろうか?

引きこもりで無口な学生時代と特異な客観性

My room - With pen

「私は引きこもってネットばかり見てたよ。日光を浴びたくなかった(笑)」(「OVERTURE」2017年6月号〈No.11〉/徳間書店)

「本当にずっと家にいて全然しゃべらなかったです。大人しいというか無口で。表情もそんなに明るくない…暗かったです(笑)」(前出「BRODY」)

乃木坂46に入る前の自分自身を、彼女はそんな風に語る。正直、なかなかイメージできないだろう。家から出ないとかネットやテレビばかり見ていた、というのはともかくとしても、「無口」「大人しい」というイメージをアイドル・山下美月から引き出すのはかなり困難だ。それこそ、学校の中で上位のカーストにいて、友達がたくさんいて、いつでも友達と遊んでいる――こういう勝手なイメージをもたれるのはきっと嫌いだろうが、今の彼女しか知らない視点からは、やはりそう見えてしまう。

学校での過ごし方も、非常に特異だ。

「自分の中で『こうしていれば普通の人間だ』っていうのがあったんです。何人か友達がいて、学校では単独行動をせず、誰かに合わせていれば可もなく不可もなくで、ずっと一定の状態であり続けられるだろうなと思って……めっちゃ性格悪いやつみたいですね(苦笑)
(中略)
小学校のときと高校では上にも下にも行かずに(筆者注:スクールカーストの)真ん中でした。クラスにもちゃんと馴染めてて、いろんなことをそれなりにやる生徒っていうか、そういうふうに思われなきゃ、という意識がありました。」(前出「BRODY」)

こういう発言から理解できるのは、山下美月の特異な客観性だろう。集団の中での自分という存在を、常に俯瞰して見ている。もちろんそれは、思春期の若者であれば多くの人が持つ視点ではあるはずだ。しかし、なんというのか、その客観的な視点の使い方が変わっていると僕には感じられるのだ。

集団の中での客観性は普通、その集団の中での自分の立ち位置を有利にするために発揮されるのではないかと思う。どうしたらこの集団の中で、自分が良い立ち位置を確保できるのか。普通はそれを考えるのではないかと思う。しかし山下美月はその客観性を、ちょうど真ん中を保つために使った。恐らく、彼女の容姿や、あるいは今アイドルとして発揮している明るい部分を出していけば、その客観性を駆使しながら集団の中でかなり上位にいられたはずだ。しかし彼女はそうしなかった。それには、彼女なりの痛い経験が関係しているようだ。

小学生時代、「クールドール」(笑わないお人形)と呼ばれていた。冷たく近寄りがたいと思われていると判断して暖かみを出そうとするも、やり過ぎても目立ちたがり屋だと思われてしまう。それ故に山下は、「『普通の人間として見られよう』って努力しました」(前出「BRODY」)と語る。

ある意味で彼女は、その容姿が足枷になっていたと言えるのかもしれない。彼女は、自分が集団の中できちんと受け入れられるように、器用にその立ち位置を変化させてきた。しかし、自分がどう見られているのかという高い客観性を持ち、さらに他者からのイメージを修正させるような自己改造の能力まで持ちながら、どうやっても周囲からプラスで見てもらえる立ち位置を確保できなかったようだ。その苦しい経験から彼女は、可もなく不可もなく、目立つでも目立たないでもない、ちょうど真ん中の立ち位置を確保できるように振る舞うようにしたのだ。

「そのときは学校がすべてじゃないですか。だから、まわりに嫌われたら私の人生は終わっちゃう、という恐怖感がありました。結局、人の目線を気にしすぎちゃって、人の目に合わせて自分を作っていたんだと思います。」(前出「BRODY」)

僕も、「まわりに嫌われたら私の人生は終わっちゃう、という恐怖感」は学生時代持っていたし、僕自身も自分を客観的に見ながら自分の立ち位置を把握することはやれていたと思う。しかし山下美月のように、自分の立ち位置を器用に上下させたり、それを諦めて早い段階で「普通」を目指そうとしたりする生き方は、たぶん僕には出来なかっただろう。

僕は、女性は容姿さえ良ければ人生がすべて上手くいくとは思っていない。まさに山下美月はその典型例みたいなものなんだろうとインタビューを読んで感じた。本人も語っているが、非常に辛い学生時代だっただろう。

人生をやり直すためのオーディション

そんな彼女は、自分を変えるために乃木坂46のオーディションを受けた。

「自分のなかで今まで中途半端にやってきたことの後悔を晴らすためにも乃木坂46に入って、これから先の進路や人間関係をすべて捨てて、再スタートするんだ!って。」(前出「BRODY」)

乃木坂46には本当にそういうメンバーが多い。他のグループのことは分からないが、やはり乃木坂46には同じような人間が集まるような雰囲気があるのか、あるいは選ぶ側が意識的にそうしているのか。

「―芸能界に入りたかったということは、人前でなにかをすることが好きだったんですか?
というよりも、『今いる場所から逃げ出したい』という思いが強かったです。クラスのグループとか先生の目とか、将来の進路のこととか。(中略)それで芸能界に行ったら逃げられるんじゃないかと思ったんです。」(前出「BRODY」)

芸能界を「実力でのぼっていける世界」と感じていた彼女は、人間関係を作るのが苦手な自分でもそこでなら頑張れるかもしれないと思っていたという。

乃木坂46を好きになる前の僕であれば、「逃げるためにアイドルを目指す」という選択はきっと理解できなかっただろう。でも、生駒里奈や白石麻衣、西野七瀬といった「辛い過去を振り切ろうとオーディションを受けた」みたいなメンバーの多い乃木坂46のことを知って、その感覚をなんとなく理解できるようになった。僕は『アイドルとは、臆病な人間を変革させる装置である』という記事を書いたことがある。キラキラしたものを目指すというよりは、これまでの輝きのなかった自分の人生を捨てるための場所として、アイドルという存在が捉えられているということなのだろう。

「正統派アイドル」であり続けられない苦悩

見事乃木坂46に加入した山下美月だったが、やはりそこからも苦労は続く。

「私が『乃木坂らしくない』って言われるのは、たぶん『プリンシパル』のイメージが強いからだと思います。」(前出「BUBKA」)

僕は彼女たち3期生の舞台公演『3人のプリンシパル』を見ていないので分からないが、彼女自身はその当時のことを「『気合い』で役を勝ち取ろうとしてるガチな奴」(前出「BUBKA」)と評している。「やる気!」「熱意!」「根性!」で役をもぎ取ろうとするスタンスだ。

「ホントは正統派でいきたいの!」(「BUBKA」2017年6月号/白夜書房)

そう語る彼女には、理想のアイドル像がきちんとある。しかし、今の自分では真っ直ぐそこを目指すことは出来ない。頑張ろうとしても頑張り方が分からない。演技や歌の上手い久保史緒里や、ダンスの上手い阪口珠美とは違って、自分にはアピール出来るような武器もない。でも、理想のアイドルを目指すために、まずはアイドルとして見つけてもらわないと、色んな人に見てもらわないと始まらない。彼女はそう割り切って、今乃木坂46として活動している。

理想とは程遠いヒール役のようなイメージに悩みもしたが、最近ではその逆境を敢えて一旦引き受けた上で、アドバンテージに変えようという思考に切り替わりつつある。

「見た目は怖そうに見えても、しゃべったら案外そうでもなかった、というのを自分の長所にしちゃえばいいんじゃないか、って。」(前出「BUBKA」8月号)

そんな風に辛い状況でも頑張れるのは、彼女が負けず嫌いだからだ。「メンタルは豆腐だけど、負けず嫌い。」(前出「BRODY」)と発言している。

連日に渡り、同期と3つの役を争う『プリンシパル』の期間を過ごす中で、自身の魅力や取り柄について自問し葛藤した山下は、最終的には「『次に出られなかったら死のう』ぐらいの気持ち」(「BRODY」2017年6月号)で公演に臨むことになる。そのおかげで吹っ切れた芝居ができたとも語るが、「次に出られなかったら死のう」という言葉はきっと、大げさではなかったのだろうと思う。

結果的に彼女はこれまで、「普通」を目指して頑張るという、抑制された努力しか出来ない環境にあった。そのことを彼女は「中途半端」と語るが、しかしそれは試行錯誤の末の仕方ない妥協だったのだとインタビューを読んで僕は感じた。抑制された努力しか出来ない状況に押し込められていた彼女は、最上を目指して振り切った努力をする経験を長らくしてこなかった。そんな自分の制約を振りほどくには、「死」を意識するような無謀な決意をする他なかったのだろうと思う。

盟友・久保史緒里

しかし山下美月は乃木坂46で、久保史緒里という盟友と出会うことが出来た。

「(筆者注:久保がいなかったら)意識の持ち方が今と全然違ったと思う。久保ちゃんがいるからこそ、久保ちゃんみたいにもっとストイックにコツコツ積み重ねていかなきゃ、って思える。」(前出「BUBKA」8月号)

久保史緒里との関係については『「弱さ」と「強さ」の絶妙なバランス・久保史緒里』の記事でも触れたので読んでみて欲しいが、「くぼした」とも呼ばれるこのコンビは、お互いの存在がお互いを高め合うという、見事なハーモニーを奏でている。

「お互いに、弱い自分への対応の仕方が違うだけで、同じことを考えてるし、グループに関して思っていることや今の3期生に対して思っていることは一緒の部分が多いんです。」(前出「BUBKA」8月号)

そんな風に感じられる盟友の存在は、山下美月にとってとても大きいだろう。彼女たちは、お互いにないものを補い合いながら、二人で高みを目指しているように見える。乃木坂46に入らなければ絶対に出会うことがなかった盟友の存在はきっと、これまでの山下美月のくすんだ(と表現しても怒られないだろう)人生を塗りつぶし、別の色に変えるような、そんな大きなものではないかと思う。

乃木坂46に賭ける意気込みと長期的視野

「最終的には先輩たちやファンの皆さんに『3期生に任せれば、これからの乃木坂は安泰だ』と言ってもらえるくらい、乃木坂に貢献できるようなメンバーになりたい。それができるんだったら、乃木坂にすべてを賭けることも本望です。」(前出「BRODY」6月号)

「今や、私の9割以上は乃木坂でできています。乃木坂に入って、性格とか、全部が変わって、自分自身を変えられている最中。きっかけを与えてくれたのは乃木坂ってグループだし、先輩たちが5年間作っていただいたもの。全力で貢献できたらいいなと思っています。」(「月刊AKB48グループ新聞」2017年8月号/日刊スポーツ新聞社)

山下美月の乃木坂46に賭ける意気込みは、それこそ痛いほど伝わってくる。インタビューを読んで、外見からのイメージとは違う山下美月像が自分の中で形作られるに従って、彼女の「乃木坂にすべてを賭けることも本望です」「全力で貢献できたらいいなと思っています」という言葉には、言葉以上の意思を感じられるようになってきた。

とはいえ、客観視のモンスターである彼女は、きちんと自分の立ち位置も見極めている。

「―山下さんは一番になりたい、という気持ちはありますか?
私は目指してないです。自分はあんまり真ん中に立つべき人じゃないって、わかっているので…。主人公タイプではないと思うし。私はセンターとか一番になるより、たとえフォーメーションで一番うしろの列にいたとしても、『山下はうしろにいても存在感があるから大丈夫』って思われるような存在になりたいです。」(前出「BUBKA」8月号)

「乃木坂46の中で自分がどうなりたいか」ではなく、「乃木坂46の中で自分がどうなっているべきか」を優先して考えるだけの落ち着きが、今の彼女にはきちんと備わっている。すぐに選抜に入りたいと思っているわけではなく、きちんと先を見て成長していくことを大事にする。集団の中での立ち位置を常に捉え、模索し続けた彼女の本領発揮と言ったところだろうか。

アイドルになって、やっと素の自分を見せられるのではないか、と語る彼女は、自分自身をこんな風に捉えている。

「アイドルって個性が大事じゃないですか。個性がなきゃ死んじゃうと思って。ただ、ひとつ問題なのは、これまでは作ってきた自分だったから、自分の本当の個性が何なのかよくわからないんですよね。
―リアルな自分を忘れてしまった?
まだ本当の自分がわからないし、たぶんこれから先もわからない気がしているんですけど、でも、『自分はこういうアイドルになりたい』『こういう人間でありたい』っていう理想になりきろうとしている自分が、本当の自分なんだろうな、と思うんです。」(前出「BRODY」10月号)

客観視のモンスターは、そんな風に自分自身を捉えることで、3つのキャラを使い分ける自分を肯定する。自分という存在の本質は、どこかに固着した「静的な存在」ではなく、理想を目指し続ける「動的な存在」にこそあるのだ、という捉え方は、普通に生きている10代の女の子ではきっとたどり着くことが出来ないだろう。抑え込んでいたこれまでの苦しい日々、そしてアイドルとしての高みを目指すために解放的な努力を積み重ねる今、その蓄積の中でしか掴み取れなかっただろうと思う。

そして、「理想になりきろうとしている自分が、本当の自分なんだろう」という発言は僕に、齋藤飛鳥のこんな言葉を思い出させた。

「今でも選抜、アンダーのどっちがいいのかと聞かれると考えてしまいます。誤解を恐れず、理想を言えば『選抜に選ばれて、うれしい私』でありたいです。」(「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」/日経BP社)

齋藤飛鳥もまた、自分を捉える眼差しの厳しい女の子だ。彼女たちのように、自分で掴み取ってきた言葉で自分自身を捉え表現する力を備えた若い世代がアイドルとして日々奮闘しているという姿に、僕は刺激と感動を覚える。

最後に、「アイドルのプロ意識」について語った山下美月のこんな言葉を引用してこの記事を終えようと思う。

「私、ずっと『プロ意識』っていうものは、ちゃんと仕事を自分でいただいて、その仕事をきっちり成功させることだと思っていたんですよ。
―それがプロフェッショナルだと。
そうなんです。でも、アイドルとしてのプロ意識はそうじゃないなってことに気づいて。どんなポジションでも応援してくださっているファンの方を満足させること、ファンの方をしあわせにできることが、アイドルとしての一番のプロ意識だなと思ったんです。だから、いま応援してて一番楽しいアイドルになりたい、って思うんです。」(前出「BUBKA」8月号)

山下美月が、「客観的に見てる私が嫌い」でないことを祈っている。

筆者プロフィール

黒夜行
書店員です。基本的に普段は本を読んでいます。映画「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」を見て、乃木坂46のファンになりました。良い意味でも悪い意味でも、読んでくれた方をザワザワさせる文章が書けたらいいなと思っています。面白がって読んでくれる方が少しでもいてくれれば幸いです。(個人ブログ「黒夜行」)

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