卒業って何でしょうね? それは、卒業する人によってそれぞれです。例えば、最近多く目にするAKB48のメンバーの卒業は、『次のステップへの区切り』です。表舞台から去るわけではありません。
一方で、表舞台へ立つことが叶わなかったメンバーの卒業は? それはおそらく『別れ』です。厳しい事を言えば、現時点の乃木坂46においては、極一部のメンバーを除いて、グループからの卒業は『別れ』になるだろうと思います。
アイドルの世界は厳しいものだなって思います。生き残るのは大変に難しい。生物の世界で例えると、確固たる生存能力を保有していない弱小生物は、卵を沢山産みます。その中から、厳しいセレクションがあって、極わずかな数だけが成体へ成長することが出来ます。生まれてはきたものの、生き残れなかった生物の存在意義は何でしょう? 生物の世界なら『食物連鎖の一環』です。
経営の面から見ると、沢山のアイドルの卵を採用して、厳しいセレクションを課し、生き残れた人をトップアイドルにする。大きな視点で見るなら、理にかなったことです。生き残れなかったアイドルは去るのみです。厳しい世界ですから、仕方のない事です。
それなのに、仕方のない事なのに、何故?どうして?と思わずにいられない自分がいます。それは、彼女達の『個』を見てしまっているからでしょう。感情移入してしまっているのです。難しい事なのはわかっていますが、彼女達が本当に満足して卒業していく姿を本当は見ていたい。綺麗事でしかないのですけれどね。
ちょっと例えは悪いのですが、大往生した人達のお葬式は、悲しみも勿論あるのですが、笑顔もあふれます。命あるものは必ず死が訪れます。大往生であれば、その死を受け入れやすいのです。一方で、若くして急逝した人の周りには、痛いくらいの悲しみがあふれています。
どのメンバーにも等しく、卒業はいつか必ず訪れます。その卒業をそのメンバーがしっかり受け入れていられるなら、そのメンバーを推しているファンも、卒業を笑顔で受け入れられるでしょう。
安藤美雲さんが今日で乃木坂46を卒業します。彼女の卒業からのブログを見ていて、感じることは『志半ば』です。後ろ髪引かれる思いがひしひしと伝わります。例えば6月2日更新の『最終日』では、『16人のプリンシパル deux』公演を観に行けなかった理由を「また戻りたい、そうおもってしまうかもしれないから」と書いています。
だから、僕は安藤さんに卒業おめでとうとは言えません、悲しみがあふれているから。
運命とは与えられるものではありません、自分で選ぶしかないものです。安藤さんの決断を、僕達ファンはただ見守るしかないわけですが、数少ない出来る事、彼女のこれまでのチャレンジに敬意を表する事、彼女を忘れないでいる事だと思います。卒業表明後の安藤さんのブログに、再三にわたり書かれています、「私のことを忘れないで」と。
もし君が遠くに行ってしまっても、その微笑みを僕は忘れない。どんな時も、君がいることを信じて、まっすぐ歩いていく。君の名前は安藤美雲。君の希望は乃木坂の未来と、明日の空に美しい雲が浮かぶこと。
アイドルを応援する事がこんなに切ない事を今回初めて感じた
選抜メンのヲタだったらどんなに楽だっただろう
つってもどんどん記憶は薄れていくだろうなあ
選抜に入って、そこそこ目にする機会のあった岩瀬さんのことも、
もうかなり記憶は薄れた
高橋みなみ「あきらめたら そこで試合終了ですよ」
それいらねぇわ
今日、美雲ちゃんの最後の挨拶聞いたけど、目標に向かっているキラキラ輝く女の子だった。
志半ばなんて言葉は使ってほしくないな。
ゆみねえもそうだけど、違う道を歩き出しただけ。
トップアイドルになるだけが道じゃないでしょ
実際になってみて見えてくることもあるしまさしく方向転換。
正直、2ちゃんのレスならともかくこんな記事はいただけない
方向転換だろうがアイドルを辞めることに変わりは無いんだから、管理人なりにアイドルの部分を弔ったんだろ。
お宅さんの言うところの「ハレの日」なんだろうからさ、そんなめでたい日にカラむなよ。