昨年末NHKで放送された、「ハロー・グッバイの日々 ~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~」を観て、思うところを書き綴ります。
タイトル「ハロー・グッバイの日々」は『残された人生を意識する』と読みかえることが出来ると思います。死を覚悟して日々を生きる、なかなか想像できるものではありませんが、死生観を持つのは大事なことです。
自分の死を自分で語ると言う事は難しい事です。2012年10月に亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」という本を遺してくれました。その内容は自分の死を見つめ、自分の言葉で表現する。その精神力は想像を絶します。
「ハロー・グッバイの日々」という番組は、佐久間さんの姿を、生きているうちに世に送り出したという点で、今までのものとは一線を画します。
音楽界における佐久間さんの功績は語るまでもない事です。それに加えて、人としての生き様、人生の最後に何を成そうとするのか、それらの過程を映像として示すことで、僕達が気付かされるのは、人生という時間の価値、仲間というかけがえのないものの価値、生命という輝きの価値です。
人生の最後に何を食べたい?
人生の最後に誰に会いたい?
人生の最後に何をしたい?
よくある『もしも』です。
でも実際、去りゆく人が人生の最後に何をしたか? それは、身近な人以外は、わからないことが多いです。
では、佐久間さんは何をしようとしているのか? 映像として明確に残っています。残してくれました。佐久間さんが残そうとしているもの、それは音楽を通しての『My Life』。
「Where are my last days going?」
今、まっただ中にいる『Last days』。でも、その行方は模索中なんですね。
そうか、そうなんだ……。
僕は自分自身の死と向かい合ってみたい。それが自分に課されるべき試練と覚悟しています。でも、覚悟を決めたとしても、その行方は簡単にわかるものではありません。経験則に基づかない探求心は、着地点を見極められずにいます。
失って初めて気が付くものがあります。家族、友人、恋人、時間、健康……。僕たちが当たり前のように過ごしている日常のまわりには、無数の幸せが存在しています。でも、当たり前であるがゆえに、普段からその幸せの実体を意識することはそうはありません。
これからの僕達が目指すところは、『失ってはいけないもの』に気が付くこと、『失う前に気が付くこと』ではないかなと、そんな事を今、思っています。
素晴らしい記事です
奇しくも、この記事を書かれた1月16日の早朝に、亡くなられたようです。
ソース
https://www.facebook.com/masahidesakuma/posts/710119475673058