「ブランコ」若月佑美×内村宏幸
予告通り、「君の名は希望」の発売前から考えていた読書感想文あるいは書評的なことをやります。若月佑美さんがPVのために書き下ろした小説「ブランコ」に対する読書感想文のようなものを書いてみようという企画です。
まず、PVを観る前から先入観を持っていました。僕にとっての若月さんのイメージは、まだ直接会ったことがないので各メディアやブログから受けた印象が強くなりますが、熱くて、はっきり物事を言い、イタズラ心があり、そして、ファン想い。
なので、小説を書くって聞いたとき、僕は若月さんはどこかに必ずファンを想う文章を入れてくるんじゃないかと予想していました。そんな訳で、「ファンの描写はどこだ?」と思いながらPVを観始めたのです。
さて、この小説に対する僕の解釈は2通りあります。
1つ目の解釈は、彼女=紅さん=過去の若月さん、私=現在の若月さん というものです。
「若月浪漫」冒頭で彼女本人の口から「10代後半特有の精神的不安や心の揺れを、若月佑美本人が描いた作品です」と言っています。
「紅さん」の描写を見ると、過去の若月さんの描写に思えます。例えば、「心を吸い寄せられ、操られるかのように道を進んで」「不思議な本や雑貨を売っている、一軒の店」「瓶の中には鮮やかな色の飴がいっぱいはいっていた」「彼女は手を伸ばし藍色の飴を一つ手にとってすぐに頬張った 」「少し渋く、しょっぱくて、少し甘い、今までに食べたことのない、言葉では表現できないような不思議な味だった」 これは、若月さんが乃木坂を目指し、活動した過去の追憶ではないかと思うのです。
そして、若月さんが心の揺れと言ったその描写は、「だが、突然目の前の光景が途絶えた」から始まります。錆色の夕暮れ、一人孤独に立ち尽くし、言葉も出てきません。不安でいっぱいな「紅さん」は元の場所に帰りたいけれども、堂々巡りを繰り返すだけ。この部分の描写は、若月さんの過去で一番つらかったであろう時期、ブログの更新が約1カ月無かった時期、つまり謹慎の時期の描写に思えてなりません。
少し話が変わりますが、先日、ナタリーで若月さんのロングインタビューが掲載されました。そこで、若月さん自身の謹慎の話が触れられています。当時の事を僕は知らないし、今となっては知りようもありませんが、若月さんって強いなって思うのです。その強さがあるから、自分をさらけ出せるのではないか? そんな風に思いました。
話を戻します。最後に「私」が「紅さん」に手を差し伸べます。過去の自分、暗闇で迷っている自分に、「大丈夫だよ」って言ってあげるかのように。
2つ目の解釈は、彼女=紅さん=過去の若月さん、私=ファンのみんな というものです。
ちょっと突拍子がないかもしれませんが、こうだったら嬉しいなという希望もあるかもしれません。若月さん自身が感じるファンの目線を表現した小説という解釈です。
前半部分の「紅さん」の解釈は一緒です。この解釈で1つ目と大きく違うのは、「私」が「紅さん」に手を差し伸べるというシーンが劇的に印象深くなります。これは敢えて詳しく語りません。こういう解釈の元、もう一度「ブランコ」振り返ってみてください。
さて、それでは本題に移りましょう。ここまでは、あくまでも解釈です。以上のことを踏まえて、僕にとっての「ブランコ」を語りたいと思います。
「ブランコに込めた想い」4年6組 Okabe
「ブランコ」という小説を読んで、ブランコの登場の少なさに、なぜだろうと疑問をもちました。冒頭にわずかに「まるで永遠に揺れ続ける、振り子のような」という描写があるくらいです。でも、タイトルにしたくらいなのです、絶対にブランコに意味を込めているはずです。
一般的なブランコを少し考えてみました。子供のころに初めてのスリルを経験できる乗り物。加速度、浮遊感、落下の恐怖。でも、慣れてしまえば怖さよりも、爽快感、解放感、高揚感を子供ながらに感じられる身近な乗り物です。思いっきり漕いで乗ると、空に届かんばかりに高く高く上っていきます。冷静に考えてみると、結構危ない乗り物です。でも、子供でも感じる安心感は何でしょう? 多分、ブランコは土台のしっかりした、安定感のある作りだからでしょう。
小説を書くにあたり、若月さんはきっとブランコに乗ったんだろうと思います。「10代後半特有の精神的不安や心の揺れ」をブランコの振り子の様な動きに例えたのでしょう。でも、気が付いたのです、ブランコの不思議な安定感に。最初は恐怖もあったブランコ、少しずつ爽快感も味わえるようになり、そして、高く高く上り始めます。それは、乃木坂46での彼女の活動に重なります。どんなに危なっかしく乗っていても、どんなに高く漕いでも、ブランコは安定して守ってくれます。その姿は彼女を応援してくれるファンの姿に重なったのではないか? と思うのです。
だから、この小説のタイトル「ブランコ」は、実は「ファンのみなさん」と置き換えることが出来るではないかと思うのです。それゆえに「ブランコ」は、熱くて、イタズラ心があって、ファン想いな、彼女らしい小説のタイトルにふさわしいと思えてくるのです。
そう考えてみると、「紅さん」に「手を差し伸べた」のは誰なのか? 「私」と書いているから若月さんと決めつけなくてもいいと思うのです、あくまで小説ですから。「私」=「ファン」と解釈した方が、若月さんらしいし、このシーンが劇的に印象的になり素敵だと思うのです。
この小説は若月さんが感じるファンの目線を表現した小説であると思います。そして、この小説すべてが、若月さんからファンへのメッセージなのです。
色々な解釈があっていい、そう思います。角度を変えてみてみたい、そういう想いでいつもいます。僕の解釈は色々なうちの一つと思っていただいて、皆さんは皆さんで、是非この「ブランコ」を読んでみてください。そして、皆さんなりの解釈を教えていただければ幸いです。
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