赤坂ACTシアターで行われた生誕祭
5月16日付の川村真洋さんのブログを皆さん読みましたか? 天国へ旅立った愛犬・サスケへの想いが綴られています。誰かに必要とされること、愛されるということ、それは、とても素敵な事です。サスケは羨ましいと、そう思いました。
生命における唯一絶対の真理、それは、必ず死を迎えるということ。その死を見つめるからこそ、生の輝きに気付くし、いつ訪れるかわからない死を意識するからこそ、今を大事に出来ます。乃木坂46もきっといつまでも存在するわけではありません。いつかは今いるメンバーもグループを離れていきます。そして、同様に僕達もきっといつまでもファンでいられるわけではありません。いつかはファンも卒業です。
今日、川村さんのブログを読んで、「僕はメンバーにとってのサスケになれるだろうか」と自問しました。つまり、絶対的に必要な存在であったり、いなくなった時に悲しんでもらえる存在たり得るか?、答えは「否」、当然のことです。僕は大勢の中の一人でしかありませんから。
誰もが大勢の中の一人でしかありません。先日の「16人のプリンシパル deux」でいえば大勢の観客です。メンバーから見れば舞台の「向こう側」。ファン一人ひとりを見れば誰でもその程度の存在でしかありません。でも、先日のプリンシパルで僕は可能性を感じました、一人ではちっぽけな存在でも、沢山集まれば舞台が変わる。僕達の拍手、笑い声、声援で舞台は変わり、そして、作られていきます。僕達はただの観客ではなかった、少なくともメンバーと一緒にあの舞台に参加できていました。もちろん配役はありません。だから、エキストラだったと思っています。
エキストラとしていられるのは、プリンシパルに限ったことではないと思います。ライブ、ブログへのコメント、ファンレター、握手会などなど、一人では小さなことでも、沢山集まれば、何かを動かすきっかけになるかもしれません。一人では特別な存在になれなくても、集団としてのファンならば、きっとなれる、メンバーにとって必要な存在になれる。
プリンシパル公演に参加して、乃木坂ファンが暖かいことを知りました。プリンシパルの感動はスタッフを含めた乃木坂46の努力と、乃木坂ファンの暖かさで創られました。僕たちにも出来ることがありました、真剣に彼女達に向き合うこと。だから僕達にもなれるはず、必要な存在になれるはず。
「サスケの前で 平気なふりしても 目を『じぃーっ』と見て わたしの心をすぐ読み取った。」
彼女達と喜びを共有し、増幅し、もし悲しいことがあったとしても、すぐに立ち上がれるよう、しっかり前を向けるように、僕達の存在が必要なものになれたなら、とても幸せなことだと思いませんか?
【関連】
「5月5日 サスケ天国 へ… ろってぃ−」(川村真洋公式ブログ)
流石に犬嫌いの自分でもちょっと悲しかったわ
今できることは、今やらなきゃね。
同じ事を感じていました。この文章に感動。
文章が光ってますね。いつか本にしてほしいです。
サスケの話はぐっときた
ろってぃのこういうとこ好きだわ
サスケの歌を配信してほしい
僕も協力して乃木坂を応援していきます!この文章に心打たれました!
その通りですね。俺も精一杯応援します!
エキストラじゃない
観客として審査員として楽しかった
いつも拝見させてもらってます。今回の記事は本当にグッときました。
僕もこれからも乃木坂を精一杯応援したいとおもいます